木陰の手仕事(ニジェール)

桐越 仁美

2018年、日本の夏は暑かった。気象庁によると、1946年の観測開始以降、関東の平均気温が最も高かったのだとか。戦後72年で最も暑い8月、日差しから逃れようと街路樹の陰を選んで歩いても、じっとりとした空気が付きまとい、汗は一向にとまらない。愛用の手ぬぐいで首筋をつたう汗を拭き取りながら、思い出したのはニジェールのことだった。

「ニジェールの木陰は涼しいのに…」

私の最初の調査地ニジェール共和国は、西アフリカの内陸に位置している。JICAニジェール支所の方々に言わせると「世界で最も過酷な国」。世界各地に派遣された経験のある方々が言うのだから、きっとかなり過酷なのだろう。ニジェールは国土の4分の3が砂漠で、日向では気温が40度以上になり、一年で最も暑い4月は「燃えるように暑くなる」とのこと。しかし木陰では、どこか水気を帯びたひんやりとした砂と、カラリとした爽やかな風で、随分涼しく過ごすことができる。

髪結い、おかずの下ごしらえ、鍛冶屋の仕事、肉屋の下準備、爪切り、縫製作業、機械修理。ニジェール農村の木陰は、多くの手仕事で溢れている。ニジェールに滞在していた頃、太陽がジリジリと照りつける昼下がりは、いつも木陰で過ごしていた。そこでは村人たちがお喋りをしながら手を動かし、私は隣でそれを眺めていた。


写真1 作業中に私を呼ぶ村の人びと

私が初めてニジェールを訪れたのは2010年8月。当時は都市部にしか電気が来ておらず、私の滞在していた村にはソーラーパネルもなく、みんな懐中電灯の弱々しい明かりを頼りに生活していた。そのため、夜は9時過ぎには寝てしまい、朝は5時過ぎに起きて、ろくに朝食も食べずに畑仕事に向かう。村はサハラ砂漠の南のサヘル地帯と呼ばれる場所に位置している。砂漠のど真ん中ではないからなのか、夜までずっと暑い。ようやく気温が下がってきたと感じるのは夜中の2~3時くらいで、日の出前の朝5時くらいが最も涼しい。村人たちは、動きやすい日の出前から畑仕事などの体力を必要とする仕事を始め、正午までに終わらせる。

一日のうちで最も暑くなる昼過ぎから夕方にかけての時間は、村の人びとが体力を必要としない手仕事に充てる時間だ。女性は連れ立って木陰に行き、家事や農作業でほつれた髪を結い直す。たまには大胆に髪型を変えてみたり、おしゃれな髪型について意見を言い合ったりしている女性たちは、とても楽しそうだ。髪結が終わると少しの休憩を挟み、一度家に戻って食材を持ってくる。午前中に採取しておいた食用の木の葉を手で細かくちぎる作業や、バンバラマメの皮をむく作業、白ハイビスカスの花と萼(がく)を分ける作業、米に混じった小石を取り除く作業など、やることは山のようにある。世間話をしながら、女性たちは手を動かし、手際よく作業を進める。私も手伝おうと思って同じ作業をしてみるのだが、彼女たちの倍以上の時間がかかってしまい、いつも待たせてしまう。


写真2 木陰でおかずの下ごしらえ

女性たちがおかずの準備に大忙しのこの時間、村の男性たちは何をしているのだろうか。私が滞在していた村には鍛冶屋や肉屋、爪切り屋、裁縫師、機械修理屋などがいる。男性は壊れた農具・機器の修理や破けた布の修繕、あるいは肉を楽しんだり爪を切ったりするために、これらの専門家のもとを訪れる。

鍛冶屋は、農作業中にすぐに対応できるよう、畑のなかに作業場を設けている。鍛冶屋が作業場とするのは畑のなかの大きな木の根元。農夫たちがアクセスしやすいように、作業場とする木は日によって変えている。鍛冶屋は作業場を決めると、金床を地面に固定し、手が届く範囲に鞴(ふいご)を設置して、そのほかの道具を地面に並べる。鍛冶仕事に使うこれらの道具はすべて簡単に動かせる程度の重量で、太陽と影の動きに合わせて場所を移動できるようにしてある。鍛冶屋の作業場の近くで畑仕事をしていた農夫たちは、午前の仕事を終えると、鍛冶屋のもとに農具を持って集まってくる。一つの農具にかける時間はだいたい10~15分くらいで長くても30分。その手際のよさは見ていて気持ちがいい。


写真3 畑のなかで農具を修理する鍛冶屋。
作業に夢中になっているうちに陰が移動してしまった。

村の中心の広場には、大きなニームの木が数本生えている。その下にはいつも人が集まっていて、肉屋や爪切り屋などが仕事場とするにはうってつけの場所だ。肉屋は朝のうちに屠ったヒツジやヤギの肉を広場に持ってきて、肉を小さく切り分け串に刺す。正確かつすばやく肉を切り分け、10分もあれば20本は仕上がる。肉を切り分けるときに使うのは先が大きく湾曲した細身の刃物で、びっくりするほど切れ味がいい。肉の下準備のときから肉屋の周りには人が集まり始め、注文を受けた本数だけ肉を焼いていく。焼いた肉には、ラッカセイとスパイスを混ぜたヤジとよばれる粉がまぶされるのだが、これが本当に美味しい。

爪切り屋は、肉屋から少し離れた場所に腰掛ける。爪切り屋という職業は聞きなれないかもしれない。ニジェールでは日本のような爪切りは普及しておらず、カミソリなどで伸びた爪の処理をするのだが、たまに爪切り屋に切ってもらう。爪切り屋は専用の器具を使って丁寧に爪を切った後、ヤスリを使って切り口を滑らかに整えてくれる。農作業のとき、爪が伸びていると怪我にもつながりかねない。爪切り屋は農耕民にとって、とても重要な仕事なのだという。


写真4 肉屋の下準備。村人たちは周りで肉を待つ。
左奥では爪切り屋が支度をしている。

情勢の悪化で、2013年から5年間、ニジェールの調査村には行けていない。ニジェールは私の調査の始まりの場所であり、思い入れが強い場所だ。暑い日にはニジェールを思い出し、涼しい木陰が恋しくなる。思い出すのはいつも木陰での穏やかな時間であり、木の葉越しに見る青い空と、村人の笑い声、鮮やかな職人技はいまでも鮮明に思い出すことができる。

先日Facebookの「知り合いかも」の欄にニジェールの友人を見つけた。彼の後ろには、電線の通った村の様子が写っていた。しばらく行かぬうちに、村の夜は明るく照らされるようになり、友人もスマホを持つようになったようだ。インフラの整備が進み、多くのモノが村に入って来るようになって、生活が大きく変化しているのだろう。あの鮮やかな手仕事の数々は、いまも木陰で見られるのだろうか。