ありとあらゆるものをみる

八塚春名

軽快に歩いていたシンビの足が、はたと止まった。同時に他のふたりも真剣な表情で地面を見て足を止めた。彼らはあたりを見渡して、「これは今朝だ、さっきだ」、「しかも凶暴な「アイツ」だ」、「アイツはまずいな・・」、「どっちに行った?」、「あれ、1頭じゃないんじゃ・・・、2頭だ」、「いや、これは群れだ」と、立て続けに状況を判断しだした。なんのことかわからずポカンとしていると、地面にある大きな丸が、ゾウの足跡だと説明された。「アイツ」というのは、彼らが個体識別をしている凶暴なオスのゾウのこと。よく見ると、地面の丸はそこらじゅうにあった。

タンザニア北部のンゴロンゴロ自然保護区の南縁で、シンビとサイトティとジュリという、狩猟採集民ハッザのおじさん3人に、わたしは植物採集を手伝ってもらっていた。一緒に歩くあいだにも、ゾウの糞は毎日のように見たし、ゾウが倒したという木がわたしたちの行く手を塞いでいることもあった。それらはゾウが最近にここを通った証ではあっても、今ここで注意をしなければいけないほどの直近のできごとではなかった。でも今日は違う。「これはさっきだ。日の出前の5時とか、そのくらい。だからまだ近くにいるかもしれない」と3人はかなり真剣だった。

足跡を読むシンビ

 

糞にはもうすっかり慣れていたわたしも、さすがにゾウの群れが近くにいるかもしれない、しかも凶暴な1頭が含まれていると聞いたら、とたんに恐ろしくなった。わたしは3週間前に足を捻挫したところで、まだうまく走ることができない。彼らから「ハルナのその足じゃ、ゾウが来ても走れないね」と冗談半分に言われていたことが、急に現実味を帯びてきて、一気に鳥肌がたった。

「危ないから帰る?」と聞くわたしに、「どっちに行ったか見てくるから、ここで待っていなさい」というシンビ。シンビとサイトティは弓矢を持っていた。でも、「ゾウに弓矢は意味がない。ゾウに向けて矢を放ったら怒ってこっちに向かってくるだけだから、ゾウは逃げるしかない」と、ほんの数日前に、彼らはわたしに言っていた。しかも「国立公園にいるゾウと、人の住処の近くに出てきたゾウは、性格がぜんぜん違う。こっちに来ているやつは恐ろしい」ということも、彼らから何度も聞いていた。そしてそのことは、アフリックのゾウプロを通して、わたし自身もよく知っていた。シンビは「ゾウのことはよくわかっている、どう動けばいいかわかるから」と言い残して、ゾウの足跡を読みに行ってしまった。

15分くらい経って、シンビは戻ってきた。私たちが進もうとしている方向にはゾウの足跡がひとつもなく、ゾウの群れはこの辺りでもと来た方へ引き返したに違いない、だからだいじょうぶだと報告してくれた。そして私たちは目的の方へ歩き出し、植物採集を続けた。

この日、ゾウだけでなく、インパラ、バッファロー、エランドの足跡もあった。エランドはとても大きなアンテロープで、脂肪を蓄えた肉はとてもおいしいらしい(残念ながらわたしは食べたことがない)。群れだと推測されるたくさんのエランドの足跡には、どっちへ行ったのかと今にも追いかけそうなほど、3人は夢中になっていた。

足跡を読んでいる彼らを興味津々に眺めるわたしに、シンビが語った。「狩猟に行くと、もちろん足跡をよく見る。でもそれだけじゃない。足跡からどっちに行ったのか判断し、それならむこうにこんな植物があったとか、あっちで休んでいるだろうとか、たくさん頭を使って動物の行動を推測するんだ。それで、自分たちは少し逸れたルートを通って、動物が行く場所に先回りするんだよ。」「狩りは、足跡だけじゃない、ありとあらゆるものをみるんだ。」

ありとあらゆるものをみる、というのは狩猟の時に限った話ではない。植物採集を手伝ってもらっていると、彼らが個々の植物がどこに生えているのか、地図に細かく印をつけるように頭の中に記憶していることに気が付く。この日は、Molongodakoと彼らが呼ぶ植物を目当てに歩いていた。ゾウの足跡に出会い一時中断したものの、その後、シンビの完璧な記憶により、1本だけ生えていたMolongodakoに辿り着いた。Molongodakoは根や樹皮が薬になるとても有用な植物で、幹は棘だらけなので、たしかに記憶には残りやすい。それでも、1時間ほど歩いた先のブッシュのなかの、たった1本だけ生えているMolongodakoに迷わず辿り着けることに、わたしは驚き、深く感心した。すごいすごい、というわたしに、シンビは当たり前のことのようにこう言った。「オレらは歩いている時、ハルナみたいにただ歩いているんじゃない。何が生えているか、ここにこの薬があるなとか、今度ここに実を採りに来ようとか、周りを見て、記憶しながら歩いているんだ。」

Molongodakoについて説明をしてくれるシンビ

「ただ歩く」のに必死なわたしは、ノートとペンとGPSとカメラといったモノに頼って出来事や植物の名前を記録し、なんとか記憶をつないでいる。そんなわたしにとって、この日のシンビのセリフはすべてがかっこよすぎて、ほれぼれした。道も植物の名前もなかなか覚えられず、ゾウから走って逃げることもできないわたしが、今世でシンビの域に達することは、残念ながらきっとない。それでも、日本のビルだらけの大都会で方角がわからず道に迷い、「山や川や木々があれば道が覚えられるはずなのに」と文句を言うとき、もしかしたら、わたしにもほんの少しだけシンビたちに近い感覚があるのかもしれないと思ったりする。もっと言うと、彼らのように「ありとあらゆるものをみる」感覚を養うことができるなら、わたしも少しは方角を見失わず、途方に暮れずにすむかもしれない。