「野生動物と共に生きる知恵:ギニアの精霊の森とチンパンジー」(2008年10月11日法政大学人間環境学部)
山越 言
連続講義の3番打者として、法政大学人間環境学部の皆さんを前に、「野生動物と共に生きる知恵: ギニアの精霊の森とチンパンジー」というタイトルでお話をしてきました。
前回の岩井さんの担当授業で、自身のタンザニアでの活動について杉浦さんが残した「脅かされる住民の生活を見たにも関わらず、美しい自然を守りたいと思っ てしまう自分に対する葛藤」という印象的なコメントにあるように、自然保護活動の現場では、私たちの頭の中にある「美しい/貴重な/残したい」自然のイメージが大きな影響を与えます。
お話の前半部分では、「将来に残したい日本の風景」というタイトルで、受講者の皆さんにスケッチを描いてもらったり、ガイドブックに出ている美しい風景を 再確認に行くだけのようにも思える観光旅行の倒錯的な構造を考えてもらったりしながら、「美しい自然」という観念が、西欧の文化史の中でどのように造られてきたのかを概観しました。
提出されたスケッチの一例
後半部分では、「アフリカには自然保護の思想がない」、「お金がもらえなければ保護に協力しない」、などと、根拠の薄い批判をされることがあるアフリカの 人々の自然保護への取り組みを再評価するため、伝統的な農村景観の中で、野生チンパンジーと共存しているギニア・ボッソウ村の事例を概観しました。村の裏山にあたる精霊の森と、そこに住むチンパンジーと共存して暮らしている村の様子を、トトロの森や日本の里山保全の運動と関連付けながら説明し、アフリカにおける田園風景の保全の可能性について述べて終わりになりました。
描いてもらって回収した風景のスケッチには、富士山や珊瑚礁などのいわゆる自然景観だけでなく、多世代の人々がともに暮らす農村風景、お祭りに人々が集ま る活気ある地域コミュニティの描写や、居酒屋の赤提灯が並ぶ路地のような「3丁目の夕日」的なものまで、非常に多様な日本の風景が描かれていました。「自然保護」「環境保全」という言葉は、いま非常に狭い意味で使われていますが、上記のような多様な風景を守る活動も含むようなものになっていってほしいとあらためて思いました。