ヒトもトリも自給自足(タンザニア)

藤本 麻里子

タンザニアの農村部では、アヒルや鶏などの家禽が数多く飼育されています。それらの家禽は、夜には鳥小屋に入れられますが、昼間は放し飼い状態で、どこからともなく鶏やアヒル、ヒヨコがやってきて、民家の庭先や時には家の中にも入ってきます。しかし、どこの家で飼育されている鳥なのか、まったくわかりません。持ち主を表わす目印などもついていませんし、またいつの間にかいなくなります。村の中を歩いていても、このような持ち主不明のアヒルや鶏、ヒヨコがよく歩いています。その光景を見て私は「こんな風に放し飼いにしておいて、みんな自分の家の鳥がどれかわからなくなったりしないの?」とか、「誰かに捕って食べられたりしないの?」と尋ねても、「誰もそんなことはしないし、みんな自分の家の鳥はわかる。」と言われます。このように放し飼いにされている家禽たちは、特別に飼料を与えられることもなく、自力で食べ物を見つけます。人力での農業が当たり前のタンザニア農村部では、民家の周囲に収穫や脱穀時、あるいは炊飯時にこぼれた米粒や飯粒、トウモロコシの実などが落ちていて、それを掃除するのはアヒルや鶏たちの仕事です。このように無駄になるものが何もない、効率的な家禽飼育が行われています。

民家の庭先で米粒をついばむアヒル

また、自力で餌を探して歩き回り、自然の中にある餌で育った家禽たちの肉はとてもおいしくなります。フィールドワーク時には、野菜や魚中心の食事になりますが、たまには肉が食べたくなります。そんなときは家の人にお願いして、手ごろな鶏かアヒルを近所の人から一羽買ってきてもらい、絞めてもらいます。それは前の日に村の中で出会ったアヒルかもしれないし、油断した隙に私の部屋に迷い込んで大暴れして蚊帳を破って出ていった鶏かもしれません。

アヒルの解体

アヒルや鶏を一羽丸ごと購入しても、一人で食べきれるわけもなく、お世話になっている滞在先の家族と分け合って食べます。また、私は肉だけを食べて骨は残すのですが、タンザニアの人の多くは丈夫な歯で骨まで全て食べ尽くしてしまいます。私が残した骨は、子供たちの取り合いになり、小さな子供が難なく食べてしまうことには驚きました。

アヒルの骨は僕のご馳走

人工飼料を与えなくても、ヒトが食べ残したり落としたりした穀物を自力で見つけて食べる家禽たち、そしてその肉だけでなく骨まで食べ尽くしてしまう人々。タンザニア農村部では、ほとんど無駄がない「食べる」という営みが日々繰り返されています。そんな環境で長期間過ごしていると、食料自給率がかなり低いにもかかわらず身の回りには食べ物が溢れ、残飯を大量に出す日本の食料事情に疑問を感じずにはいられません。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。