研究とアフリックと私(会報第21号[2024年度]巻頭言②)

松浦直毅

2024年 5月、大阪大学で開催されたアフリカ学会で「研究と実践の融合」をテーマにしたフォーラムを開催した。アフリック 20 周年という節目に企画したものであり、登壇者はすべてアフリックのメンバーで、それぞれがアフリックでおこなっている取り組みを事例として示した。もちろん、たんに活動を紹介するのにとどまらず、研究と実践をむすびつける際に直面する課題やジレンマについて検討し、研究と実践の融合のあり方を示すという学術的に意義ある企画であり、多くの参加者に聴いていただくことができた。

さて、大阪大学でのアフリカ学会というと、開催場所は異なっていたが、その前におこなわれたのは 2006 年5月だった。このときのことを私が鮮明に覚えている理由はふたつある。ひとつはアフリカ学会で初めて発表した大会だったからであり、もうひとつはアフリックで活動する出発点になったからである。

初めての学会発表を前に緊張しながら、モノレールの駅を降りてトボトボと歩いて会場に向かっているところで声をかけてくれたのが、2学年先輩の服部志帆さんだった。現地での調査のことや初めての発表のことなどを話し、なぜそのような話になったのかは覚えていないが、研究の成果を色々なかたちで色々な人に伝えたいというようなことも話したように思う。そのとき服部さんは、「松浦君、それやったらアフリックやよ!」と言った。アフリックのことは知らなかったし、どれだったらアフリックなのかもよくわからなかったが、さっそく高校での出前授業に参加させてもらえることになり、自動的にアフリックへの入会申し込みもすることになった。初めての学会発表の方はというと、久しぶりにそのときのスライドをみたが、つっこみどころがたくさんあって、かなり恥ずかしいものだった。

その年の10月終わりと11月はじめに、「アフリカ先生」の一環で、西宮市の高校で2回にわたって授業をさせてもらった。駅から高校までは歩くとちょっと距離があるのだが、良く晴れて風の気持ちいい秋の日に、ワクワクしながら高校までの道を歩いたことを覚えている。高校生を相手に話すのは新鮮で、「講師」となったことも誇らしかった。研究のことでお金をいただくのは、初めての経験だった。ただ、久しぶりにそのときのスライドをみたのだが、かなり気合いを入れて準備して出せるものをすべて出したことは感じられるのだが、高校生向けの授業としてみると空回っている感じもして恥ずかしい。

多くのメンバーの方たちとは所属が違うこともあって、私はアフリックでは末端の会員で、それほど積極的に活動していたわけではなかったが、その後も上述の高校のほか、いくつかの場で話をする経験をさせてもらった。中心メンバーではない会員の方が向いているということで、2011年度には監事を任されて、慣れないながらがんばって会計監査をした。監事をしていたことが理由ではないだろう
が、その年に大学に職を得ることができた。

その後、勤め先の大学でアフリックの共催でアフリカに関するイベントを企画したのを機に 2013 年に事務局員になり、2014年のアフリカ学会で 10周年を記念してポスター発表をしたときには共同発表者にくわえてもらった。さらに、丸山淳子さんから言われたのではないかと思うが、もっと中心になって活動したらと誘われて、2015年度に理事になった。このころには大学での仕事も少しは板についてきて、アフリカ先生のスライドも多少は洗練されてきていた。

2017年、いつものようにアフリカ学会の昼休みに理事などが集まって話し合いをしたのだが、設立当初から代表を務めてきた岩井雪乃さんが代表退任を宣言し、新代表を選ぶことになった。岩井さんの後任に名乗りを上げる人はおらず、そのときの理事のうち理事経験がある人のなかから代表を選ぶということになった。理事経験は最も浅かったが、2015年度から2期目ということで、私も候補者に入った。どうやって決めるかについても議論がなされ、結局「くじ引き」ということになった。アフリカ的民主主義だ、みんなのための組織だ、新しいNPOのかたちだなどと盛り上がっていたのだが、かなりいい加減というか大胆なことをしたものである。5人の候補がいるのでまあ当たらないだろうと思っていたが、あみだくじの結果、私が見事?に代表の座を射止めてしまった。にわかにプレッシャーを感じて、かなり戸惑った記憶があるが、このころにはすっかり愛着ある場所になっていたアフリックに貢献しようという思いで奮い立った。会員メーリングリストに代表就任のあいさつを送ったのだが、われながらわりと良いことを書いていると思う。以下に一部を載せておく。

「みなさんの中には、意外に思われたり、松浦で大丈夫かと心配に思われた方がいらっしゃるのではないかと思いますが(私もとてもそう思いますが)、逆にいえば、意外で心配でも代表を任されることにこそ、アフリックの強みと魅力があるのではないかと思います。つまり、お互いに尊重しあい、支えあうことで組織が成り立っており、代表が誰であってもその基盤は揺るがないということです。そうした雰囲気のなかで、誰もが自由に提案し、それに対して忌憚なく意見が交わされ、協力しあって様々な活動が展開されているのがアフリックという組織だと思います。(中略)岩井さんをはじめとするみなさんが長い時間をかけて築いてきた、上に述べたような協力体制や和気藹々とした雰囲気を大切にしながら、いまや各所で知られ高く評価もされているアフリックのさらなる発展のために、なによりも、自分にとって愛着があり、居心地のいい場所であるアフリックをもっと面白いものにするために、役割を務めてまいりたいと思います」

このときの誓いが十分に果たせているかはわからないが、その後は代表理事として活動をさせてもらってきた。代表になったからというわけではないが、「コンゴ水上輸送プロジェクト」をおこなったのもこの年である。このプロジェクトはその後、1年間にわたる連載エッセイ、本の出版、連続ウェビナーへと発展し、光栄にも地域研究に関する賞もいただくことができた。活動をともにしてきた仲間とともに、団体として受賞できたことがうれしかった。代表という立場が、研究者としても市民としても、ずいぶん私を成長させてくれたように思うし、今ならいつどんなところからアフリカ先生の依頼があっても、それにきちんと応えられる自信がある。

冒頭の話に戻ろう。アフリカ学会のフォーラムは、NPO活動の意義や強みについても考える機会になった。私は自分の発表を以下のように締めくくった。

「現地活動のための受け皿、あるいは連載の発信の場であるという点で、NPOの存在はプロジェクトをおこなううえでなくてはならないものでした。それだけではなく、仲間の会員からの助言やサポートがおおいに役立ち、支えにもなりました。最近は個人の活動や発信がより手軽にできるようになっていますが、このように「みんなでやる」ことで生まれるものやできることがある、という点を強調しておきたいと思います」

こうして振り返ってみると、私の研究と実践は、アフリックのおかげで、そして、アフリックとともに発展してきたといってよい。アフリックでの活動でいやな思いやつらい思いをしたことはなく(代表の仕事はときどき少し大変だが)、気心の知れた仲間と和気藹々と活動することは、それ以外のところでストレスフルな仕事もある中では、むしろ息抜きであり楽しみでもある。だから私は、もし研究で学んだことを多くの人に伝えたいと志す若者がいたら、「それやったらアフリックやよ」と自信をもって言ってあげるつもりだ。みなさんも、近くにそのような人がいたら、ぜひそのように言っていただければと思う。

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