毎日、泣く犬(タンザニア)

八塚 春名

わたしは自他共に認める愛犬家。我が家の愛犬はいつもぬくぬく、ゆったり、のんびり生活している。一方、アフリカの犬はいつも「イタイ!」とでも訳せばいいのか、そんなかわいそうな声をあげて泣いている。

タンザニアでわたしがお世話になっていた村では、犬を飼っている家は少なくない。みんな名前をつけているのでかわいがっているように、一見みえる。でも、犬たちはことあるごとに石を投げて追い払われる。それでもきかなければ、今度は棒を投げつけられて、「キャン!」と泣いてその場から逃げざるをえない。たとえば台所に入って、ちょっと食べ物をもらおうと思ったり、寒い夜に家の中に入ったり、こんな場合は棒を投げつけられるだけでは済まない。大人の男の人に太い杖を投げつけられるのだ。犬がかわいそうだと、わたしは何度も訴えたけれど、みんなには伝わらず。「なんで犬の見方なんだ?」とよく笑われた。しかしこれはただ犬をいじめているのではない。かれらにとって犬とは常に狂犬病の可能性と隣り合わせの生き物だからではないだろうか。日本のように狂犬病の予防接種は田舎の犬にまで普及していない。犬が狂犬病にかかるとどうなるか、そしてそんな病気の犬に噛まれると人はどうなるか、かれらはよく知っている。だからこそ、普段からむやみに犬に近づいたり触ったりしないのだ。それにしても、いつも、いつも、犬は「キャン!」と泣いて逃げまわっている。子供にわざとしっぽを踏まれることだってある。犬も「キャン!」と泣くことが癖になっているのか、「あっちへ行け!」と言われて石を投げられる。当たってもいないのに「キャン!」と泣いてみせたりしている。毎日のように痛い目にあって、どうしたら少しでも回避できるのかを学んだのだろうか?とりあえず「キャン!」と泣いておけばいいだろう、と。

しかし、アフリカの人にとって犬はただ疎ましいだけの存在なのではない。犬がいかに賢いか、かれらはしばしば話題にする。夜、野生動物がニワトリを盗みにやってきたら犬がけたたましく吠える。時にはそんなどろぼうに噛みついて撃退する。狩りに連れて行けば犬は全力で走って獲物を捕ってくる。たまにガリガリな犬もいるけれど、多くの犬は無駄な贅肉はいっさいなく、とてもスレンダーだ。狩りや放牧について行く時、犬は背筋をピンと伸ばし、リズミカルに堂々と飼い主の脇を歩く。日本の我が家のぬくぬく育ったお犬様は、散歩に行けば帰りはしんどそうにのそのそ歩く。うちの犬と同じ犬なんだろうか?わたしは、我が家の愛犬の写真とアフリカの犬を見比べて、アフリカの犬こそ、まさに「犬」なんだ、とよく感心したものだ。

畑についてきた犬。ジャスシという名前のこの犬は、敏腕ハンターだ

わたしの友人ホアが飼っていた犬ゲティは、ホアにほんとうに忠実で、畑に行くにも、どこへ行くにも、ゲティは必ずついてきた。家に残れと命令されても、ホアと一緒に行きたくて、一定の距離を保ちつつ、必ず後をついてきた。もちろんホアがゲティに石を投げることもあるし、よその家と同様に食べ残し以外にゲティに食べ物はやらない。ゲティが「キャン!」と泣くこともいつものことだ。それでもゲティはホアの後をどこでも必ずついてきた。ホアがわたしの調査を手伝ってくれていた時も、ゲティは毎日ついてきた。森に生えている植物の種類を調べるために、ヒモをはって、ヒモの内側にある植物の種類を調べていたときも、ゲティはわたしたちの周りを走り回り、ヒモにひっかかってホアに怒られ、わたしを笑わせてくれていた。

そんなゲティは、ある日、ホアの息子の後についていこうとして道を渡った時に、猛スピードで通りすぎたトラックにはねられて死んでしまった。トラックの運転手はゲティには見向きもせずに、そのまま走り去ってしまった。ホアの家は道路の目と鼻の先で、家にいた彼女はトラックに何かが当たる鈍い音を聞いたそうだが、それがまさかゲティだとは思わなかったそうだ。近所の人が「たぶんあんたの犬が倒れているよ」と呼びに来てくれて見に行ったら、ゲティはもう息をしていなかったそうだ。「トラックが少しでもスピードを落としてくれていたら、ゲティは助かったかもしれないのに。ゲティが本当にかわいそう」と、彼女はわたしにゲティの話をしながら泣いていた。

故ゲティ

石を投げつけ、時には棒で殴り、食べ残ししか与えない。毎日、毎日、犬は「イタイ!」と泣いている。こんなに「雑」に扱っているのに、犬が死んだら泣いて悲しむことに、わたしはちょっと意外な気がした。でも、かわいがるというのは、ぬくぬく育てることではない。なでてかわいがったり、エサをやったりすることはないけれど、狩りや放牧を通して築き上げられた信頼関係は絶大で、忠実な犬を失った飼い主の悲しみは、かわいい愛犬を失う日本人の悲しみと何ら変わらないものなのだろう。そして、そんな信頼関係が根底にあるからこそ、犬は毎日のように泣かされても、それでもやはり、また人のそばへやってくるのだろう。アフリカにはアフリカの、人と犬との関係の築き方があるのだ。

今は、亡きゲティに代わり、ゲティの息子ジャスシが、ホアの後を毎日ついて歩いている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。