丸山 淳子
好きだよ。愛してる。結婚しよう。男の子たちは、いとも簡単に、そんな言葉を投げかける。盛り場で、ビールを片手に、躍りながら、そうやって女の子たちを口説く青年を見て、大人たちは眉をひそめる。そして、私が盛り場で夜遊びをして帰ってくると、老人たちは必ず小言をいう。「あれは、俺たちブッシュマンの口説き方ではないよ。町の奴らがやることさ。」とおじいちゃんがいえば、「そうよ、わたしたちが少女だった頃、自分から、男の子を捜して出歩いたりなんかしなかったわ。家でちゃんと待っていたものよ」とおばあちゃんが答える。
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おじいちゃんが自慢げにかたる「ブッシュマン流正しい口説き方」とは、次のようなものだ。まず、気になる女の子ができた男の子は、親しい友人にそれを話してみる。そして友人に勇気づけられ、二人は、彼女の家を訪ねる。時は、家族や親戚が集まる夕刻がいい。男の子二人組は、控えめに挨拶をし、みんなの輪からはすこし離れて座る。迎える家族たちは、とりわけ歓迎するでもない。せっかく勇気を出して、訪問してみたものの、意中の彼女は、遠くで女の子たちとおしゃべりをしていて、こっちを見てくれるわけでもない。気まずい時間が流れる。と、突然、その家のおばあちゃんがつぶやく「あら、今夜の薪がぜんぜんないわ」。ときには、おかあさんがいう「夕食をつくろうにも、水がないわ」。所在なく座っていた二人組は、すばやく「じゃ、僕たちが薪とってきます」「水もくんできます」と立ち上がる。薪をもって帰ってきても、水をくんで帰ってきても、肝心の彼女は、ちらりともこちらを見ない。しかたがない、今日は帰ろう。
だけど、ここでめげてはいけない。次の日の夕刻、二人はまた連れ立って彼女の家を訪れる。やっぱり彼女はこっちをみない。それでもしばらく座っていると、誰かが何かをつぶやく「○○がないなぁ」。二人はいそいそと立ち上がり、お手伝いに精を出す。そしてまた彼女とは一言も交わさないまま、その日もおわる。こうして来る日も来る日も彼女の家を訪れるのだ。ときには狩りでしとめた獲物を手みやげに持って行き、どうにか彼女に手渡すことができる日もある。ときには思い切って「お水を一杯ちょうだい」といってみる日もある。そうやって、少しずつ彼女との距離を縮め、そして彼女の家族たちに受け入れられていく。
頃合いを見計らって、友人が「僕といつも一緒に訪ねてくる彼は、君のことを訪ねてきているんだよ。君は彼のことをどう思うの?」と身代わりで告白する。彼が献身的に働いていれば、ついには、女の子の家族たちも、彼の味方になって、彼女にプレッシャーをかけ始める。「彼は毎日、あなたを訪ねてきているのよ」「よく働くし、いい人なんじゃないの?」こうしてめでたくお目当ての彼女を口説き落とすことに成功するのだ。
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ようするに「周りから固める」というやつである。なんだかまどろっこしいなぁ、と私がつぶやくと、お世話になっている家のお母さんが、横で笑い出した。聞けば、彼女も、そうやってお父さんに口説かれたんだという。毎日訪ねてくるお父さんがいやで、遠くに住む親戚のところに逃げて数週間を過ごしてみた。さすがにもう来なくなっただろうと思って、帰ってみると、彼はまた訪問してくる。しかも自分の留守中にも毎日やってきて、すっかり自分の家族と仲良くなっていたのだという。しかたがないから、また別の親戚のところに避難し、数週間後、再び家に戻った。するとやっぱり彼がいて、せっせと水くみなどをしている。そして家族たちから「彼は働き者よ。彼と一緒になりなさい」と諭され、私は観念したのよ、お母さんは笑う。でも、今となってみれば彼と結婚してよかったわ、自分の家族を大切にしてくれる人と結婚するのが一番よ。若いときはわからなかったけど、老人たちはちゃんと知っていたのよね。
いまでは、おとうさんとおかあさんは、ふたりそろって働き者の夫婦になった。
新しい家も、ふたりで協力して、建てている。
人と人のあいだに築かれるいくつもの関係に、細やかな気遣いをし、そのあいだの調和を保つことに細心の注意を払う。それこそが、たぶんおじいちゃんたちのいう「正しい口説き方」なんだろう。たしかに、恋愛だけでなく、彼らはいつもそんなふうに人間関係を築こうとしているように思う。そういや、とお母さんは、続けていった。あなたのとこにもそうやって訪ねてきていた青年がいたじゃない、あなたは気に入らなかったみたいだけど。そういわれてみれば、ずいぶん前、この家の親戚でもないのに毎晩、友人と訪ねてくる青年がいた。そうか、そうだったのか・・・。どうやら私はまだ、ブッシュマンのような、人間関係に対する繊細で丁寧なセンスを身につけていないらしい。