二階建ての家(マダガスカル)

飯田 優美

いろいろなかたちをした田んぼの間を、畦道が緩やかに曲がりくねりながら続いている。乾季のはずなのに、毎日のように降る雨のおかげで、田んぼや畦道の青さが美しい。だがそこには、青々した草木からは想像できないような弱い陽射しと寒さがある。

家の壁につくられた窓はほとんどがガラス窓ではないから、採光のために開け放たれている。それが、ポコッと壁に穴があいているようにみえ、ほんのり赤い壁の色と相俟って、なんとなく可愛らしくみえる。

家には一階建てと二階建てがある。二階建ての家の場合、二階の部屋へ行くには、一階から上へ登らなければならないが、家によっては階段がない。そういう家では、一階の天井に穴が開けられており、そこに梯子をかけて登るケースが多い。

 

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平たい板に溝を作ってできた梯子をつかって一歩一歩登る。足を踏み出すごとに、梯子が弓なりになる。バランス云々という不安定さより、梯子が割れるのではないかという不安がよぎる。でも、地面に降りたくとも、梯子が揺れて、下へは足が踏み出せない。

このような梯子をどうにか登りきり、二階の床に足を踏みおろして重心をかけた。その途端、ふわん、と足下が弛んだ。例えるなら、映画「天空の城ラピュタ」で主人公たちがドーラの母船に乗り移ったときの感じ、だと、多分、思う。

ドーラの母船は「木で出来ている」らしい(注1)が、こちらの弛む二階の床は竹でできている。竹を割って細長い棒状にしたものを格子状に編んで、天井(つまり二階の床)のかたちをつくる。そして細長い棒状の竹や木をさらにその間に埋め込み、その編み目を細かくし、土なども入れ込みながら、その強度を増していく。そしてそのうえに茣蓙を重ね、床にするのである。

竹を編んで床にするには技術が必要である。しかし、どれだけ巧妙につくったとしても、年月が経つと、天井部分(つまり二階の床)に編みこんだ竹や木の棒が、抜け落ちたり、ブランと天井から垂れ下がったりしてくる。

天井からブランと垂れ下がった棒は、それに気づいた人が抜き取る。だが、抜き取っていくほどに天井は崩れていく。だから、棒の抜け具合(つまりは天井の強度)が気になったときには、抜き取った棒や新しい棒などを再度、天井に差し込んで補強などをするのである。

人と雑談をしながら、天井からブランとぶら下がってきた棒を天井に差しなおす人もある。或いは、そういう技術を持った人が、お茶に来たり、通りがかったりしたときなどに、「ちょっとだけ直してください」と頼む人もある。もっとも、棒の差し込み方が悪くて、天井から土くれや埃をバラバラと落としたときは、ご婦人たちから散々文句を言われていたが。

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土の床は、季節によっては湿気るが、この弛む床はそうはならないようだ。また、寒い季節でも、弛む床の部屋はなんとなく暖かい。フワフワしているからかもしれないが、なにか暖かさがあるように、少なくとも、感じる。

たしかに、安全面からいうと、弛む床は怖くないことはない。歩いている途中に、床のくぼみ(つまり編み目)に足を取られた経験もある。しかし、これらの家には、湿気や寒さから逃れようとする人々の知恵や独自の技術が生きている。真水に不自由せず、お米などを作りながら、かつ、できるだけ快適に生活する工夫が、ここにあるのである。

(注1) 映画「天空の城ラピュタ」(宮崎駿監督、スタジオ ジブリ制作、1986年)の一シーン。ドーラ船長の母船の床がふわふわすることから、主人公の一人がこのように言う。