『ヤナマール セネガルの民衆が立ち上がるとき』 ヴュー・サヴァネ、バイ・マケべ・サル=著、中尾沙季子=訳、真島一郎=監訳・解説

紹介:池邉 智基

アフリカでもヒップホップは実に人気な音楽である。特に若者と話していると、「ラッパーとして活動をしているからイベントに来ないか」という言葉をもらうこともある。セネガルのヒップホップは、それまでに私が抱いていたワールド・ミュージックのようにジャンル化された中での「アフリカ音楽」とは明らかに異なるものであり、音楽がはっきりとした政治的なメッセージを発信するツールとなり、社会運動の求心力ともなっている。

本書は、セネガル共和国の首都ダカールを中心にラッパーとジャーナリストによって組織された「ヤナマール」という政治運動について、同国のジャーナリスト、ヴュー・サヴァネとバイ・マケべ・サルによってフランス語で書かれたものの日本語訳である。翻訳された文章に加えて、文化人類学者である真島一郎の解説と、運動についての細かな資料が加えられたものである。

ヤナマールは、2012年のセネガル大統領選を目前にした2011年6月23日、当時現職の大統領アブドゥライ・ワッドを批判するものとして起きた民衆騒乱に始まる。長期に渡ってセネガルの政治を牛耳ってきたワッドに対して、クル・ギKeur Guiやフ・マラードFou Maladeなどのラッパーやセネガルのジャーナリストが集い、「ヤナマールY’en a marre(もううんざりだ)」というメッセージを運動の名前として反旗を翻した。

クル・ギはセネガル中部のカオラック出身のチャットとキリファによる二人組のヒップホップグループであり、これまでにも多くの政治的な曲を制作してきた。ウォロフ語で歌われたヒップホップは90年代から人気を博してきた。若者たちがクラブでパフォーマンスするものというだけでなく、社会へのメッセージを発する手段として、ヒップホップは受容されてきた。これまでのセネガル音楽は、70年代からのポップス「ンバラ」のような、セネガルの太鼓とエレキギターなどの電子楽器を織り交ぜた楽曲が人びとに好まれ、ユッスー・ンドゥールを筆頭に、ラテン音楽やロックに影響を受けたラブソングなどが多かった。しかし、セネガルで発展したヒップホップは、ンバラのような“ノリ”を志向したもの(チャットからすれば「メッセージもなにもあらかた空っぽ」なもの)ではなく、個人の生をめぐる問題を扱い、政治的なメッセージを含むものとして作られてきた。この過程はアメリカや他の地域で多彩なヒップホップムーブメントが形成される流れと同様のものと言えるだろう。クル・ギは結成当時(二代目アブドゥ・ジュフ時代)から、発禁処分を受けるほどの、政治批判を含んだ楽曲を出しており、これまでも一貫して政治に対して批判を続けてきた。彼らにとってのラップは発信するのに“ピッタシ”の音楽だった。

セネガルの政治は、独立後、長い期間を社会党によって維持されてきた。レオポール・セダール・サンゴール初代大統領、そして続くアブドゥ・ジュフ二代目大統領によって続いた40年間の社会党政権にピリオドを打ち、2000年に晴れて自由主義政権となったのが三代目のアブドゥライ・ワッドだった。しかし希望に満ちた政権交代は、国民の夢を打ち砕いてしまった。ワッドは、停滞していたセネガル社会に変化(現地語でソピsopi)をもたらすために様々な公約を掲げたものの、それらが実現することは少なく、自らの思い通りに政治を進め、対抗勢力を排除し、さらには自身の息子カリム・ワッドを副大統領に指名するなど、私的で横暴な政治を露わにしてきた。さらにはワッド自身が二期制を憲法に盛り込んだものの、「自分が大統領になったときに改憲したのだから、自身の一期目は適応外」という旨の主張をし、実質上の三期目を目指そうという点、さらに相次ぐ改憲を目論んでいることも批判の対象となった。「もううんざりだ」というスローガンは、そうした構造調整政策以降に立ち上がった自由主義政権が期待に満ちていたこと、そしてその結果大きな失望をもたらしたセネガル政府の現状に対して、強くNOを突きつけるものとして成立した。

こうしたワッドの横暴に加え、特に首都ダカールで起きた多くの失業や、政府の失策から起きたエネルギー問題とそれに伴う度重なる停電などが、市民の不満をつのらせ、運動の引き金になった。そのような状況にあっても、ワッドは自家用ジェットや四輪駆動車に乗って優雅な「出張」に出向いている。若者たちは絶望を覚えながら、その現状をどのように変えるべきか考えていた。奴隷制や植民地支配の歴史を持ち出してヨーロッパを批判するだけではどうしようもない。奴隷制も植民地化も経験していない若者たちにとっては、これまでのワッドら大統領と政府の行動がいかに無駄で何の変化ももたらさなかったかを見てきたことが強く印象に残っている。自分たちの生活を危うくさせているのは当然何もしない政府であり、そのトップにいるワッドをその象徴として批判することとなった。

こうしたワッドへの批判は様々なところで語られていたものの、特に若者の投票率が低いことが問題視されていた。多くの人びとに政治への参加を促すために、ヤナマールは若者に向けた運動を組織した。首都のダカール市内で集会を開いたりデモ行進をしたりするだけでなく、Facebookを活用したり、YouTubeに動画をアップしたりするなどの方法をとって、投票に行くことを呼びかけた。

「フォ・パ・フォルセFaux! Pas Forcé(反抗しないのは間違いだ)」のミュージック・ビデオは、政治参加を民衆に求めるヤナマール運動の思想が表れたものだろう。曲の冒頭、若者たちが家から家を練り歩いて人に呼びかけ行進する様子は、非常に熱狂的だ。若者を見送った女性も、家でただ座っているだけではと思い、立ち上がり行進に参加している。

https://www.youtube.com/watch?v=tCuKAn-T0pk
Faux! Pas Forcé (Y’en a Marre)

しかし、この本の著者はヤナマールの運動を称賛しつつも、同時に運動が徐々に分裂していく様を描き、問題視している。たしかに都市の民衆を巻き込むほどの運動にはなったが、中核では内部の小さな分裂もあり、運動をそのまま肯定的には見られないというのだ。「組織の問題点」という章では、運動が細分化され、セネガルの各地域にヤナマールの下部組織ができたものの、中核メンバーは下部の声を聞くことがなく、決定権を上部にのみ維持しているというのだ。こうした内部外部からの批判もあり、ヤナマール運動の連帯が維持されておらず、運動全体と中核メンバーのクル・ギらの関係についても指摘されている。

そのような現状を本書で指摘されつつも、運動が功を奏してか、ワッドは大統領選で退けられ、対立候補のマッキー・サルが現在の大統領となった。しかし、ヤナマールは当選後のマッキー・サルについても批判をしている。彼らの目的は政治の「見張り役」となることであり、介入することはないと表明している。そのために、新大統領のサルや新しい政府が提示した政策に対しても、これからは問題があれば批判を続けていくとしている。メディアも政治批判を徹底して行える状態ではない。そのためにはヒップホップというツールによって声をあげることができるというのだ。

最後にこの本を紹介した理由として、私は大学の卒業論文でこのヤナマールを対象としたという経緯がある。ヒップホップという音楽のセネガル社会における文化的側面と政治運動などへの社会的波及力を調べようとしていた私は、当時フランス語能力も低いままに果敢にもこの運動を対象とし、見事撃沈した(提出はなんとかできた)のだが、そのときにこの翻訳があればどれだけよかっただろうか、内情をどれだけ知ることができたかと思う。

現在もヤナマールはクル・ギらのリーダーシップのもと活動を続けており、社会の「見張り役」としての動きがメディアにも報じられている。こうした運動に対して継続した研究が続けられるためにも、日本で本書が訳されたことは大きな一歩となるだろう。

書誌情報

出版社:勁草書房
発行:2017年
単行本:167ページ
定価:2500円+税
ISBN-10: 4326654015
ISBN-13: 978-4326654017

ABOUTこの記事をかいた人

日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。