井上真悠子
「タンザニアには、ティンガティンガって呼ばれてる絵があってね・・・」
私が初めてその絵を見たのは、大学の教室だった。その年、初めてのタンザニア渡航をひかえた私たちに、引率担当の先生が見せてくれたその絵は、薄暗い教室の蛍光灯の下、赤と黒の、強く陰鬱な、血豆のような色彩を呈していた。パステル画のような柔らかな色あいの絵が好きだった私は、好みの絵じゃないな、と即座に思った。それは妖怪のような、ぐにゃりと曲がったレイヨウを描いたティンガティンガだった。
ティンガティンガは、外壁塗装に使われるごくふつうのペンキを使って描かれる絵だ。青・赤・黄の三原色に白と黒のペンキさえ買えば、画家たちは自らの手であらゆる色をつくり出すことができた。だが混色によって生み出された色彩は、どうしても彩度が低くなる。最近のティンガティンガが以前より高い彩度で描かれているように見えるのは、純度の高いさまざまな色のペンキが手に入る時代になったからだろう。少なくとも20年ほど前のティンガティンガは、混色によってつくり出された彩度の低い色彩を、大胆な曲線とセパレーションを駆使することであざやかに引き立ててみせていた。もともと自分が描くより、人が絵を描いているところを見るのが好きだった私は、しばらくこの奇妙なレイヨウと見つめ合ったあと、いったいどういう人間が、どうやってこれを描いているのか、知りたいと思った。
タンザニアの観光地には、ときどきキャンバスが干してある。その近くに画家たちの作業場がある。観光客から見えるところで描いている画家もいれば、見えないところで描いている画家もいる。天日に干されているキャンバスに初めて出くわしたのは、タンザニアのダルエスサラームにあるヴィレッジ・ミュージアムの中庭だった。強い日差しにクラクラしながら中庭を歩いていると、地べたに干されているキャンバスに描かれたムナジロガラスたちと目が合った。その瞬間、ムナジロガラスたちが一斉に、羽ばたくように輝いた。光沢のあるペンキで描かれたティンガティンガは、タンザニアの強い太陽光を浴びたとき、まるで命が宿ったかのような躍動をみせる。教室の蛍光灯の下では眠っているかのようにおとなしかったペンキ絵は、タンザニアの太陽の下では驚くほど生き生きとした表情をみせていた。
タンザニアの観光地で描かれている絵は、ティンガティンガだけではない。特に海辺や北部の観光地では、牧畜民マサイをモチーフにした絵がよく売られている。絵筆で描かれるティンガティンガとは異なり、自動車整備用グリスをペンキに混ぜて、ペインティングナイフで描くタイプの絵だ。描き方や絵の雰囲気はティンガティンガとずいぶん異なるが、使用しているペンキやキャンバスの張り方、下地の塗り方など、画材の扱い方は共通している。これらは、独学で習得できるものではない。画家たちに来歴を尋ねると、描く絵の種類にかかわらず、同じようにキャンバスを張る同世代の画家たちにはみな、共通の知り合いがいた。
写真① タンザニア北部ムトワンブ近郊のみやげ物絵画
今でこそサファリツアーやビーチリゾートなどで人気のタンザニアだが、観光化が本格化したのは1990年代、ほんの30年ほど前だ。この30年で、経済的中心地ダルエスサラームのほか、島嶼部ザンジバルや国立公園があるタンザニア北部など、あちこちの観光地でさまざまなみやげ物絵画が描かれるようになった。だが各地の画家たちのルーツをたどってみると、みな最終的には、半世紀以上前からダルエスサラームにあるティンガティンガの画家集団とのつながりが見えてくる。数十年前、彼らの中のある者は近しい人たちに技術を教え、ある者はタンザニアの観光化がはじまった頃、新天地へと移動した。商才ある者は仲間たちの絵を集めて観光地に店を開き、販路を確保して後進を育ててきた。
20年前、ザンジバルで私の調査に多大なる協力をしてくれた彼は、「商才ある者」の一人だった。ティンガティンガの創始者と同じマクア民族に出自をもつ彼は、もともとダルエスサラームでティンガティンガを描く画家だったが、ザンジバルではナイフペインティングもよく描いていた。ダルエスサラームのティンガティンガの画家たちも、ザンジバルのナイフペインティングの画家たちも、みな彼のことをよく知っていた。タンザニアのみやげ物画家たちは、知り合いを伝って他の観光地に出稼ぎに行く。ザンジバルの彼の店にも、出稼ぎ画家たちが頻繁に短期逗留していた。タンザニア北部のみやげ物屋にいた画家も、昔ザンジバルに出稼ぎに行った際には彼に世話になったと言っていた。
今年、15年ぶりに再会した彼は、視力を失っていた。
二年ほど前から、彼の調子が良くないことは人づてに聞いていた。ダルエスサラームの自宅で療養しているのかと思っていたが、ザンジバルにいると聞き、彼の店に行ってみると、数人の若者たちが店の前で絵を描いていた。その中の一人の横顔を見て、私は思わず彼の名前を呼んでしまった。
「シャイブ!」
ぱっとこちらを向いた顔は、あどけない、明らかに20代の若者だった。そんなわけがない、シャイブは私より年上だ。30年もティンガティンガを描き続けてきた50代の画家だ。
「ごめんね、人違いだ。あなたが私の知り合いによく似てたから」
苦笑いして謝ると、あどけない顔の若者は、ぱああっと満面の笑みをうかべて叫んだ。
「シャイブ!?シャイブって言った!?シャイブ、そこにいるよ、ほら!ムゼー!俺、似てるって!」
若者が向いた先に、シャイブ本人が座っていた。顔はこちらを向くが、目は合わない。本当に目が見えないのだ。だがそれ以外は、以前と変わらない彼のままだった。シャイブの息子だという若者は、正面から見るとそうでもないが、下を向いた横顔がシャイブにそっくりだった。まだ彼の視力が残っていた数年前に、彼から教わり絵を描きはじめたらしい。
目が見えない彼は、目が見えないまま、キャンバスを張っていた。30年も張り続けたキャンバスだ。目が見えなくても、手の感触と打撃の音で「見えて」いる。たゆみなくピンと張られた真っ白なキャンバスは、もう何年もキャンバスを触っていない今の私が張るよりも、よほど美しく張れていた。20年前、彼について大量の木枠を担ぎ、市場で布を買い、使い古しの釘とトンカチがわりの木材で、路地裏で二人並んでキャンバス張りをしたことを思い出した。
「アッサラーム・アレイクム」
彼の手を握り、耳元でわざとらしくザンジバル風の挨拶をすると、彼はゆっくりと私の方を向き、にやりと笑って私の名を口にした。彼の背後では、タンザニアのまばゆい太陽の下、若者たちが大きなキャンバスに色とりどりの絵を描いている。
写真② ザンジバルに新しくできたみやげ物絵画売り場、通称「コリドー」






