『ナイルの奥地—スーダン紀行』 リチャード・ウィンダム=著、中西秀男=訳

紹介:服部 志帆

この本はイギリス人の画家リチャード・ウィンダムが1935年にナイル川の上流を旅した際に記した旅行記である。彼が旅した地域は、当時イギリス領エジプト・スーダンと呼ばれており、シッルクやヌエル、ディンカなどが独自の生活を営んでいた。本書でウィンダムは、旅をしながら目にした自然や民族の暮らしを軽快かつ詳細に紹介している。

私は昨年この本に神田の古本屋で出会った。古本屋に行くと、職業柄アフリカ関係の本についつい手が伸びる。「ナイルの奥地」と書かれた背表紙に目が留まり、本棚から本を取り出した。そこにあらわれたのが、ニシキヘビの皮を広げたような表紙であった。この本は古くなるにつれ、ますますまがまがしいオーラを放っているようにみえ、レジに向かうのに時間はかからなかった。

読んでみると、表紙がそのまま文章になったような書き方であった。詩情、ユーモア、そしてなかなかの毒気がある。これはウィンダムの性格によるものだろうが、なんの躊躇もなく本音を皮肉まじりに表現する手腕は痛快であった。また、表紙のあとに続く16枚のモノクロの写真は美しい。このような眼差しでウィンダムが現地の人々を見ていたのかと思うと、熱のこもった文体にも納得がいく。ウィンダムにとって、ナイルの奥地に暮らす人々は何よりも美しい被写体だったのだろう。

たとえば、ディンカの踊りについてウィンダムは「唄は壮絶な戦闘の叫びであり、無残な死の賛歌である。・・・・ドラムの音までがただ大地の奥の幽かな鼓動となる。・・・・音の真空だ。・・・・唄はますます狂いに狂っていよいよ高らかになり欲情的になり限りなくやさしくなる・・・嵐に吹かれる高いポプラの木のように。」と、言葉を尽くしてその美しさを表現する。そんな時に、まざまざとロンドンの社交界の様子を思い出すのがウィンダム流のユーモアと毒気である。人の迷惑を顧みず踊りをやめないアメリカ人、腹をゆすって踊る侯爵、鏡に踊る自分を映して満足げに眺める連中、ダンス教室に通って関係者一同をうんざりさせたウィンダム自身は、美しさの対極にあるものとして描かれる。

旅行記の多くがそうであるように、この本もまた筆者が生まれ育った「文明世界」をスーダンで経験したみずみずしい体験によって眺めなおしている。ただしウィンダムは、単純な「未開」崇拝者ではないことを述べておかねばならない。差別的ととらえられかねないような表現があるもの事実である。しかし彼は「奥地」に暮らす人々をたんに蔑んでいるようにはみえない。ウィンダムの記述に散見される、情熱的な身体表現への畏怖や無駄のないしなやかな体躯への羨望は彼のアフリカ観の中心をなしているようにみえる。このような中心を垣間見るたびに、私は自らの調査対象である中部アフリカの踊りの民を思い出し、ひそやかに共感の念を抱くのである。正直なユーモアと毒気があり時にたぐいまれな美しい描写をのぞかせるこの本を私はおすすめしたい。

書誌情報

出版社:創樹社
発行:1973
単行本:281頁