『幻のアフリカ納豆を追え!ーーそして現れた〈サピエンス納豆〉』高野秀行=著

紹介者 池邉智基

本書は、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」ことをモットーに、いくつものエッセイや紀行文を書いてきたノンフィクションライター高野秀行が、世界の納豆を求めて探し回り、食べ、調理や加工の過程を観察してきた、納豆文化を巡る旅の記録である。既に2016年に刊行されていた『謎のアジア納豆ーーそして返ってきた〈日本納豆〉』(新潮社)では、著者はタイ、ミャンマー、ブータン、ネパール、中国、そして日本では秋田や岩手などをまわり、さまざまなアジア納豆を見てきた。そのどれもが多種多様でありながら、紛れもない納豆なのである。その続編となる本書では、アフリカの納豆文化を明らかにしていく。驚くなかれ、アフリカにも納豆はあるのだ。

納豆は日本の食の代表格だと言われているが、実は全くそんなことはなかった。ただし、アジア納豆もアフリカ納豆もどれも納豆菌を使っているものの、日本に住む私たちが慣れ親しんでいる納豆ではない。アジア納豆は、基本的に料理の味付けとして加えられる。著者が見てきたアジア納豆たちは、潰されて成形され、調理過程で加熱されたものが多く、存在感が薄い。だが、しっかりとそのうま味を料理の中に残した、「縁の下の力持ち」のような調味料ばかりであった。日本とは違って、枯草菌(納豆菌)を藁からではなく、イチジクの葉やシダからとっているものの、加工の過程や発酵の方法、味、香りなど、何をどう見ても納豆と言わざるを得ないものばかりであった。要は、見た目や使い方が違うだけで、作り方の原理は全く同じような納豆文化がアジアの各地に存在していたのだ。そして、アフリカにも同じ様に、調味料としての納豆が存在するのである。その謎に迫るのが本書である。

本書では、「アフリカ納豆」と銘打ってはいるが、決してアフリカだけを対象としていない。ナイジェリア(第1章)とセネガル(第2章)の納豆文化を紹介したのちに、一時アフリカを離れて韓国(第3章と第4章)を訪れる。そして第5章から第7章にかけて、ブルキナファソの納豆を紹介する。第8章では日本に帰国し、納豆菌の謎に迫るべく、世界各地の納豆の菌を比べた「納豆菌ワールドカップ」を開催し、第9章で納豆文化理論を提唱する。

著者は、納豆を「辺境食」として位置づけている。日本では東北の山間部で主に食べられてきた納豆は、明治になると生産・加工のプロセスが工業化し、現代の私たちの食卓に並ぶまでになった。他の「アジア納豆」たちもまた、辺境食であった。山間部の貴重なタンパク源であり、同時に重要な調味料の役割を果たしていた。

驚くべきアフリカ納豆の特徴は、大豆で作られていないということだ。本書でまわるのは、ナイジェリア、セネガル、そしてブルキナファソである。主なアフリカ納豆の原材料は、パルキアというマメ科の木(Parkia biglobosa)にできる実である(※1)。その実を加工して作ったアフリカ納豆は、ナイジェリアではダワダワ、セネガルではネテトゥ、ブルキナファソではスンバラと呼ばれている。そして本書は一時アフリカを離れて、韓国のチョングッチャンという納豆汁を調査する。日本と似ているようで違う韓国の納豆や味噌、醤油の加工を見ていくことで、著者の納豆理論はさらに深みを増す。そして極めつけは、三章にも渡るブルキナファソの事例である(※2)。パルキアで作られた納豆「スンバラ」もまた特徴的であるが、この地にはハイビスカス(Hibiscus sabdariffa)の種を使って作られた納豆「ビカラガ」もある。そして、本書のタイトルにもなった「幻のアフリカ納豆」とは何か。これは、50年も前に、植物学者の中尾佐助がサハラ以南アフリカを調査した際に見つけた、バオバブの種子を使った納豆に迫る調査の過程である。

これらの納豆文化を調査していくことで、タンパク源が限られていた「辺境」の中で、うま味を料理の中に宿す方法として、納豆がアジア・アフリカの食文化において非常に重要な作られていく過程を明らかにした。

筆者はこれまでセネガルで研究を続ける中で、ネテトゥが身近な調味料であることは見聞きしていたし、舌で味わっていた。しかし、この本を読むまで、実のところネテトゥが何なのかよくわかっていなかった。ネレという名前の木から取れる実を使ったものということは知っていたが、あの香ばしいネテトゥが、まさか納豆と同じような製法で作られているとは思わなかった。研究者たちもまた同じように、その身近さを肌で感じていながらも、身近ゆえに誤認していた部分があるようだ。川田順造は『サバンナの博物誌』(筑摩書房、1991年)の中で、スンバラを「あの異臭を放つ、ヤギのふんの団子のような」、「味噌のようなもの」として紹介し、その芳しい調味料の香りが非常に重要なパンチを残していることを記している。その記述を引用して、小川了も『世界の食文化⑪――アフリカ』(農文協、2004年)でセネガルのネテトゥを「味噌」と紹介していた。しかし、麹菌から作られる味噌と違って、スンバラは枯草菌で作られているため、納豆として位置づけられる。そして、あまりにネテトゥやスンバラが身近であることや、研究者が「味噌」と形容していた点は、本書で著者が試みる納豆理論の精緻化において重要な関連性を持っているだろう。

これまで30冊ほどの本を執筆してきた著者には、特徴的な記述スタイルがある。それは、その場その場で思考する過程が描かれていることである。エッセイのような、紀行文のような、あるいは思い出話のような、いくつもの話題が混じる中で、著者の思考が深まっていく。そうして仮説を立てる中で、著者が「万物納豆統一理論」を構築しようと試みていく過程は非常に面白い。そしてアジアやアフリカを廻りながら次々と新たな発見が続いていくことによって、納豆理論は洗練されていく。本書ではそうした思考の過程において、韓国とアフリカの納豆文化を観察する上で明らかに納豆製作のセオリーから外れたような事例が登場する。しかしそのセオリー自体が、日本的な「納豆」概念に支配されていたことに気づいていくプロセスはまさかの発見の連続であり、読者の思考も絡め取られていくようだ。

本書は最後に、西アフリカを「世界最大の納豆地帯」と位置づけ、結論づけていく。前作と合わせてアジア・アフリカ各地の納豆文化を記した本書は、「縁の下の力持ち」のような調味料としての現代の納豆について記述しているだけではない。縄文人の食文化までも射程にいれ、人類の食への飽くなき探究心がもたらした納豆文化をまとめる「サピエンス納豆」という仮説を提示していく。本書は、われわれにとって身近に思われた納豆をもとに、そこから伸びるいくつもの謎の糸を紡ぎ、壮大で果てしない納豆物語を描き出した一冊である。

 

※1:なお、2000年代以降、ナイジェリアやブルキナファソでは大豆が多く生産され、納豆としても広く用いられるようになっている。

※2:ブルキナファソ編では、影で糸を引く親分として、過去に筆者が紹介した『ブルキナファソを喰う!――アフリカ人類学者の西アフリカ「食」のガイドブック』(あいり出版、2019年)の著者・清水貴夫さんが登場している。

書誌情報

  • 出版社:新潮社
  • 発行:2020年
  • 単行本:366ページ
  • 定価:1,900円(+税)
  • ISBN-13:978-4103400721