『エチオピア帝国再編と反乱(ワヤネ)―農民による帝国支配への挑戦』 - 眞城 百華 著

紹介:眞城百華

なぜ、この地域では紛争が起きたのだろう。そんな素朴な疑問からエチオピア最北部に住むティグライ民族の歴史に興味を持ち、研究を始めてもう20年以上がたってしまった。私が最初に関心を持ったのは1975-1991年に生じた紛争であったが、私が研究を始めてからも同民族は2回の紛争を経験した。1回目は1998年から始まった隣国との国境紛争、そして2回目は昨年2020年11月からティグライを基盤とするティグライ人民解放戦線(TPLF)と中央政府の間で生じた戦争である。同戦争は、本稿を書いている今も継続している。

歴史的にも多くの紛争や対立を経験してきたティグライという民族について、特に中央政府との関係を歴史的に検討することが冒頭に掲げた疑問の答えを得るためには不可欠だと考えた。

紹介する本書で研究対象としたのは1943年にティグライ州で生じたエチオピア帝政期最大規模と呼ばれる農民反乱である。約2万人ものティグライの農民が中央政府に反旗を翻し、帝国軍の基地2つを急襲して陥落させ、引き続き州都メケレを占領した。大規模な反乱発生を受けて中央政府は首都から軍隊を派遣するとともに、同盟関係にあったイギリス軍に軍事支援を依頼した。約3か月継続した反乱は、最後にはイギリス軍による空爆とその後の帝国軍の一斉攻撃により鎮圧された。

ワヤネと呼ばれるこの反乱は、帝政期最大規模の反乱として名高いものの、先行研究も少なく、鎮圧する側の史料に基づく研究が主流だった。従来の研究の解釈を乗り越えようと、2003年から2年間のエチオピアに滞在して研究する機会を得た際に、反乱に参加した農民中心とするティグライの人々に反乱の経験をきき、オーラルヒストリーに基づいて反乱の再解釈を行うことを決めた。2年の長期滞在とその後の補足調査でオーラルヒストリーを聞いた方々の総数は150名を超えた。鎮圧する側ではなく、反乱を起こした人々の動機や置かれた環境、参加者間の関係はどのようなものだったのか。反乱発生前に農村が抱えた諸課題、中央政府や政府軍との関係、農民の組織化、一部の農民の指導者とティグライ貴族の関与など、どんな紙の史料にも記されてこなかった歴史がお会いした一人一人の個人の経験を通じて浮かびあがり、多くの証言により新たな反乱像が編み上げられた。本書では、時間をかけて丁寧に語ってもらったオーラルヒストリーを可能な限り取り入れた。あとがきでも触れたが、調査時にはまだ携帯電話は普及しておらず(電話もない村も多かった)、アポなしでいきなり外国人が60年前の歴史を教えてくれと押しかけてくるのは本当に迷惑な話だったと思う。経験を語ってくださった方々には感謝しかない。いまから約80年前に農民反乱に参加した人々の声から浮かび上がった歴史は、政治史の中にどのように織り込まれているだろう。ぜひその声を聞き取っていただきたい。

ティグライはエチオピア帝国においてアムハラとともに帝国の「支配民族」とされつつ、長らくアムハラとティグライの支配民族間の関係については言及されてこなかった。支配民族の一つとされたティグライが起こした反乱という点でもこの農民反乱は関心を集めた。

また反乱が発生した1943年は、エチオピア史においても重要な過渡期であった。アフリカの独立国であったエチオピアが1935-41年の5年弱イタリアのムッソリーニ政権の支配下に置かれ、1941年に海外亡命を図っていたハイレセラシエ皇帝がエチオピアに復帰して独立を回復したものの、国家の再建にはイギリスの助力が不可欠であった。しかし、イギリスとの間にもエチオピアやその周辺地域の統治をめぐる対立があり、1944年にはエチオピア政府はイギリスとの同盟関係を弱め、アメリカに接近していく。農村で一連の政治変動に巻き込まれた農民の経験は、さらに複雑であった。中央政府からすればその中で生じた農民反乱は解決すべき政治課題として扱われたが、反乱参加者の視点から捉えなおすと階級社会の中で最下層に位置付けられた農民が、エチオピアの政治や社会を変革する主体として立ち上がった事件としても再評価することができる。

発生から3か月で鎮圧された反乱であったが、その後1975年に軍事政権に反発して結成されたティグライ人民解放戦線は、その活動を第2のワヤネと称し、1943年の農民反乱との連続性を政治宣言に利用した。実際には1943年の反乱と1975年に結成されたTPLFの間に直接的関係はないが、中央政府と対峙したティグライの経験としての連続性はティグライ史の理解には重要な視点である。TPLFは軍事政権を倒し、1991年から28年間政権の中核を占めたものの、与党内の政争と国内各地からの強い反発により与党の座から追われ、2020年11月から再び中央政府との戦争を開始した。今次の戦争の背景を理解するには、1991年以降のエチオピア政治の分析が不可欠であるが、TPLFとそれを支えるティグライとはエチオピア史においてどのような存在、位置づけであったのか、という歴史的理解も必要となる。

本書は、先に紹介したようにエチオピア帝国における農民が主体となった反乱を農民の視点から再解釈した研究である。また同時に、エチオピアの最北部に居住するティグライが繰り返し経験し、そして今もなお進行中の中央政府との対立の構図を紐解く一助ともなると考える。

目次

序章
第1章  エチオピアとティグライの政治と社会
第2章  ティグライ州の行政改革と中央政府の介入
第3章  アファール襲撃事件――慣習の復活と帝国軍による鎮圧
第4章  ワジラット事件――州政府と農民の武力衝突
第5章  ワヤネの組織と展開
第6章  ワヤネ――「反乱」への転化
第7章  ワヤネの帰結と中央集権化の確立
終章   ワヤネと農民

参考文献
インフォーマント一覧
用語解説
索引

書誌情報

出版社:春風社
定価:本体4,200円+税
発行:2021年(374ページ)
ISBN:978-4-86110-721-4