紹介:佐藤秀
タンザニア、キリマンジャロ山中で展開されるチャガ民族の「キハンバ」(Chagga Homegarden / 「家庭畑」と本書では訳される)システムは、農業・畜産・林業を複合的に行う持続可能な農業生産システムとして世界的にも高く評価され、2011年にはFAOの世界農業遺産(GIAHS)に指定された。本書の調査地であるルカニ村もキリマンジャロの西斜面に位置し、同じく農業・畜産・林業を複合的に経営する「キハンバ」システムが展開されている。
本書は、著者が20年以上継続しているルカニ村での聞き取り調査・参与観察によるデータを踏まえ研究成果をまとめたものである。著者が同村で主導するコーヒーのフェアトレード・プロジェクトについては、同プロジェクトのホームページに詳しい。さて、以下では本書の内容を紹介する。紹介が少し長くなってしまったが、本書を読み解くためのガイドとしても参考になれば幸いである。
第1章は、世界システム論を援用し「中心」国である先進諸国と「周辺」国であるアフリカ諸国、そして周辺国内においても近代経済に依存する都市部と「周辺」部で従属的発展を遂げる農村部という「中心―周辺」の対比を用いて、世界資本主義システムにおける不平等性を論ずる。また、ここでは説明を割愛するが、アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチの概念図を用いて貧困・開発の分析枠組みを説明する。その後、互酬性や共同体的伝統を重視した「アフリカ型農村開発」の在り方を論ずる構成となっている。第1章は本書の副題ともなっている「貧困・開発」に対する著者の問題意識と分析課題が整理されており、上述したフェアトレード・プロジェクトの役割についても述べられている。本書の主題を掴むうえで非常に重要な章となるため論点を整理しながら読み進めてほしい。
第2章は、アフリカや開発という視点から少し離れ、農家の経済・経営分析をどのように行うかという視点が整理されている。私は大部分を理解しているつもりであるが、農業経営学や農業経済学に疎い読者には難解な章であると思われる。読み飛ばしてもよいと書くと著者に怒られそうなので簡単に説明しておくと、この章では貧困問題分析を、家計(消費経済)と農業経営(所得経済)の基礎単位である農家世帯レベルで行っている。複雑に相互関連する農家の家計と経営の間のヒト・モノ・カネの動きを分析するのが農家経済経営学であるといえよう。農家は収益追求という私的目標だけでなく拡大家族や農村経済の社会的価値観に制約され、私的利益追求と社会経済的目標が混ざり合った経営目標を持ち、様々な経営行動を選択するという視点が整理されている。本性はそもそも正統派経済学における人間モデルと対比させ農業経営の分析に農家という経営者の価値観を考慮した分析になっていることに注目すべきところがある。また、「男性産物」と「女性産物」という2つの農産物の分類とその目標・役割の違いは本書で一貫して非常に重要な視点なので読み飛ばすことのないようにしてほしい。
さて、重い第Ⅰ部(第1~2章)を終えると、第Ⅱ部(第3章)では2農家を事例として、現金現物日記帳に基づいた経営行動の分析となる。農家の収入や支出が赤裸々に紹介されており、記帳文化のないアフリカ農村における経営分析は貴重なデータであり、農家の暮らしを想像しながら読んでみるとよい。なお、紙面の都合上本書内に掲載できなかった農家の現物日記帳は、ルカニ村・フェアトレード・プロジェクトのホームページ内に掲載されている。
第Ⅲ部(第4章~第8章)は、コーヒーの価格形成システムやグローバル・バリューチェーン論を用いた流通制度の分析が行われる。その後、トウモロコシ・豆、牛、バナナ、材木といった品目ごとの役割や目標が整理されており、男性産物と女性産物という2つの視点を意識して読んでいくとルカニ村の農家がいかに多様な農業活動を行っているかが読み取れる。
第Ⅳ部(第9~10章)のうち第9章では、ルカニ村民の暮らしを取り巻く地域経済圏を定期市場の特質解明や販売・消費活動の分析により明らかにする。異なる特質の市場を含む地域内循環の解明は非常に興味深いものがある。ただ、近年はこの基礎的圏域が崩れ、互酬性圏が大きく縮小しているという事実もグローバル化や資本主義社会の潮流が強く影響しているといえる。第10章では、そのように互酬性が弱体化する今日においても、拡大家族における相互扶助システムによる社会安全保障制度を形成されており、農家が貧困に陥るのを防いでいるという。者たちが街に出稼ぎに出るようになった今日の社会においても、それは継続されており、今後の社会安全保障制度のあり方について、フェアトレード・プロジェクトの役割も含めて考察されている。第10章はクランの家系図や伝統的相互扶助システムについて記述されており、著者が社会的価値観の把握・理解に努めてきた様子が伺える。
第Ⅴ部のうち、第11章は、これまでの分析を踏まえ、ケイパビリティ・アプローチを用いた貧困評価を行う。改めてルカニ村民にとっての貧困とは何かを再考察し、コーヒーの最低価格保証+フェアトレード・プレミアムの支払いとして説明されるフェアトレード・プロジェクトがどのようにルカニ村民の貧困削減に寄与したのか、またその限界についても考察されている。中学校建設を含め、教育費の捻出等十分な成果が確認できる一方、小売価格の上昇や消費国における課題も含め、フェアトレード・プロジェクトの限界についても語られている。詳細はぜひ本書にて確認してほしい。
最終章である12章は「ルカニ村における農家経済経営の基礎構造」、「農家経済経営構造とコーヒー価格の下落」、「ルカニ村・フェアトレード・プロジェクトの役割」、「ルカニ村における農家経済経営の発展方向とフェアトレード」という流れで、本書の結論が整理しており、相互扶助システムや女性産物の重要性が改めて強調された上で締めくくられている。
著者は、実は私の直接の指導教員でもあり、私自身もルカニ村には何度も足を運んだことがある。本稿を執筆している現在もルカニ村への渡航計画を立てている最中である。互酬性やアフリカ共同体的伝統の重要性は分かるが、それがどのように農家の経営に関連し、開発をどのように進めるか具体的に提案するのは難しい。本書では、キリマンジャロの農家経済経営を分析し、ヒト・モノ・カネの流れを詳細に分析し、センのケイパビリティ・アプローチも合わせた分析を行い、フェアトレード・プロジェクトがどう農家の生活を改善し、その限界がどこにあるかを極めて詳細に分析している。
私自身、開発コンサルタントとなり様々な開発現場に携わるようになった今でも、ルカニ村・フェアトレード・プロジェクトによる農村開発の視点は私にとって理想の農村開発モデルであり続けている。本書は、一般向けの読み物としても学術書としても示唆に富む価値のある1冊となっており、アフリカ研究者や農業経済学者だけでなく、開発現場に携わる実務者やそれ以外の一般の読者にもぜひ一読をお勧めしたい。
【書誌情報】
辻村英之著『キリマンジャロの農家経済経営-貧困・開発とフェアトレード-』
出版社:昭和堂
定価:5,500+税
発行:2021年12月
出版社のURL:http://www.showado-kyoto.jp/
【関連するアフリカおすすめ本】
・『コーヒーを飲んで学校を建てよう――キリマンジャロ・フェアトレードの村をたずねる』=ふしはら のじこ(文・絵)/辻村英之(監修)(紹介:大石高典)