Yauma (ヤウマ)からMathi(マジ)を理解する (アンゴラ)《Yauma/ンブンダ語方言》

村尾 るみこ

フィールドワークをはじめたばかりの当時、私は現地語であるンブンダ語の習得で本当に苦労した。南部アフリカにすむ、ごく少数の人びとが話すンブンダ語は、体系だった文法書や辞書のない言語であったため、言語学の初歩的な調査法や、近隣集団の言語に関する辞書などをなぞるという作業を繰り返したことを覚えている。

ンブンダ語を話す人びとは、アンゴラに多くが住んでおり、周辺国にもいくらか移り住んでいる。私はアンゴラの東隣のザンビアではじめてアフリカでフィールドワークをしたのであるが、そのときはじめに覚えたのは、Yauma というンブンダ語とルバレ語の混ざった、いわばンブンダ語の方言であった。私自身、しばらくたってから理解したことであるが、ンブンダ語にはYaumaのほかにもいくつかの方言が存在している。なかでもYaumaは、もともとのンブンダ語であるMathiとよばれる言語とは語彙も異なりずいぶん違って聞こえる方言だった。ちなみに、YaumaやMathiを話す人びとは、それぞれ、Yaumaの人びと、Mathiの人びとといったように、ンブンダに含まれる小グループ集団を形成している。

Yaumaを含め、ンブンダ語の方言の存在そのものの重みを再考させられたのは、紛争が終わったアンゴラへいきはじめてからのことである。国外から帰還した多くのンブンダは、Mathiを話すンブンダが中心となって、ンブンダ社会の再興に力をいれてきた。アンゴラは、もともとの自分たちの「故郷」であるため、その「故郷」を拠点に自らの社会の復興をねらい、もともとのンブンダ語としてのMathiを話す首長らが、国との交渉を進めてきたのである。

今日、紛争による混乱も影響して、方言を正確に使い分けられる人が、高い位の首長以外、ほとんどいないということもあり、国外から帰還した、いわゆる普通の村びとは、逃亡中とは異なる方言の「重み」にいまいち実感がもてない。 「Mathiを話せることが、ここが私たちの故郷であることの証拠になるんだって。私たちが、アンゴラ難民になったりアンゴラ国民になったりするときに、両親や祖先の名前を言い、生まれた村や近くを流れる川の名前を言えることの代わりに、今度は、Mathiなんだって!そんなの、私たちンブンダの間の関係だったのに、どうして次々とンブンダじゃない人たちに説明することが重要なのか。わからないなあ。ところで、Mathiって、どの言葉のことをいうんだ、私がしっている言葉のなかにあるかな?」と、Yaumaを話すンブンダは、笑いながら言う。

こうして、Mathiを話すことに新しい意味がおかれるアンゴラ社会と対峙しようとする、Yaumaのンブンダらの話をきいていると、紛争後の混乱から脱却したかのように、高い経済水準を誇るアンゴラ社会の深みへ迫っているのではないかと思う。