『人を知る法、待つことを知る正義――東アフリカ農村からの法人類学』石田慎一郎=著

紹介:大石 高典

本書の著者は、ケニア中央高地のイゲンベとケニア西部のグシイの社会に、2001年から19年間(本書刊行時点)通い続けながら、法人類学的な研究を行ってきた。

どんな社会でも、借金、土地、婚姻、男女関係などをめぐって様々なもめごとや争いごとが発生するが、アフリカでは国家法に基づいた司法による以外にも様々な紛争解決の仕組みやルールがある。私も、カメルーン農村に滞在中に、村や郡レベルでの紛争調停や裁判の場によく遭遇した。そのような場では、国が定めた法とは別な慣習的な法に基づいて個々の案件について議論が行われ、解決に向けた当事者への助言や和解案の提示がなされる。このように複数の法が併存する状況はリーガル・プルーラリズム(多元的な法体制)と呼ばれる。また、南アフリカにおける真実和解委員会やルワンダのガチャチャのように、フォーマルな形態をとる裁判以外の様々な紛争解決や和解のための方法が世界各地でみられ、オルタナティブ・ジャスティス(代替的な公正)として注目されている。

裁判には、当事者が主張する複数の「正しさ」の中から、ただ一つを選ぶという暴力性がつきまとい、そうしてしまうことがさらなる対立や問題を生んでしまうという難しさがある。このような 「人が人を裁く根源的な困難」にどのように向き合い、乗り越えることができるのか。著者は、アフリカの複数の社会での事例や先行研究をもとに、人が人を裁くことについて、様々なやり方があることを示す。そして、人が人を「裁く社会」/「裁いてしまう社会」/「裁かない社会」という3つの類型を提示する。

グシイ社会は「裁く社会」で、村の寄合で長老らによって裁定が下されるが皆が納得できる落としどころを見つけるのは非常に困難である。同じケニアでも、インド洋岸のドゥルマ社会では、疑われた者は呪物を飲まされて、罪がある場合には呪物の働きでのたうち苦しむこととなる。呪物には即効性があるとされ、呪物の用意をする施術師には毒を盛るチャンスがある。有罪だとにらまれた者は強引に自白させられる運命に置かれる。一方でイゲンベ社会は、訴えがあったことについて白黒をつけるのを急ぐのではなく、一旦ジャッジを棚上げにして待つことを重視する。話し合いで決着のつかない争いごとでは、被告はムーマという呪物を飲まされるがその効果はすぐには出ない。犯人が罪を犯したことを反省して自ら自白するまで、あるいは告発した者がそれが虚偽であると申告するまで待つことに賭けるのがイゲンベのやり方である。つまり、「裁かない」。

本書のところどころでは、著者によるケニアでのフィールドワークの様子と合わせて、「待つ」ことによる対象社会との関わりや自己理解の変化について、現地での出来事と著者自身による内省的な思考とが並行して展開していく過程が記されていて興味深い。著者が、イゲンベ社会における「待つ」正義に身をもって触れながら、オルタナティブ・ジャスティスの可能性を見出していることが伝わってくる。デジタル化も相まって、何事にも早く白黒をつけることがよしとされがちな風潮が強い今の日本社会に暮らす身には、待つことや待つ時間を味わうことからにじみ出てくる言葉はなんとも魅力的である。

このように本書は東アフリカのケニアやザンビアの農村社会を中心とした法と正義をめぐる人々の営みを豊富に取り上げて検討していくが、それと同時に理論研究への関心を前面に打ち出した本格的な法人類学への入門の書にもなっている。とりわけ著者が、法人類学研究の重要な論点のほとんどを学んだという千葉正士による法の社会理論を手引きとして、法学と人類学を架橋する分野である法人類学の研究史が丁寧に紹介されている。法人類学の理論を中心に扱った3章や5章は、法に関する専門用語や独特の言い回しがいくつも出てきて難解だが、本文中や注釈において、著者がかみ砕いた説明をしてくれているので、私のようなこの分野の素人にも付いていき易くなっている。また理論編で展開される考察は、事例編となる後続の章や節において、著者がケニアで観察した実際の裁判や寄合の事例が紹介される中で個別具体的に検討され、深められていく形式になっているので両方を読み合わせるとイメージがわいて理解しやすいだろう。

◆書誌情報:
石田慎一郎著『人を知る法、待つことを知る正義――東アフリカ農村からの法人類学』勁草書房、2019年/296頁。
ISBN:978-4-326-65423-9

◆出版社URL:
(1)紙版 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b487505.html
(2)電子版 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b574907.html

◆目次:
はじめに
I 待つことを知る正義
第一章 待つことを知る社会の正義─オルタナティブ・ジャスティスの人類学
第二章 個を覆い隠す社会─イゲンベ地方の紛争処理における平等主義と非人格性

Ⅱ 他者を知る法の理論
第三章 人間的法主体から社会的法主体へ─リーガル・プルーラリズムの人類学
第四章 アフリカ法の柔軟性と確定性─イゲンベ地方の婚資請求訴訟の分析から

Ⅲ 人を知る法の理論
第五章 人と人との絆を律する法─身分契約の人類学
第六章 アフリカ法の形式主義と反形式主義─グシイ慣習婚の成立要件をめぐって

Ⅳ 法を知る人類学
第七章 法と人間─法人類学総説
第八章 法と政治─もうひとつのパラドクス

おわりに


参照文献
あとがき
初出一覧
索引