人生と縁(モーリタニア)

米田 有佳

「おはよございまーす!」

朝8時過ぎ、いつもの爽やかな片言の日本語の挨拶に、いつものように、メールや報道をチェックするパソコンから目を離し顔を一瞬執務室の入り口に向ける。

「おはよーございます、アチェさん!」

これを受け、満面の笑みで手を振りながら隣室への挨拶へと去っていく。在モーリタニア日本国大使館運転手の一人、アチェさんだ。

私は、西アフリカの砂漠に覆われたイスラーム共和国・モーリタニアで、日本国大使館でかれこれ1年半ほど勤務している。日本人職員11人、現地職員10人で、小規模とされる大使館だ。アチェさんは勤続3年、現地職員の中でも「モーリタニア大の宝」と館員一同から愛されている40歳(年齢を聞いたとき、その若々しい容姿・雰囲気から30代前半くらいに思っていた私はたいそう驚いた)。モーリタニアには政治・経済的に力の強いアラブ・アフリカ系と力の弱いサブサハラ・アフリカ系が混在しているが、後者の中でも特に勤勉であると評されるプルという民族の出身である。

大使館運転手(当館には一般館員用2名と大使専属1名)は、館員が外出する時の足となるだけではなく、省庁や他の大使館等への文書や届け物の配達、銀行への支払い、諸々お遣いも引き受けつつ合間にもちろん洗車等の車のメンテナンスも行う。日々忙しそうな中、アチェさんは常にニコニコ愛想よく身なりも小ぎれいで、他の現地職員さんが本当か仮病か結構な頻度で病欠・遅刻する中、正式な休暇以外で突然休んだことも遅刻したことも、体調悪そうにしたことも私の知る限りない。健康管理もしっかりしているのだろう。お昼休みに館内の台所に入ると、他の職員がソースやパン屑や米粒をまき散らしたまま立ち去った後の電子レンジや台を黙々と掃除していたり、一緒に外出中、モーリタニア人は非常に運転マナーが悪いので、信号無視、無暗な追い越し、携帯通話といった危険運転に遭遇する(しない方が稀)度に「これだからモーリタニア人(ちなみに、サブサハラ・アフリカ系の人たちが「モーリタニア人」という場合、アラブ・アフリカ系モーリタニア人を指していることが多い)はダメなんだ、自己中心的で、ちょっとしたルールも守れない人たちばかりだからこの国は発展できないんだ」とぼやいたり、初めて行く場所が配車予定にあると知れば、適当になんとなく向かって迷い依頼者の予定に響くといった事態を避けるため、業務の合間にきちんと下見をしてくれていたりと、他の大半のモーリタニア人の行動傾向に照らすと、よい悪いは別として、モーリタニア人らしくない。

やはりそれには理由があった。彼は、7年間とあるベルギー人の下で働いていたという。中等教育までしか受けず、10代後半から電気工、通信技術者、小売商などとして細々と生活を繋いでいた当時26歳のアチェ青年は、EU大使館に勤めていたベルギー人に最初は庭師として雇われた。

しかし、アチェ青年の働きぶりと向上心を買った雇主は、彼に(当国における主要言語である)フランス語と情報通信教育の教室に通わせ、運転免許を取得させて、雇主自身もどこに同伴させても恥ずかしくないように服装や立ち振る舞いを指導し、家屋、家計管理から雇主の秘書業、車の運転まで、一家をあらゆる側面から支える存在として育てあげた。ひいては、異動先のアルジェリアにまでも彼を連れて行き、異国での経験を与えた。

大使館行事でバッチリ決め姿のアチェさん

いつでも綺麗好きを遺憾なく発揮するアチェさん

そのベルギー人はアルジェリアで定年を迎え、今は母国で余生を過ごしているそうだが、アチェさんは「彼との出会いが自分の人生を変えた。本当に息子同然に、あらゆることを教えてくれ、与えてくれた。自分も父親のように思って感謝しきれないし、今でも連絡を取り合っているよ」という。

貧しい環境に埋もれていた1人の若者は、運命的に見いだされ、今では教育熱心な2児の父として、日本大使館運転手であることを強く誇りに思って日々活き活きと生きている。我々も彼のような職員がいてくれ、幸運だ。今の人生は本人の努力と人柄の賜でもあるが、残念ながら、この国ではアチェさんのように自分が持っているものを発揮できる機会に巡り会える人は多くない。

私の身近にも、家(4戸の集合住宅)の住み込み管理人で、29歳同い年のイッサというマリ人青年がいる。常に陽気で、私が遅くに帰ると「ボンソワールマダム、今日も仕事多かったのか、ちゃんと休めよ」などと一言気遣ってくれたりといいやつだ。

普段は元気に機嫌良さそうにしているが、同い年の私が遅くまで働いているのを見ていて大変そうだな、と思う一方で、自分は頑張りたくても頑張れる場所が見つからない、出張や旅行でしばしば外国に行けるような自由もお金もない、と羨ましく感じている様子を見せることがある。一度、会計学の学位修了証を私に見せ「これが必要なもっといい仕事がしたい」と漏らしたことがあった。先日、「パリに出張行くから3日家空けるね」と伝えると、「また海外か!」と声を上げつつ、今まで一度もお金や物の無心をしたことの無かったイッサが、初めて「おれ、かっこいいワイシャツが欲しい・・・」とこぼしたときは、なんだか申し訳ないというのか、悲しくなった。


イッサ。写真を撮ってもいいか聞くと、「待て!シャワー浴びて着替えるから!」

イッサは、昨年故郷マリで妻を娶った(まだ17歳の高校生らしい)ものの、もちろん離れ離れで暮らしており、毎日電話しているようだが、1年で2回ほど数週間の休みをとってマリに帰っているときにしか直接会えない。だからといって、今マリの彼の故郷帰っても、現在よりいい仕事に出会える保証はない。

私はイッサの人生を変えるような何かはできないし、彼も時々話し相手になる以上の期待を私にはしていないだろうが、1年半の付き合いの仲で、しかるべき所にいけばきっと花開くであろうと思える彼が、遠くないいつか、アチェさんのように自分の能力を活かせる機会に巡り合うことを願っている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。