『酒を主食とする人々 エチオピアの科学的秘境を旅する』高野秀行=著

紹介者=山口 亮太

本書は、ノンフィクション作家である高野秀行氏が、テレビ番組「クレイジージャーニー」の取材としてエチオピアの酒を主食とする民族を訪問した際の舞台裏を記した旅行記である。エチオピアで酒を主食にする人々、と聞くとピンと来る人もいるかもしれない。そう、アフリックのおすすめアフリカ本でも既に紹介された砂野唯さんによる『酒を食べる-エチオピア・デラシャを事例として-』(アフリックでの紹介記事はこちら)である。高野氏は、砂野さんの本を読み、いつかデラシャのもとで酒を主食に生活してみたいと夢想していたのだという。そんな彼のもとに、番組プロデューサーからコンタクトがあり…というところからエチオピアへの旅は始まる。

本文の舞台は、大きく分けるとエチオピア到着から首都アディスアベバでの滞在、南部のコンソの居住地域、そして酒を主食とするデラシャの居住地域である。コンソという民族も1日のうち、2リットル程度の酒を飲んで栄養を摂取している人びとである。ただ、コンソはソルガムの団子や豆などの固形物も多く摂取している。それに対して、デラシャは酒の量は1日5リットル、しかも大人になると固形物を殆ど摂取しない。従って、高野氏らの旅程は、酒の摂取度合いでは比較的マイルドなコンソの地域で身体(と胃袋?)を慣らしてから、より本格的なデラシャの地に滞在するという形になっている。

アフリカのみならず、世界中を旅して取材してきた高野氏である。テレビのクルーを引き連れての取材もお手の物かと思いきや、日本出国前からトラブルに次ぐトラブルで、読んでいるこちらも心配になる。もちろん、豊富な経験をもとにトラブルはどうにか乗り越えられていく。フィールドワークを長くやっていると、どれだけ慣れてきてもトラブルを未然に防ぐことはできず、ただ対処の方法が分かってくるだけだと感じることがあるが、高野氏ほどのベテランでもそうなのかと妙に感心してしまった。

また、興味深かったのは、高野氏一行がコンソの地でもデラシャの地でも、まずは高級ホテルのようなキャンプ地を宿泊施設としてあてがわれる点である。デラシャはそれほどでもないようだが、コンソの場合は西洋からの観光客もそれなりにやって来ているのだという。エチオピアの中でも多数の民族が独自の文化を残している南部にやってくる旅行客が、どういうスタイルを求めているのかが伺える。ただ、面白いのはそこではない。キャンプ地の高級ホテルを皮切りに、一行は地域住民からの良く言えばホスピタリティにあふれた、悪く言えば過剰なもてなしを受けていくことになる点である。詳しく書くとネタバレになってしまうが、過剰なもてなしは遂にヤラセの域にまで達してしまう。クレイジージャーニーは、過去にヤラセ取材が発覚したことで放送休止にまで追い込まれたことがある。そんな番組が、今度は取材対象のヤラセに引っかけられているのである。高野氏は、その偶然の一致を面白がりつつ、過去にヤラセ取材をした東京の番組製作スタッフと今回ヤラセをしたエチオピアの住民たちは、同じ様な動機に基づいていると喝破する。前者の場合、良い番組を作りたいという欲求と、良い番組にしなければならないというプレッシャーがあったはずである。後者の場合、取材されるならできるだけ良い姿を撮ってもらいたいという欲求、上手く取材してもらえれば海外からの旅行客が増えるかもしれないという期待、そして、大金を準備してやって来た外国人の期待に応えなければならないというプレッシャーである。地方行政の関係者も関わっていたようなので、現場で対応にあたった人々はそちらからのプレッシャーにも晒されていただろうと推測できる。

この部分を読んでいて、私自身のフィールドワークはどうだっただろうかと振り返らざるを得なかった。調査対象の人々には、私の調査が成功すれば、他にも人類学者を呼んできてくれるかもしれないという期待があったはずである。また、わざわざ調査に来ている私の期待に答えてやらないといけないというプレッシャーもあっただろう。そうした彼らの期待とプレッシャーの上に私の調査と滞在は成り立っていたのだなと改めて考えさせられた。それと同時に、数ヶ月に渡る滞在の場合、滞在初期にはひっきりなしの訪問者やもてなしが続くが、一ヶ月を過ぎる頃になるとそれもまばらになり、落ち着いた、穏やかな日々が訪れるものだということも思い出した。調査と称してノートとペンを片手に聞き取りをするよりも、何気ない日常的な会話をする時間が多くなっていく。そういうときにこそ、ハッとするような話が聞けるものである。

このように、高野氏のファンだけでなく、フィールドワークの初学者、ベテラン諸氏も本書を読めばそれぞれに何か考えることがあると思う。主食としての酒の話だけでなく、何気ない描写や近隣諸国のエピソードなどから、エチオピアやアフリカでの生活について学ぶこともできるだろう。是非、種本である砂野さんの作品と合わせて読んでみてほしい。なお、上記のエピソードがあったものの、最終的に高野氏は念願叶って酒を主食とする生活を垣間見ることができた。ご本人も酒を主食としてしばらく過ごすが、この10年あまりの中で一番体調が良かったと記されていた。酒には、そして人体には、まだまだ知られていない側面があるようである。ただし、コンソやデラシャの酒は、どぶろくのようなものである。ビールや日本酒をガブガブ飲むのとは訳が違うので、そこをお間違いなきよう。

書誌情報
出版社:昭和堂
発売日:2025年1月22日
単行本:280ページ
ISBN:9784860114954
出版社のサイト:https://www.webdoku.jp/kanko/page/9784860114954.html
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