『「革命」を語る——ガーナ農村部の民衆運動——』近藤菜月=著

紹介者:宮内洋平

南アフリカの現在を研究している私にとって、現地で出会う、社会問題の解決を目指し、地域社会をより良きものとしようと、公共善のために身を投じている魅力的な実践者たちが、いったいどのような人生を歩み、今日に至ったのかに興味を抱くことが多い。とくに50代半ば以上の社会運動家(本書のライフヒストリーで登場するような、菜園で有機農法の在来種を育てる活動をしている人など)は、アパルトヘイト解放闘争時代の何らかの経験が、今日の活動に影響を与えているはずだ。伝統的システムからは抜け出し、イギリス帝国の慈善的統治に取り込まれながらも、創造的実践により自律性を確保しているように見える運動家たちは、どのように生まれたのだろうか。本書の舞台はガーナであり、地域も歴史的背景も南アフリカとは異なるものの、上記のような思考を深めるうえで大いに学びとなった。

本書は1981年末のクーデターで政権についたローリングスの「革命」 に巻き込まれた、ガーナ北部の農村住民、とくに「ケイダー」(革命組織メンバー)の語りから、農村住民が「革命」をどのように認識していたのか、「革命」によって人びとの主体性がどのように構築され、コミュニティはどのように変化を遂げていったのかが描かれる。革命のような出来事の評価は、国家による正史としてまとめられがちであり、下からの語りからなる記憶と歴史の形成(パブリック・ヒストリー)は驚くほど少ない。本書はこの抜け落ちた部分を埋めようとする。 ガーナにとって「革命」期は政治的・経済的不安定から脱却し、1990年代の民主化につながる転換期である。したがって現在のガーナの政治的・経済的安定の理由を探るうえでも、貴重な資料に本書はなっている。

本書はアフリカから草の根民主主義を考えるうえで示唆的である。西欧型システムの導入による民主化(制度としての複数政党制)の機能不全が起こりがちであるアフリカでは、伝統的政治制度の意義が強調されるか、逆に伝統的政治制度の持つ弊害によって、近代化をいつまでも成し遂げられないとされるかのどちらかに終始しがちである。本書は膨大なインタビューと社会学理論を駆使して、二項対立を乗り越える事象を示していく。現実世界は、伝統的制度と近代的制度、インフォーマリティとフォーマリティのどちらか一方であるというような単純な構造ではない。境界的存在となる人物がキーパーソンとなり、社会変革を進めていくのだということが、本書を読むとよく分かる。 「革命」期にこうしたキーパーソンが動ける土壌が整っていたことも興味深い。取り残されていたかのようにみえるガーナ北部農村であっても、「革命」期よりも前に近代教育が浸透しており、「革命」期に農村でキーパーソンとなった人たちは、教育を受けた人たちであった。彼らは伝統的共同体の呪縛から解放され、個人的主体としての芽生えを経験していたと著者は言う。同時に彼らは「革命」の論理とも一定の距離を保っていたので、「革命」への貢献により、主流社会に飲み込まれていくこともなかった。本書の示す個人的主体とは共同体主義に対峙させられる西欧的個人主義とは異なるものである。「コミュニティの青年たちは、伝統的な現実定義から逸脱した個人意識の芽生えを経験しながらも、自身のコミュニティに立ち返って、新しい実践のための組織化を試みており、その行為は、農村社会から離れて近代セクターで立身出世を目指す個人主義とは異なる志向性に根ざしていた」(p. 240)からだ。

地理学、人類学、社会学の公共空間論や場所の構築をめぐる議論では、 1つの価値観に収斂させて産業への貢献を促す「社会」でもなく、ときに排除的となり、往々にして保守的な「コミュニティ」という枠組みでもない、ひとびとの出入りが自由で、対話を促すような、動態的な政治のための「開かれた場所」の構築が期待されている。西欧近代システムの行き詰まりのなかでオルタナティブな世界が希求されるなか、アフリカ研究が上記のような普遍的な議論に貢献していくには、本書のような民衆政治へのアプローチが重要となるだろう。

 

書誌情報

出版社:ナカニシヤ出版

発行年月:2024年5月

単行本:270ページ

ISBN:9784779518058

出版社のサイト:https://www.nakanishiya.co.jp/book/b10084324.html

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