左手のタコ —野菜きざみの勲章—(タンザニア)

近藤 史

「あなたはこの村に来てよかったわ、ベナは毎日ちがうものを食べるから」。同じタンザニア国内でも乾燥の厳しいドドマ地域で調査している友人の話になると、決まってお母さんが言うセリフだ。私がお世話になっているタンザニア南部高地の村では、いつでも新鮮な野菜(菜っ葉)を食べられる。そこに住むベナの人たちは乾季のあいだも湿地の水を利用して谷地畑を耕作するので、雨季に耕作する丘陵斜面の畑や庭の菜園とあわせて、いろいろな野菜を少しずつ植えれば、一年を通じて野菜が手にはいるのだ。

谷底の湿地を耕しに行く

私たち日本人にもなじみ深いものでは、キャベツや菜の花。菜の花といっても蕾ではなく葉っぱを食べるのだが、ピリリとした辛みがあってクセになる。同じアブラナ科で、白菜に似た結球しない野菜レープもあっさりしていて食べやすい。京野菜で知られるツルムラサキは、日本で栽培されているものより小振りな葉っぱが柔らかく、えぐみもない。少し粘り気があってつるんとしたのどごしは日本人好みだろう。意外なところでは、カボチャやインゲンマメ、エンドウの葉っぱがある。もちろんカボチャの実やインゲンマメ、エンドウの種子も食べるのだが、育てる過程で少しずつ葉っぱを摘んで野菜としても利用する。それぞれ独特な風味が味わい深い。とくにエンドウの葉っぱは甘くておいしいと思っていたら、最近は日本でも豆苗が売られるようになった。

シコクビエ畑に混作された野菜を摘む

こうした野菜はいずれも包丁で細かく刻んで、少量の油で炒め煮のように調理する(注1)のだが、なぜか台所にアレが見当たらない。そう、まな板だ。お母さんたちは束ねた野菜を左手につかみ、親指で押さえながら、人差し指の付け根に包丁をあてて、指の側面に沿って器用に刃をすべらせながら数ミリ幅に刻んでいく。包丁の切れ味が悪いので、多少方向を誤っても血が出るような怪我はしない。ホームステイ先で晩ごはんのおかず調理を担当することになった私も、最初はおっかなびっくりで包丁を扱っていたが、切れない包丁に慣れるうちに大胆になり、左手の人差し指には表皮だけ切れた細かい傷がいくつも刻まれていった。数か月もたつとそこが固くなり、ペンダコならぬ包丁ダコ?の様相を呈してきた。昼間、いろいろな家庭の畑に調査でお邪魔するが、このタコを見つけたお母さんたちは笑って野菜を摘んでくれるようになった。「あら、あんたもすっかりベナの女ね。そこの野菜、今夜のおかずに持って帰りなさいよ。」

ある日の食卓。右上:ウガリ、左上:インゲンマメの煮豆、下:菜っ葉の炒め煮。

(注1)食卓には、この野菜のおかずと一緒に、穀物の粉を熱湯で練ったウガリと呼ばれる練粥(団子のようなもの)が供される。熱々のウガリを手でちぎって一口大に丸め、おかずを一緒につまんで口に入れ味わうのがタンザニア流の食べ方だ。おかずには煮豆や肉・魚のスープを食べる日もあり、野菜の種類の豊富さとあいまって、ベナの家庭では同じおかずが何日も続くことはない。