ひとつのマンゴーが広げる世界(タンザニア)

八塚 春名

「日本では、いつもそんなに値切るの?」

ある日、久しぶりに町に出かけた私は、村から一緒に来た友人セメニと市場へ出かけた。村ではほとんど手に入らない大好きなマンゴーを手に取り、「まけて!でなければ、ひとつおまけにつけて!」と私はさっきからずっと売り子の青年にせがんでいた。結果的に小さなマンゴーをひとつおまけにもらって喜んでいた私に、セメニがそう尋ねた。

外国にいけば、値切るのは当たり前。ずっとそう思っていたし、海外旅行をする時は、「いくら?」と「まけて」の2語を覚えることが基本になっていた私。当然、タンザニアでもずっとそうしてきた。値札なんてついていない町の市場で、外国人に最初から正しい値段を言ってくれる人は少ない。ふっかけているんだから、と勝手に信じ込み、値切ることが当たり前になっていた。時には法外な値段を言われ、「あんた、外国人だからって、だましているでしょ!もう絶対に買わない!」と怒ったこともあったかも。しかし村は違う。ほとんどの人が顔見知りの村で、ふっかけることはあり得ない。みんなお金なんてない。でも、信頼関係で成り立っている村で、ふっかける、だます、なんてことはしない。むしろ、遠く日本からひとりでやって来た私はいつも優遇され、ハルナだから、という理由でおまけをつけてもらったり、時にはタダでもらったりしていた。そんな村で生まれ育ったセメニにとって、村では見ない私のしぶとく値切る姿は、ひどくびっくりしたものだったようだ。

信頼関係で成り立つ村での酒の販売。聞くまでもなく値段は一定。

日本ではそんなに値切るのかとマジメな顔で聞かれ、私はなんだかとても恥ずかしくなった。日本で値切った経験なんてほとんどない。どうして私は「外国=値切る」と勝手に思い込んでいたんだろうか。セメニのその一言は、私をひどく混乱させた。

マンゴー売りにはマンゴー売りの事情がある。少しくらいふっかけて、ちょっとくらい余分に小金を稼いで、終わったらコーラの1本でも飲みたいかもしれない。子供にアメのひとつでも買ってあげたいかもしれない。いろんな人がいて、いろんな物がごちゃごちゃ溢れかえるアフリカの町で、そのくらいのずる賢さは必要なのかもしれない。私は学生だし、仕事もない。でも、日本人であるというただそれだけの事実によって、確かに、かれらよりは多少お金を持っている。ならどうして、たかがマンゴーにケチケチまけてくれとせがんでいるんだろう・・。ちょっとくらい高くてもいいか、あとで彼がコーラでも飲めればいいか、どうしてそう思えないんだろう・・・。

いや、もしかしたら事情なんて何もなく、本当に「外国人=ふっかける」を実践しているだけかもしれない。でも、私だって「外国=値切る」を当然のように実践していたわけだし・・・。

いやいや、私はただ単に、自分を周りのタンザニア人と同じ扱いをしてくれない売り子に腹が立っているだけかもしれない。スワヒリ語だって話しているし、服だってタンザニアで買った物を着ているのに、どうして私はいつまでも外国人扱いなんだ・・・。いろんな思いが交錯した。

すべてがごちゃごちゃしている町。村へ行くバスの出発地点にも、お土産売りがたくさん来る

結局、今でも私はその時の気分で、ふっかけているとわかっても買っている時、しつこく値切る時、怒る時。これらが順番にやってくる。売り子も同じなのかもしれない。ふっかける時、絶対に引き下がらない時、簡単にまけてあげる時、最初から安い値段を言う時。その時の気分しだいでこれらが順番にやってくるだけのことなのかもしれない。

スーパーで値段が表示された品物をカゴに入れ、レジが合計金額を示す。誰とも会話をしなくても買い物ができる日本。でも、アフリカは違う。市場では値札のない商品が所狭しと並べられ、売り子は道行く人に声をかける。そしてそこで交わされる値段の交渉。最初、典型的な現代日本人だった私は、この作業が鬱陶しくて、必要な物を買ってさっさと帰る、そう心がけていた。ふっかけられるのは腹が立つし、値切るのはしんどい、会話もダルイ。そう思っていた頃もあった。でも、市場に何度か通ううちに、鬱陶しさは消えていった。ふっかけられ、交渉し、値切ってもらって、いつの間にかスワヒリ語を褒められ、今日着ている服の話、私の調査の話、日本の家族の話、売り子の出身地の話・・・いろんな話に花を咲かせ、最後にはおまけをもらう。こうして、たったひとつのマンゴーを買うのに30分かかったこともあった。しかし、また次に市場に行った時、かれらは必ず私を覚えていてくれ、その時店にある、一番サイコーのマンゴーを選んでくれる。たったひとつのマンゴーは、私に市場での友人を紹介し、再び市場を訪れる楽しみを創ってくれる。何から何まで人とのコミュニケーションを介する世界。それが、アフリカなのだ。

値切るという行為は、ただまけてもらうことだけが目的ではない。そこに広がり得る人間関係を期待してのこと。そう自分に言い聞かせ、私はこれからもきっと値切り続け、市場での会話に花を咲かせ続けることだろう。一方、私のしぶとく値切る姿に驚いていたセメニは、今ではタンザニア1の大都市ダルエスサラームに住んでいる。きっとセメニもしぶとく値切る方法を体得し、市場でマンゴー片手に話し込んでいるのではないだろうか。

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。