知っている動物と知らない動物 (タンザニア)

八塚 春名

私のところに毎日のように子供が来る。彼らの目的は、動物の写真入り図鑑を見せてもらうことと、その本の最後に載っている知らない動物の絵を見て、みんなで笑うこと。「本当にこんな動物いるの?ハルナは見たことがあるの?大きい?小さい?」毎回最後の2ページにたどり着くと質問攻めだ。

その本のラスト2ページは、ゴリラとチンパンジーが載っている。テレビがない村に住む彼らにとって、自分たちの村にいない動物はすべて「知らない」動物になる。もちろん、最近ではゾウやキリンも村で見かけることはほとんどない。しかし大人たちは昔、ゾウやキリンを見かけていたし、子供たちは大人たちから話を聞いて、見たことがない動物でもその特徴を知っている。しかし、タンザニア中央部の半乾燥地域には、ゾウとキリンはいてもゴリラとチンパンジーはいないから、どんなに森のことに詳しいおじいさんでも、ゴリラとチンパンジーは「知らない」動物なのだ。だから、大きな顔で、エラそうに胸を反らせて座っているゴリラと、しわしわで、ちょこんと座った人間のおじいさんのようなチンパンジーの写真は、彼らにとっては可笑しくて仕方がない。

エラそうなゴリラとおじいちゃんのようなチンパンジー
※Hosking, David & Withers, Martin B. (1996) Larger Animals of East Africa
(Collons Safari Guides). Harper Collins Publishers

私の調査村に住んでいるサンダウェという人びとは、もともと狩猟と採集を生業の基盤として生活していた人びとである。彼らの社会に、いつ、どのような形で農耕が広がったのか、その経緯は明らかではないが、現在の彼らの生業の基盤は農耕である。そして、彼らが過去に狩猟採集民であった、ということは一切考慮されることなく、現在はあらゆる狩猟が厳しく禁じられている。狩猟ができない現在、彼らは動物に関心がないのかと言うと、そんなことはまったくない。特に大人の男性は動物にとても詳しい。どこに住んでいる、何を食べる、どういう動きをする、いつ眠る・・・男性が動物のことを喋りだしたら止まらない。普段、サンダウェの男性は畑中心の生活を送っていて、私も彼らについて畑に行くことが多い。しかし、動物のことを楽しそうに、そして自分たちはよく知っていると私に自慢するかのように誇らしげに語る彼らの姿は、「ああ、彼らはやっぱり狩猟採集民だったんだ・・」ということを私に思い出させる。

狩猟は禁止でも、弓矢の使い方は子供たちも知っている

 子供たちはいつも、最初のページからひとつずつ動物の名前を当てながら図鑑をめくっていく。小さい子供が動物の名前をわからない時は、隣に座っている年長の子供が教えてあげる。子供たちの良く知っている様に、私はいつも感心させられる。そしてちょっとだけ悲しくなる。なぜなら、子供たちは「知っている」と言うものの、図鑑に載っている野生動物の多くを実際に見たことがない。彼らは、昔に見たことがある大人たちから話を聞いて、「見たことはないけれど知っている」つまり、「名前だけ知っている」という状態なのだ。老人たちはずっと昔から狩猟活動を通して動物に対する豊富な知識を培ってきた。しかし、狩猟ができない現在、子供たちは狩猟に行って実際に動物に出会うという経験をしないで、動物の特徴や行動にかんする知識をどう取得していくのだろうか。今の子供たちが大人になった時、彼らは一度も見たことのない動物について、自分たちの子供にどう教えるのだろうか。「知っている」動物の多くが「名前しか知らない」動物に変わるのは、サンダウェ社会ではそれほど遠くない未来のことなのかもしれない。

誉めて!と私に言わんばかりに大きな声で動物の名前を当てていく子供の姿が見られなくなったら、それはとても寂しいことだと思う。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。