野本繭子
わたしは緑色が好きだ。自然が好きということもあるが、日本に生まれて、春の桜の若々しい緑から冬の椿のピンクが映える濃い緑まで様々な緑を感じられることが心を躍らせるからだと思う。
マルミミゾウという森にすむゾウの生態研究でアフリカの赤道直下、ガボン共和国に行くようになって、一層好きになった。日本からガボンへは飛行機で合計20時間ほど。首都リーブルヴィルの街を歩けば見たこともない巨大なヤシの仲間が緑の葉を扇形に大きく広げている。道路脇に生える曲がりくねった幹の木には、手のひらより大きな黄緑色の分厚い葉が茂っている。そこらに植えられている何気ない木々ですら興味深く目に映り、目の前の世界に胸が弾む。
しかしそれはこれから見る緑のほんの一部に過ぎなかった。地方のチバンガという街から車でガタゴト揺られながら3時間ほどかけて調査地まで向かう。街を出てしばらくすると、幅が100メートル以上はあろうかという大きな川を渡ることになる。横木を渡した上に木の板を釘で打ちつけただけの簡素な橋が、車の重みでごとごとと音を立てるたびに、このまま落ちるのではないかとヒヤヒヤする。ふと、辺りを見回すと、カフェオレ色の穏やかな川の流れの両側に、深く濃い緑の森が広がっているのが見える。これがゾウのすむ熱帯林か、と胸が高鳴る。

写真1. 橋の上から森を望む
実際に森を歩いてみると、森の緑は実に色とりどりだった。雨の日は水に濡れて艶々とした葉が辺りで輝き、様々な緑を放っている。晴れた日には、かさかさに乾いた緑が一面に広がり、日の光を浴びて白く反射し光っている。ところどころに見られるサバンナでは透き通るような黄緑の若い新芽が生き生きと伸びている。森の濃い緑とのコントラストがとてもきれいだ。ここは、無数の緑が織りなす非日常の世界の連続だった。

写真2. 森とサバンナのコントラスト
調査のアシスタントをしてくれた村のおじいちゃんはたくさんの植物をわたしに教えてくれた。樹木の名前はほとんどが現地語のプヌ語かブング語という言葉で表されていて「ムゴマ」とか、「ムブバ」など、ム(もしくはン)から始まる3文字が多い。使い始めたばかりの、公用語であるフランス語で、私がたどたどしく質問をするたびに彼は優しく耳をかたむけて、いつも熱心に、ときに自慢げに色々な名前を教えてくれたが、同じようなたくさんの名前にわたしの頭は毎日パンクしていた。フィールドノートと、目の前の幹の木はだと、双眼鏡でようやく見えるかどうかという頭上の葉っぱを見比べる日々。楽しくも、あっという間に過ぎていった。
少しずつ木の名前を覚えて森にも詳しくなってきた2年目のこと。その日はいつものおじいちゃんに加えて村の若者も一緒に調査をしてくれていた。彼も森の植物にくわしく、色々なことを教えてくれる。ゾウ糞を探しながら歩いているとき、ふと気になっていたことを質問してみた。「モアンバ・クムのクムってサバンナって意味だよね?じゃあ、モアンバ・ピンダのピンダはどういう意味なの?」
プヌ語でモアンバという名前がつく木はいくつかある。モアンバ・クムは板のような根が地上に張り出していて、立派な木だ。おそらくサバンナに近いところによく生えるからそう名前がついたのだろう。
「ピンダは黒だよ」と、私の前を歩く若者が答える。「ウィ。セサ。(うん、そうだよ)」と、後ろを歩くおじいちゃんも続く。
そうなのか。確かにモアンバ・ピンダは幹も黒っぽいし黒い実をつける。なるほど、それならば。
「モアンバ・ベンガのベンガは黄色?」
私は予想して聞いてみた。モアンバ・ベンガは、外側の樹皮こそは目立たないものの、ナタで樹皮を剥いでみると鮮やかな黄色の木部が露出するのだ。日の光があまり届かない林床の暗い世界のなかでは、際立ってとても力強く映る。
「ううん、赤だよ」と若者が答える。
そうなのか。たしかに、実は赤っぽいしな、と思い直す。「黄色はなんて言うの?」と聞いてみる。
「黄色はない」
私はよく意味がわからなかった。「黄色はない?」同じ言葉をそのまま聞き返す。
「ヤパ。(ないよ)」同じ言葉が返ってくる。
「じゃあ緑は?」私は別の色を聞いてみる。
「緑もない」若者は声色ひとつ変えず、さも当たり前かのように答える。
ふと、頭の中をぐるぐるしていた音が意味を持ち始める。緑色がない。緑色という言葉がない。まさか、そんな。頭の中に一気にいくつもの疑問が押し寄せてくるなか、ようやくひとつをつかんで言葉にする。
「ここにはこんなにたくさんの緑色があるのに、緑色がないの?なぜ?」
「緑はないよ〜。」そういうものなのだ、と言わんばかりに抑揚をつけておじいちゃんが答える。
ガボンは国土の90%以上が森林に覆われ、まさに緑の国だ。そんな国に緑がない言語があるなんて、わたしは思いもしなかった。緑なんてよくある色がなかったら会話がとても大変じゃないのだろうか。
「緑がなくて困らないの?」私の質問は止まらない。
「そんなの、ヴェールがあるじゃないか」と彼らはフランス語の“緑(Vert)”を挙げる。
なるほど、少なくとも色に関しては、彼らはフランス語を便利なツールとして使っているようだ。
その後しばらくの質問責めの結果、プヌ語には黒と白と赤しかないことがわかった。後から知ったことだが、アフリカには、色が3色しかない言語がいくつもあるそうだ。3色しか色の表現がなくて、しかもその3色が黒と白と赤だとは、なぜそのようになったのか私にはまったく見当もつかなかった。あるとき、調査地のリーダーの方に話すと、森の中では光のあたり具合で色の見え方が変わるので、明るい、暗い、色鮮やか(つまりそれぞれが白、黒、赤に相当する)という3つが表現できればよかったのではないか、と言われ、ようやく腑に落ちた。
ゾウを研究したい一心で何も知らずにアフリカに来た私だったが、この対話で、彼らの自然の見え方が少しわかった気がした。今日もきっと、ガボンの森では、様々な緑が輝いている。

写真3. モアンバ・ベンガの黄色い幹

写真4. 白と黒からなる緑の世界?






