村の朝ごはんと少女との思い出(ザンビア)

成澤 徳子

日の出前、まだ辺りが薄暗いなか、村の一日が始まる。屋外のトイレで用を足し、水瓶から片手で水をすくって器用に顔を洗うとすぐに、男たちは犂を装着した牛を連れて、また女たちは種子や肥料を頭に載せて、一斉に畑へと向かう。これが、一年を通じて畑仕事が最も忙しい雨季の、農村の朝の光景である。ザンビアの主食はシマと呼ばれる、トウモロコシの粉でつくる練り粥であるが、米やパスタなど、お金を払えば何でも手に入る都市部とは違い、村では年中「三食シマ」が基本である。そのため、主食であり主要な換金作物であるトウモロコシ栽培を中心に村の生活が回っており、トウモロコシ畑の耕起と播種の時季になると、村人は男女を問わず、朝食など食べる暇もなく汗水流して働いている。

調理や食事の時間がなく、また食糧自体が不足しているこの時季に、畑での重労働に従事するなかで空腹をやわらげ喉の渇きを潤してくれるのが、村のあちらこちらの木に実っているマンゴーである。誰しもが、畑への行き帰りや農作業の休憩中に、木によじ登ったり棒で突付き落としたりして獲得したマンゴーを頬張るので、下を向いて歩いているとその食べかすをよく見かけたものである。日本ではマンゴーなど買ったことのなかった私もすぐにその虜となり、村の学校の近くの空き家に植わっていたお気に入りの大木の傍を通っては、独りの時でも自力で採って食べていた。「あの木のマンゴーは、あいつが食べ尽くしてしまった」という噂が村中に流れていたことを後に友人から聞かされ、恥ずかしい思いをしたことを覚えている。

さて、村の滞在先の家で、私がまだ家族の一員というよりは客人としてもてなされていた頃のことである。朝、皆と共に畑に行き、農作業を手伝いながら調査を開始した私に、家のお母さんが「お腹が空いているでしょう?あなたは一度家に帰って朝食を食べてきなさい。今頃、娘が準備しているはずだから!」と告げた。私は食べなくても大丈夫であったが、無下に断れず家に帰ってみると、1歳の妹を背におぶった少女が、細腕ながら力強く、慣れた手つきで鍋の中身を混ぜ捏ねて、私のためにシマを作っていた。彼女は、離婚して隣国に暮らす父親譲りの精悍な顔立ちと、母親譲りの利発な性格の持ち主で、女手一つで3人の子供を育てる多忙な母の家事仕事を常に助ける、11歳とは思えないほどしっかりした頼もしい子であった。学校の成績も一番で、初めて会ったとき、「あなたマンゴー食べる?」と彼女にきれいな英語で尋ねられ、都市ならまだしも辺鄙な村に着たばかりの私は、少々面をくらったことを覚えている。それからというもの、彼女は私にとって一番の話し相手となり、遊び相手となった。また、彼女は朝食の支度以外にも、犬が怖くて夜中トイレに一人で行けないときや、場所がわからない遠くの畑へ行くときなど、村の生活にまだ慣れない私を何かと助けてくれた。しかし、彼女も他の子供たちと一緒になって遊びたい盛りの年頃である。ときに、頼まれた仕事を怠り母に叱られ泣いている姿をみると、私が来たせいで彼女が以前より忙しくなったことに対し、多少心苦しさを感じたものである。

そんなある日の早朝、一張羅を着た少女は「隣町に行ってくる」と寝起きの私に言い残し、髪を梳かしながら慌しく家を後にした。気づくとすでに母と妹の姿もなく、村にきて初めて家族に終日独りぼっちにされた私は、少々心細い気持ちで彼女たちの帰りを待った。そして、夕方遅くに帰宅した母から、少女を首都にいる親類の家に預けて今後そこから学校に通わせること、そのために今日彼女を近くの町まで見送ってきたことを告げられた。いままで通っていた村の学校では英語すら満足に学べないため、彼女の将来を考えて、首都で教育を受けさせることに決めたのだという。私は予期せぬかたちで少女と別れることとなりとても寂しかったが、頼りになる娘を彼女のためにあえて遠方へ手放した母の想いに比べれば、私の悲しみなど取るに足らないものであろう。

彼女が去ったあと、朝食はおろか、私の世話全般に母親の手が回らなくなったことはいうまでもない。滞在先の家の手伝いが忙しいのか、それとも交通費の問題からか、その後少女は学校が長期休暇になっても村に帰省することはなく、ザンビアの村で最初にできた可愛い友人と、私はいまだに再会できずにいる。私もいまでは何でも一人でこなせるようになり、すっかり「村人」として自立した。少女も都会の暮らしのなかで、より立派に成長していることだろう。