夢見るギニアのアーティストたち(ギニア)

中川 千草

スマホの画面に表示される、224からはじまる着信履歴はときに、日に10件を超える。その着信の嵐は、ラマダンや新学期の前など、現金が必要になるタイミングではじまる。わたしに電話をかけることも、こうした年間スケジュールに組み込まれているのかもしれない。224は、ギニアの国番号。かけてくる相手は、わたしのダンスの師匠である。

首都コナクリで生まれ育った師匠は、ダンサーをしながら、一家を支えている。ただし、彼女の稼ぎは自らが踊ることによって得られるものだけではなく、ダンスを通じたつながりによる「集金」も含まれる。つまり、わたしのように海外に暮らす弟子にSOSを出し、送金してもらうことも、彼女の稼ぎの内に入るということだ。

写真1 集金される人(左)と集金する人(右)

 

わたしがギニアに通いだしたきっかけは、西アフリカ一帯で親しまれている音楽とそれに合わせたダンスに魅了されたことにある。太鼓や鉄製のベル、木琴などを用いて、それぞれのリズムパターンを重ね、一つの音楽をつくりあげる。生演奏をはじめて目にした人は、その音の大きさとパワフルさにたいていびっくりする。あまりのインパクトに手拍子すら忘れる。この音楽と切っても切れない関係にあるものが、ダンスだ。ダンサーたちがしなやか、かつダイナミックに踊る姿は、太鼓のアンサンブルと同じぐらい、見る者を圧倒する。

ギニア国内に存在する大小たくさんのエスニック・グループには、それぞれが伝え大切にしてきた音楽やダンスがある。命名や結婚などの人生の節目、豊穣を祈ったり感謝したりする場面などで、人びとは音楽を奏で、舞ってきた。独立後は、初代大統領セク・トゥーレの文化政策のもと、ギニア中から優秀な演じ手たちが「発掘」されていった。この政策には、ギニアという国家をより確実なものにするという目的があった。首都には国立グループが結成され、メンバーは国家公務員として手厚い待遇を受けたが、一方で、政府は演奏内容をチェックし、そこにギニア国民としての自覚を促すような政治的メッセージの盛り込みを指導した。

各地域、地区にも私設グループが多数生まれ、隔年で開催される「国民芸術文化祭」をめざした。このフェスティバルは、地方予選を勝ち抜いた地域の代表と国立グループが決勝で競い合うというものだった。ラジオでは連日、優勝グループの演奏が流れ、その一部はレコード化され、近隣諸国やヨーロッパにも配給された(鈴木 2015)。政治的な意図があったとはいえ、練習の先に目指すものがあり、そこには夢があった。演じ手たちは、国民的スターとなり海外進出するという未来を思い描き、日々練習に励んだという。

セク・トゥーレが職を退くと、演奏における政治性は弱まり、さまざまなエスニック・グループの衣装や民話などを取り込んだエンターテイメントの要素が高められた。現在「舞踊団(Le Ballet)」と呼ばれ、活動しているグループは、ギニアの音楽とダンスのいいとこ取りをしながら、多くの演じ手たちを生み出している。

わたしの師匠が所属するMグループは、月曜から木曜の午後に練習している。そこにぬるさなどは一切ない。間違ったり、集中力を欠いている者には、すぐさま怒号が飛ぶ。遅刻すれば罰金、またはお尻を鞭打ち、という話を聞いたこともある。監督の逆鱗に触れてしまうと、練習中立たされたままなんてこともめずらしくない。とにかく厳しい。休みなく太鼓を叩き、踊りつづけ、床に水溜りができるほどの汗が流れる。そして、また怒号が飛ぶ。昭和のスポ根ドラマのような世界だ。

では、ここまで必死になって音楽やダンスを学んだ先に何があるのか。それだけで食べていく、家族を養うということは無理に等しい。私設グループでは、給与の支払いもない。かつてのような、全国規模のコンクールなどもない。努力しても、才能と運がなければ、将来は約束されない。時に理不尽なまでに厳しい練習を耐え抜くパワー、練習場に集まる理由は、太鼓やダンスが好きだという以外にもあるように思えてならない。

写真2 派手なそろいの練習着で汗を流すダンサーたち

先輩ダンサーたちは、練習だというのに、やたら着飾って登場する。年配のダンサーは、つけ毛を編み込んだヘアスタイルと伝統的な布で仕立てた服を堂々と着こなし、若者は流行りのウィッグに市場で売れ筋のアイテムを合わせ、練習場にやってくる。外国人の弟子を伴って姿を現せば、自分の「稼ぎ」の一端を暗示することになるし、外国人の伴侶を見つけたともなれば、(実際はそんなことはないにもかかわらず)すごろくの「あがり」のような印象を与える。そんな先輩たちの姿は、後輩たちの目にまぶしく映る。うらやましくてたまらない!

将来の夢を描くということは実は簡単ではない。自分にいったいどんな選択があるのか、そもそもどんな仕事があるのか、それがはっきりとしないからだ。その点、太鼓やダンスの練習に行けば、もっとも身近なライフモデルとしての先輩に会うことができる。失業率が80%とも言われているギニアで、かれらは、具体的な未来を示す存在だ。練習がどんなに厳しくても、そこにいけば、こうなりたい!と思わせてくれる人たちがいる。太鼓やダンスの技術を磨くことに加え、若者たちは夢をふくらませるために、そこに集まってきているのかもしれない。

稼ぎをすぐに衣服代につぎ込んでしまう師匠の様子を見るたびに、結局わたしから集金することになるのだから、いま貯金すればいいのに!と半ばあきれていたが、視点を変えると、後輩たちを激励する意味があるのではないか?という気がしてくる。また、演じ手たちが練習に行くことを「仕事に行く」と表現することも、かれらの「未来の仕事」がこうして、練習の段階からすでにはじまっていると考えれば、納得がいく。

引用文献:
鈴木裕之 2015 『恋する文化人類学者』 世界思想社