エボラがつなげるわたしとかれらの日常(ギニア)《Ebola/エボラ熱/フランス語》

中川 千草

木曜日の朝はソワソワする。 2013年12月からはじまった西アフリカにおけるエボラ熱の流行を受け、WHOのwebページでは、最新情報が日本時間の毎週木曜日未明に更新されるからだ*1。「今週の新規確定患者は、先週に比べどうなっただろうか。どうか減っていますように」と願いながら該当ページを開けることが習慣となって、ひさしい。わたしが公私にわたってかかわっているギニアはエボラ熱流行の最前線で、この病の蔓延によって、現地でのフィールドワークはあっけなく中断されてしまった。エボラ熱は現地でEbolaと呼ばれ、現地語でこれに当たることばない。他の外来語と同じく「あらたに」日常に現れたものだからだ*2。

エボラ熱に関する啓蒙キャンペーン・コナクリ市内 (撮影 Saran Mory Condé 2015/01/13)

今回のエボラ熱の流行と過去のものとの大きな違いは、都市部において起こったということである。にもかかわらず、当初は大半の国民にとってエボラ熱とは「森の方のこと」、つまり遠く離れた知らない場所のことであり、都市部での感染が報告され、世界的にも連日報じられるようになった2014年夏においても、首都コナクリに暮らす友人たちはそろって、「Eh, allah! Ebola amouna bé! feou!!(はぁ?ここにエボラなんてないない!ほんっとに!)」とまくしたてていた。日本国内に暮らすギニア人たちも、「(報道が)大げさなだけ」「なにも問題はない。すぐに終わる!」と、エボラ熱の存在すら認めないような口ぶりで、エボラと聞くと「またその話か」と嫌悪感を露にした。ある日、そこに変化が生じた。現地に暮らす友人のひとりがFacebookでメッセージを送ってきた。「ギニアのエボラはいま、どうなってる?」

2014年3月下旬にわたしがギニアでのフィールドワークから帰国した直後、エボラ熱の発生が報告された。それ以来、ギニア国内における関係者会議の議事録やWHOが発表する記事の要約、現地に暮らす人からもたらされる情報などをFacebook上で発信して来た。日本のメディアが伝える情報にはどうしても偏りがある。それを見聞きするたびに、現実から乖離した情報が広がっていくことが苦しかった。そこで、自分として納得・信頼できる情報を集め発信しはじめた。もう一つ意図があった。それは、いつまでたっても「エボラなんてないよ」と言いつづけるギニア在住・出身の友人たちに、現実を知ってほしいということだ。現地から届く情報をフランス語でまとめ直し、逆発信した。その努力は通じず、「日本にいる君になんでわかるの?!」「それは嘘の情報」と、まったく取り合ってもらえなかった。かれらが暮らす地域での患者数が増えて行くにつれ、胃が痛み、落ち込むわたしをよそに、「心配しすぎだ」「大丈夫、大丈夫」という、かれらのそっけなさと前向きさは日々強まっていった。

こうした日々のなかで、あちらからエボラに関する情報を求められ、わたしは興奮した。自分の思いが通じた!地域ごとの患者数、感染予防の情報などを事細かく伝え、とにかく気をつけてということを訴えた。そして、「周りのみんなにもこれを伝えほしい」と付け加えた。それ以降、メッセージの送り主パシアとは、頻繁にやりとりするようになった。そのたび、わたしは同じような内容を返しつづけた。

これまでフィールドワークをおこなう際、「わたしの方が<正しい>情報や知識を持っている」などと思ったことは一度もなかった。しかし、このエボラ熱の流行は、「かれらが知らないことをわたしは知っている」という状態をつくった。そこに大きな戸惑いを覚えた。案の定、<正しい>情報を伝えることに疲れはじめ、いつしか「大丈夫、エボラはすぐ終わるよ」「来年になったらエボラもなくなっているから、そっちに行くよ」と記す回数が増えていった。<正しい>情報は逃れがたい恐ろしい現実である。それを一方的に伝えることよりも、この辛い状況を分かち合い、無理にでも希望を見いだす方が、わたしも相手も楽だと気づいたからである。かれらからの大丈夫!というメッセージは、「かれらはいまのところエボラにかかってはいない」ということをわたしに知らせ、安心させてくれる。わたしが大丈夫!と返すことは、見えない敵に囲まれているかれらの不安を少しだけ取りのぞくことにつながっている(もっとも、エボラが終われば、わたしがかれらの元を訪れ、仕事の世話なり何なりをするはずだという大きな期待を許すことが最大の励まし)。

エボラ熱の流行を知らない頃のわたしたち(左がメッセージの送り主パシア)

ギニアは独立以来、近年では2007年のゼネスト、2010年の大統領選挙など国をあげての混乱や、マラリアやコレラなどの慢性的な流行、80%とも言われる失業率など、大小さまざまな波にもまれつづけている国だ。こうした問題の大半は政治的な解決以上に、事の顛末がうやむやなまま、住民たちが優先すべき日常に帰ることによって、終息してきたようにみえる。今回、エボラ熱の流行が長引く原因は多岐にわたるものの、そうこうしているあいだに、人びとはエボラの存在を認め、それに対する恐れや怒りとの付き合い方を見つけ、エボラが配された日常を生きはじめている。

それはわたしも同じである。ただただ不安に駆られ、危険が迫る現実に気づいてほしいと必死になっていた時期を経て、エボラのそばで暮らしているかれらと呼吸を合わせながら安心を得ることができるようになった。これは、わたし自身のエボラ熱との向き合い方が変化したことにほかならない。毎週木曜に最新情報を確認しつつ、大丈夫!ということばを介して安心を交換する。エボラ熱の流行は、奇しくもわたしとギニアに暮らすかれらとのつながりの濃度を深めた。

*1 実際には患者数については週に数度更新される。それをすべて気にしていると、気持ちが「もたない」ので、チェックするのは週に1度というルールを自分で課している。
*2 ギニア国内で過去にも発生していた可能性は否定できないが、エボラ熱という病として報道されたり問題視されたりするようになったのは今回がはじめて。

参考
Humanity & Nature(地球研ニュース)No.52 特集「感染症の危機管理と研究者の役割」