あきらめられないこと—若すぎる死を悼んで(ボツワナ)

丸山 淳子

「明け方、亡くなったよ。」朝起きると、そう告げられた。昨日の昼、娘が痛がっているから鎮痛剤がほしいと、彼女の父親が私に頼みに来ていた。彼女の病気がずいぶん重いものだということも、病院からもらったたくさんの薬を服用していることも私は知っていた。だからお見舞いには行ったけど、「病院の薬と混ざるのはよくないから」と、鎮痛剤は渡さずに帰ってきた。私を見送ってくれた父親は「わかってるんだ。もうだいぶ悪い。たぶん君のもっている薬だって、もう効かないんだ」と静かに語った。だけど、それでも、私にできることが、なにかあったのかもしれない。そう思って訃報にうつむく私の腕を、お世話になっている家の母さんが、優しく擦った。「あきらめなさい。ね?あきらめるのよ。」

彼女は、町の学校に進学し、そして病気に感染し、ここに帰ってきた。それから、長い闘病生活を続けていた。それでも体調の良い日には、たまに私たちを訪ねてきてくれて、木陰でおしゃべりをしたものだ。学校教育をうけるようになった新しい世代のなかでも、とりわけ、私は勉強がよくできたのよ、と、彼女はちょっとおどけて自慢してみせた。そして、隣にピッタリくっついて座っている、彼女の小さい一人娘に、町の学校の思い出話を嬉しそうに聞かせていた。でも、最近はもうずっと、床についていた。そう遠くないうちに、こんな日が来ることを、みんな気づいていたはずだ。

彼女の家では、彼女の母親が泣き崩れていた。近所の女性たちが集まって、口々に「あきらめるしかないのよ」と慰めていた。一人娘は、家の中から出てこない。私がその家のほうを見ていると、母さんが近づいてきて、耳元で言う。「ほっておいてあげなさいね。あきらめることを知らなきゃいけないのよ、みんな。」

年配の男性たちが集まって、町の病院に遺体を運び、死亡診断書をつくってもらう手配を、それから牧師に来てもらう準備を、たんたんと進めていた。たぶん葬儀にかかるお金の話も、少しずつ始めているだろう。向こうでは若い男性たちが、小学校から大きな天幕を借り出す手はずをし、それから薪を取りにいく段取りを話し合っている。「私たちは、水を汲みに行きましょう」と、声をかけられる。若い女性の仕事は、食事の支度だ。これから埋葬の日まで2、3日か、長ければ1週間、葬儀に参列する人々が集まってくる。その参列者に振舞う紅茶やドーナツ、たぶん、家畜も屠ることになるだろう。それらを調理し、片付けるのが、私たちの仕事になる。

実は、ここで、こんなやり方で葬儀がなされるようになったのは、ごく最近のことだ。カラハリの狩猟採集民ブッシュマンとして知られるこの人々は、かつては、亡くなったその日に埋葬する、とてもシンプルな葬儀をしていたという。それが、狩猟採集をやめさせ、定住化させようとする政策が進むにしたがって、変わってきた。この国の多数派を占めるツワナの伝統的な葬儀の進め方と国民の多くが信仰するキリスト教の影響を強く受けて、新しいスタイルの葬儀が、広く普及するようになってきたのだ。

あっというまに天幕が張られ、薪が山とつまれていく。悲しんでいる暇はなくなる。大きな鍋にたくさんお湯をわかし、紅茶をいれる。いろいろな人が差し入れてくれる砂糖をお皿に移しかえ、紅茶と一緒に、参列者たちのところへもっていく。日ごろは、あまり顔を合わせない人たちも、すこしずつ集まってきた。やがて日が落ちると、焚き火の周りにみんな集まり、牧師の説教を聴き、賛美歌を歌う。母さんが、一度家に戻って毛布を抱えてきてくれた。今夜は、ここでみんなで焚き火を囲み、星空のもと過ごすことになる。

こうやって、埋葬に参列すべき人々が遠方から集まってくるまでの3日間、食事をつくり、賛美歌を歌い、みんなで毛布に包まって夜を過ごし、彼女の死を悼んだ。そのうちに、彼女の母親も、しっかりと葬儀の采配をするようになった。一人娘も、家から出てくるようになった。いつもとはちがう空気のなか、それでもときどき、にぎやかな笑い声もおこった。

明日が埋葬という日の夜。棺を乗せた車が町の病院から帰ってくる。ハザードランプを点滅させた車が、真っ暗闇のなか、こちらに向かってくるのが見えた。人々は手に手にろうそくをもち、賛美歌を歌い、それを迎える。突如、泣き声が響いた。母親が、残された孫娘を抱きかかえ、身を捩って、声を上げて、泣いていた。集まったたくさんの参列者のなかから、数人の女性たちが駆け寄り、母親の体を擦り、涙しながら「あきらめなさい」と繰り返す。

でも、本当は、みんな、あきらめきれないし、やりきれない。葬儀までも新しいスタイルに変わっていく時代のなかで、優秀な成績で町の学校にいち早くなじんだ彼女の存在は、多くの人にとって希望だったはずだ。次々と変化を強いる時代の波に翻弄されながらも、それでも若い世代はなんとかうまくやっていけるのかもしれないと、思わせてくれた。それなのに、なぜ、道半ばにして、この世を去らなければならなかったのか。彼女だけじゃない。アルコールや自動車事故や暴力事件や病気、それまでにはなかった理由で、最近、若い人たちがこの世を去っている。結局、新しい時代は、彼らが築いてきた調和を壊し、それに代わって、苦難と混乱しかもたらさないのだろうか。

棺に入った彼女が、闘病生活を送った小さな家に帰ってきた。賛美歌が途切れ、嗚咽に変わる。最後まで一生懸命に歌い続けた母さんが、そっと私の手を握った。「あきらめなきゃいけないのよ。もう戻ってこないのだから。」もう一度、自分に言い聞かせるように言う母さんの、静かな悲しみと憤りを、小さなろうそくが照らしていた。