復活した酒づくり(アンゴラ)

村尾 るみこ

「えっ、トウジンビエ酒づくりを見に来たって?」
ンブンダ王の王宮のまわりに集い、せっせと酒をつくっていたンブンダの女性たちが驚いてこちらを振り返る。2015年に私がその場を訪れたとき、8月の王の就任式にあわせ、客にふるまう大量のトウジンビエ酒をつくるために、女性たちは数か月前から準備に追われてきた。

ンブンダは、アンゴラ東部に拠点をおく民族集団である。アンゴラは2002年まで40年にわたり紛争をしていたため、王を含めンブンダの多くは国外に難民となって逃亡した。そうして彼らの社会は大きく分断され、文化的な営みも大きく変化せざるをえなかった。しかし、復活したものがいくらかはある。その一つが、王の就任式でのトウジンビエ酒づくりである。2015年にこの酒造りを目にした私は、15年間ただ書籍や言い伝えを通じて知っていたこの手仕事に、胸がいっぱいになり、ぜひ見せてほしいとその場に通い詰めたのである。

ンブンダの暮らす環境では、紛争前、アフリカで起源したトウジンビエが重要な作物であった。かつては栽培していたとされる、同じアフリカ起源のシコクビエやソルガムは紛争直前の20世紀ごろではほとんど栽培されていなかったという。しかし、新大陸からキャッサバやトウモロコシが伝わってきてから、紛争開始に伴う逃亡の経験を経て、彼らの主作物はキャッサバとトウモロコシに置きかわっていった。それでもトウジンビエは、アンゴラ東部の各地域で栽培されており、王の就任式になると各地域から王宮に集められ、王族の女性たちによって酒が醸造される。

トウジンビエ酒づくり(アフリクック「トウジンビエ酒」参照)は手間がかかる。2週間以上かけてようやくできあがる。このトウジンビエ酒は、発芽させたトウジンビエ mashangu wa mumeno を使い、その「モヤシ」をつかって大量のトウジンビエを発酵させていく。女性にまざってトウジンビエを搗いたが数十キロのトウジンビエを搗くのが相当の仕事である。また、大きな鍋で何度も過熱をしてポリッジ状の muwaila をつくり、冷却することを繰り返す。これらの作業を平行して続けるため、トウジンビエ酒を醸造する女性は一日平均8人ほど必要である。

写真1:トウジンビエを臼で搗く

写真2:王宮前で酒をつくる様子

王の就任式も、トウジンビエ酒づくりも、紛争後の2008年からようやく再開されたものである。そしてそれらが、紛争前と全く同じものであるわけではなく、紛争前の酒づくりのお作法は省略されたり違うやり方で代替されたりされている。例えば、酒づくりをする女性たちの属性や関係性にもみられる。かつて、紛争前は高位の首長の女性たちが必ず集った、王の就任式での酒づくりは、今日、紛争によって不在のままとなっている首長の妻は除外され、集まることのできる女性たちの親族知人に頼るところが大きい。

このトウジンビエ酒づくりという手仕事をみていくうちに、長期化したアンゴラ紛争さえなければ、女性たちが昔と変わらない酒造りをしていたのではないかと、少し寂しい気持ちになったこともある。けれども、紛争後のアンゴラを生きる彼女たちの手仕事を支える、社会関係のつながりにも目をむければ、紛争後のアンゴラ社会で生きようと紡がれていく新しい関係も確かにあるのだと思う。今年の8月も、ンブンダ王の王宮前広場では、きっとおいしいトウジンビエ酒のにおいが漂い、手仕事をしながらやまない女性たちのおしゃべりが響いている。