『手でふれた南アフリカ』植田 智加子 (著)

紹介:河野 明佳

「世界の縮図」ともいわれる南アフリカは、どのような場所や人に出会うかによって、全く異なってみえます。FIFAワールドカップ開催が注目を集めたため、サファリやマリンスポーツなどの観光資源、ビジネス、貧富の格差、アパルトヘイトの歴史など、さまざまなイメージが日本でも知られるようになりました。しかし、肌の色の違いが今だに大きな意味を持つこの国において、外部の人の出入りがほとんどない旧アフリカ人居住区での生活や、アパルトヘイト時代を生き延びた人びとの飾らない本音は、ほとんど知られていないのではないでしょうか。そんな描かれることの少ない南アフリカの側面が、丁寧に、そして、とても読みやすくまとめられているのが、私が一押しする本書です。

本書は、アパルトヘイト諸法が撤廃され、体制の移行が行われつつあった1991年に、南アフリカに渡った若い鍼灸師が、人から人へと治療をしながら旅をしていった中での体験を描いたエッセイ集です。

当時、反アパルトヘイト運動の主力を担っていたアフリカ民族会議(ANC)の活動家が来日した際に治療をしたことがきっかけで、著者は「偶然」南アフリカに出会います。知り合いのつてをたどって旅をする中で著者が出会った人びとの多くも、反アパルトヘイト運動に関わってきた活動家でした。その点で本書は、政治囚が解放され、反アパルトヘイト組織が合法化された直後の、南アフリカ社会における人種差別の実状や活動家たちの生き様を感じることのできる、貴重な著作であるといえます。

しかし、本書の一番の魅力は、登場人物たちが「勇敢で屈強な闘士」ではなく、心や身体のどこかしらに傷を負い、葛藤を抱えつつも、前を向いて生きる強さを持った「普通の人」たちとして描かれている点です。人との出会いを大切にし、「必要とされる」ところへ行き、治療をし、泊めてもらう。そんな風に旅を続けていく中で著者は、アパルトヘイト体制から変わろうとしている南アフリカ社会の中で、複雑に錯綜する人びとの想いの様々な側面に触れていきます。それは「抑圧にも負けずに生きるたくましい人たち」という一言では言い表せないものだったと著者は語ります。

本書で取り上げられている数々のエピソードでは、著者が南アフリカで感動した場面が忠実に再現されています。どれも何気ない日常の一コマですが、それこそが、鍼灸師として自らの手で人びとの身体に触れることで著者が感じた、南アフリカの現実でした。そこから読み手の私たちも、著者の感じた南アフリカに一緒に「出会う」ことができるのです。素朴な疑問や不条理に対する怒り、出会った人びとの強さへの驚きなど、著者のまっすぐな気持ちがすーっと心に染み、苦しい経験が多々書かれているにも関わらず、読後に前向きな気持ちになれる本です。

<目次>
序章 ネルソン=マンデラを治療する

I
亡命者との会話
フェアヴューのユースホステル
湖でのできごと
再会


絵を売りに行く男
ソエトの病人
もぐさと少年
ダーバンにて
二十時間のバス旅行
スープと黒パンの待つ家
ロニーとジェリー
「食べる」ことを学ぶ
監獄の島
バスの同乗者
買わなかった新聞
味噌を仕込む樽
寒い夜の集まり
女だけの夕食
お見合いの相手
歴史に刻まれる日

終章 イギリスから南アフリカを見る

あとがき 人が癒され国が癒される

書籍情報

出版社:径書房
定価:2,266円
発行:1993年
243頁
ISBN-10: 4770501307
ISBN-13: 978-4770501301