「呪いのくすり」を越えて(タンザニア)

八塚 春名

私が始めてタンザニアに行った時、最初の3週間は、ダルエスサラームという大きな町にある大学の施設で寝泊まりしていた。その敷地内のすみには小さな家があり、そこには庭師の家族が住んでいた。小柄なババ(スワヒリ語で「お父さん」)、ふっくらしていて朗らかなママ(スワヒリ語で「お母さん」)、そして非常ににぎやかな子供たち3人。

幸せ家族の夕方(左からママ、次男、長男、長女、ババ)

 この頃の私は、スワヒリ語がまったく話せなくて、ジェスチャー以外で意思疎通ができない状態だった。見かねた庭師のババは、毎夕、スワヒリ語の辞書を持って庭にくるように、私に言った。そして毎夕、庭師家族による私のスワヒリ語レッスンが始まった。芝生にイスを並べて、時にはゴザにみんなで座って、家族総出で一生懸命教えてくれた。

ダルエスサラームに滞在していた私の目的は、調査許可と在留許可を取得することだった。日本での準備を怠った私の許可はなかなか下りず、担当者には毎日「まだ」と冷たく言われるばかり。誰かと何か話したいけれど、みんながなんて言っているのかさっぱりわからない。ダルエスサラームの蒸し暑さにも慣れず、毎日ほんとうにヘトヘトだった。こんなところ、来るんじゃなかったと、何度も思い、タンザニアへの憧れが、一気に後悔へと変わってしまいそうだった。それでも、後悔へと変わりきらなかったのは、この庭師家族との毎夕のスワヒリ語レッスンがあったからだ。いっこうに上達しない私に呆れることなく、根気強く教えてくれたし、ご飯ができればレッスンは終わりで、施設にひとりぼっちだった私を、毎日夕食にも招待してくれた。この時間だけは、ほんとうに楽しかった。これがなかったら、私はさっさと日本に帰っていたかもしれない。かれらにとても感謝していたし、素敵な家族だと心底思っていた。

ところが、その後3年くらい経って、日本にいた私に一通のメールが届いた。なんと、ババは、愛人をつくって、仕事も放り出し、出て行ってしまったのだ。庭師としてそこに住まわせてもらっていたのに、庭師の仕事を放り出したら、そこにはもう住めない。ババに出て行かれた家族は、他に行くところもないけれど、家を出ないといけなくなった。そして、仕事のないママひとりで3人の子供を食べさせていくことは難しく、一番上の女の子はママのもとへ、下ふたりの男の子はババのもとへ行くことになった。幸せ一家に世話になった思い出がたっぷりあった私にとって、この知らせはとても悲しかった。

さてさて、人のつながりの深いタンザニア。この話はたちまち近所のうわさになった。私が久しぶりにタンザニアを訪れた時、大学の施設のお手伝いさん、近所の人たち、新しい庭師・・・みんなが口々に「ハルナ、知っているか?・・・」とやってきた。

そして、悲しい話の中でひとつ、私が興味を持ったもの。それが「くすり」だった。実は、ババが愛人をつくり、家に帰ってこなくなった頃、愛人の女性は呪術師のところへ出入りしていた。そして、「あの人が奥さんと別れて私のところへ来るように」と、「くすり」をつくってもらっていたらしい。そして、その女性が持ってきたのか、それとも、女性がババに託したのか、一家が出て行った家には「くすり」がたくさん置かれていたそうだ。そして、別の人が私に教えてくれたうわさによると、女性が呪術師のところへ通っていたのと時を同じくして、実はママも別の呪術師のところへ通い「だんながあの女を捨てて帰ってくるように」と、「くすり」をつくってもらっていたらしい。そして、その「くすり」も、もぬけの殻になった家にたくさん置かれていたそうだ。結果的に、ババは愛人のところへ行ってしまったので、愛人の女性が処方してもらった「くすり」の方が、ママが処方してもらった「くすり」よりも効き目があったのだろうか?

とにかく、一家はこうしていなくなった。以前は、大学の施設にいると常に子供に呼ばれ、料理をしていても窓にべったりへばりついて見にくるし、ひとりにしてくれないことに少々鬱陶しさを感じたりもしていたけれど、そんなやかましさがなくなると、あり得ないほどに静かで、寂しかった。

しかし、この話には続きがある。すっかり壊れてしまったと思っていた一家。でも、私が調査村で数ヶ月過ごしてダルエスサラームに帰って来た時、ばったりババに会ったのだ。彼は私にこう言った。「一家みんなで住んでいるよ。ママも子供もみんな一緒だ。みんな元気だし、みんなハルナに会いたがっているよ。」

私はびっくりした。家族がみんな一緒に生活できるということはいいことだ。それはわかっている。でも、すんなり「よかったね。」とは言えなかった。私の好きだった幸せ一家を突然バラバラにして、ママと子供たちを悲しませたのに、「なんだ!?のんきに!」と逆に腹が立った。そして彼はさらにこう言った。「でも、仕事がないんだ。ハルナ、庭師に戻れるように大家に言ってくれないか?それとも仕事を探してくれないか?」・・・・・

「そんなの自業自得でしょ!」
私は彼の身勝手な言動に腹が立ってこう言ってしまった。さらに、「ママと子供たちのことは大好きだ。でも、自分が仕事を放って出て行ってこんなことになったのに、わたしに仕事を探してなんて、そんなの、ババは虫が良すぎる!」と言い放ってしまった。彼は、「ハルナに他人の家の事情はわからないよ。」と、もっともなことを言った。

大きくなった子供たち(左から長男、隣の子供、次男)

 その後、彼にも、そして子供たちにも数回会ったし、ママとも電話で話したけれど、状況は相変わらず。そして私はそのまま日本に帰国してしまった。かれらがまた元の幸せ家族に戻れるとしたら、必要なことは私が仕事を探してあげることではないはずだ。「呪いのくすり」の効果を、自分たちで越えていかなくてはいけないはず。

私に他人の家の事情はわからない。でも、かれらがかつて幸せ家族であったこと、そして、いつかそう戻れる可能性があることだけは知っている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。