映画『ウォー・ダンス』 —ダンス、音楽という「希望」の後先に—

紹介:村尾 るみ子

アフリカの難民映画は、2006年大ヒットした「ホテル・ルワンダ」以降、日本でより親しまれるようになった。『ウォー・ダンス』もすでに全国各地で放映されており、アフリカの紛争と避難民を取り上げた、馴染みのある映画といえる。

映画のストーリ等公式HPにて詳しく紹介されているため、ここではこの映画を、アフリカの紛争と深く関連した人びとや地域社会を理解するという視点から紹介したい。

まず『ウォー・ダンス』は、アフリカの紛争が歴史的につくられ、その結果として生み出された悲惨な側面を鮮明に描き出している。また、その一方で、個人や地域社会が、紛争の悲惨さを乗り越え将来に希望を見出す側面を照らし出す作品である。その「悲惨さ」と「希望」の双方がバランスよく映し出されている点で、この映画は同様のテーマを取り上げるドキュメンタリー映画のなかでも印象深い。

映画の舞台はウガンダ共和国北部にある避難民キャンプ、および首都カンパラである。 映画のなかで十分な解説がないが、多民族が混在するこの国では、独立前から北部地域に住むアチョリの人びとに対し、好戦的とのイメージが形成されてきた。その後の歴史のなかで、アチョリはウガンダの他地域の人びとから差別的に扱われ、彼らとウガンダ政府とは対立的関係になっていった。やがて北部地域では、政府軍に対して、アチョリを中心としたLRA(神の抵抗軍)という反政府軍が形成されるに至る。その後LRAは国内外でプロパガンダを展開した。また9.11テロ以降、アメリカ政府が発表した世界の武装集団のブラック・リストに名を連ねるなど、LRAは世界的に注目される集団となった。

LRAは子供を誘拐し、兵士や慰安婦とした。またその誘拐は、北部の人びとにLRAへの恐怖と国への不信を高めることも意図された。LRAの誘拐に抵抗する親は、殺された。 映画でスポットのあてられるドミニクとナンシー、ローズといった子供たちは、そうしたLRAによる暴行の被害者として登場する。彼らが逃げ込んだ避難民キャンプで、どのように食事をとり、学校へ通い、遊び、寝るのか、周囲の大人たちとの関係も踏まえて描写されるシーンは、私たちにより現実味を増して、アフリカの紛争社会を見せつける。

映画の最大の焦点は、子供たちが、首都カンパラで開かれる全国音楽大会にむけ熱心にダンスや楽器を練習し、大会では個人、団体で受賞するに至るまでのひたむきな姿である。この経緯は、ダンスや楽器、歌という北部のアチョリとしてのパフォーマンスへ参加した子供たちの心理とともに描写されている。その描写は、子供たちが紛争と関わった経験を乗り越えていく飾りない姿勢を丹念に現わしている。子供たちは24時間政府軍が警備する、住居の密集した避難民キャンプで暮らすなか練習を重ねる。彼らはダンスや音楽という手段により、憧れの都会カンパラを訪れること、また悲しい過去にとらわれない自分を見出し、ダンスや音楽そのものを「希望」として感じる。そして大会での手ごたえ、受賞、大会終了後キャンプの人びとからの賞賛を通じて、加害者/被害者、キャンプ内/キャンプ外、紛争前/紛争後という、彼らを支配していたものの見方をのりこえていく。

避難民キャンプでは、全国音楽大会後、首都カンパラへ出向いた子供たちをとりまく周囲の視線が「紛争で悲惨なめにあった子供」から「全国大会で勝利を手にした子供」へと変化した。すなわち、大会でのアチョリの子供たちによる受賞は、アチョリの人びとの可能性を示すものである。そしてそれは同地域のカンパラへ行かなかった子供たちの未来とともに、大人たち自身による未来の捉え方をも変化させたといえる。

全国音楽大会への出場を果たした子供たちは、結果としてキャンプでの日常のなかに紛争の経験をものりこえる、新たな生活をもたらした。つまり、彼らは、ダンスや音楽という「希望」へつき進んだだけでなく、紛争の「悲惨さ」と「希望」の後先にある日常を確かに創りだしていたのである。

そう考えたとき、この映画は、避難民キャンプの子供たちが、キャンプ外の社会とも関わりながら、今そして未来を創りだす実情へのまなざしを私たちに提供してくれる。まるで避難民キャンプの人びとが、キャンプの外に住む私たちと深く関係して日常生活を営んでいることを、強く語りかけているかのようだ。

映画がスポットをあてた子供たちは、北ウガンダの子供のなかの、ごく一部である。 しかしこの映画は、日本に住む私たちより紛争と深く関わる人びとと地域社会から何かを学びとり、避難民の未来と私たちの未来とを隔てることなく考えていくよう指南するものだろう。今年の10月1日から始まる難民映画祭、および各地での同様の映画イベントも、楽しみにしたい。