『サバンナの記録』 梅棹忠夫=著

紹介:八塚 春名

アフリカに行ってみたいと思いはじめたころ、私の憧れは、1960年代のアフリカだった。手に取るすべての本において、60年代のアフリカには、自然に囲まれて生き生きと暮らす人たちが登場した。そして、そうした本には必ず、自由奔放なアフリカの人たちを愛し敬う研究者が登場した。本書もそうした本のひとつである。

1963年、京都大学がアフリカにおける研究を開始した。調査隊は、タンザニアの西の端、タンガニーカ湖畔にガボコ基地を、そしてサバンナのど真ん中、エヤシ湖のほとりにエヤシ基地を設け、それぞれの基地に長期滞在をして、チンパンジーの生態や人の暮らしに関する研究を始めた。本書は、そのふたつの基地での出来事が記されたエッセイであるが、ほとんどがタイトル『サバンナの記録』のとおり、サバンナに建てられたエヤシ基地でのおはなしだ。エヤシ基地には4人の日本人研究者がいた。著者の「ウメサオ」、牧畜民を研究対象にしながら、医師として地元の人びとに慕われた「ドクター」(富川盛道氏)、狩猟採集民を研究した敏腕ハンター「トミタ」(富田浩造氏)、そして、バンツー系農耕民の社会を調査対象にしながら、子どもたちの「先生」となった「ムワリム(スワヒリ語で先生)ワザキ」(和崎洋一氏)。エヤシ基地のまわりには、牧畜民、農耕民、狩猟採集民と、生業基盤が異なるさまざまな民族が暮らしている。そうした多様な人びとの何気ない会話、ある日の小さな出来事、人の生と死。本書には、サバンナで4人の日本人がであったふつうの人びとの日常が、研究論文とは異なるかたちで、ひとつひとつ記録されている。

さて、そんな「記録」のなかから、私のお気に入りのはなしをひとつ紹介しよう。それは、著者が牧畜民マンガティ(注)から聞いたウシのはなしだ(p.150)。マンガティによると、むかしむかし、ウシは人と同じくらい賢く、口を利くこともできたという。あるとき、食べ物がなくなったマンガティはウシを食べようとした。しかしウシは「どうしてお前たちに食べられてしまうものか」といい、当然、殺されることを拒んだ。しかし、ウシを食べずして生きられないマンガティは、ウシを追いかけているうちに神さまのところへ行きついた。そして、神さまにウシなしではやっていけないと訴えた。その結果、神さまはマンガティに同情し、ウシを人間よりもすこし愚かな動物へとつくりかえ、口を利けなくした。そうして、ウシはマンガティの従順な家畜となったそうだ。

こうしたおはなしはアフリカでたくさん聞かれる。暑い日中、木陰で休憩しているあいだ、じいちゃんたちが、あるいは若者たちが、「ハルナ、知っているか?」と自慢気に、こうした語りを聞かせてくれる。私の大好きな瞬間だ。

私は数年前から、このエヤシ基地のあった地域にしばしば調査に赴くようになった。ある日、調査を終えて酒場で酒を飲んでいると、どこからかやってきたじいさんが、「お前は日本人か?なら、ドクターを知っているか?」と聞いてきたことがあった。私が調査対象にしている狩猟採集民のじいさんに、「トミタは元気か?」と聞かれることもあった。そして、たびたびお世話になる家のばあちゃんは、懐かしそうに、「ドクター、トミタ、ウメサオ、ワザキ」とひとりひとりの名前を言いながら、私に昔話を聞かせてくれた。4人とも既にこの世を去られたが、アフリカで一緒に暮らした人たちの心のなかに、ずっと住み続けられることを、素直にうらやましく思う。

私が今みている2000年代以降のアフリカと、1960年代のアフリカは、きっと、まったく違う世界なのだろう。私がほんとうに見たかったものは、やはり60年代のアフリカにあったのではないか、これまでに何度もそう思ったものだ。しかし一度、お世話になった先生にこういわれたことがある。「君が60年代のアフリカに行ってみたかったと思うのと同じように、君の後の世代はきっと、2000年代のアフリカに行ってみたかったと思うだろう。その悩みはいつの時代に生まれても付きまとうものなんだ。だから、君は、今、自分がみているアフリカを、ちゃんと理解しなければいけない。」

あとがきのなかで著者は、この本の舞台がアフリカのもっとも「未開の」地方であり、本書を読んでアフリカ一般論を論じることは見当違いであると注意を促している。しかしそうはいわれても、本書を読むと、やはり60年代への私の憧れは尽きない。今も変わらない小さな側面に気付いてほっとしたり、今とは全く異なる状況にはっとしたりする場面もある。それでも、そんなふうに感じるのは、私の根底に「今のアフリカ」での経験があるからかもしれない。いつか私たちの世代をうらやましく思ってくれる後輩が生まれてきてくれるように、私も敬意をもってまっすぐに、同世代のアフリカと向き合おう。そう決心させられる、私のお気に入りの一冊だ。

(注)マンガティは、ダトーガとも呼ばれるタンザニアに暮らす牧畜民である。ダトーガについては、ドクター(富川盛道氏)による「ダトーガ民族誌」を参照されたい。

書籍情報

出版社:朝日新聞社.
発行:1965年(1976年に、朝日選書シリーズ54として再販.)