牧畜「社会」ではなく、牧畜「世界」。タイトルに使われている言葉(のちがい)こそが、本書の特徴と魅力を表していると思います。
たとえば、牧畜「社会」と聞いて私が思い浮かべる問いとしては、「各世帯が何頭のウシやヤギ、ヒツジを飼育しているのか?」「それらの家畜を誰がいつ、どこで、どのように放牧しているのか?」「家畜が生み出すさまざまなものをどのように利用しているのか?」「こうした家畜の扱い方について、どんな決まり事があるのか?」といったことです。ウガンダ北東部に暮らすカリモジョンとドドスを対象とする本書のなかでも、こうした事柄についてくわしく書かれています。
しかし、こうした牧畜「社会」についての問いだけでは、牧畜民が生きる「世界」を充分に描き出すことはできないのではないのか? それが本書の出発点にある著者の考えのように思います。「はじめに」で著者は、「先に述べた…(中略)…いずれの研究でも、動物側の行動と人間の側の行動の連なりをきちんと追ってはいない。……日常の生業活動における人間と動物の相互関係に関する牧畜の自然誌は、これまでほとんど記述されてこなかった」(12頁)と書いています。人間(牧畜民)が一方的に動物(家畜)を所有したり管理したり利用するというのではなく、毎日を一緒に生きるなかで牧畜民と家畜はおたがいに「個体」として認識しあい、そのうえで支え合っているのではないかというのです。
とはいえ、本書で描かれているのは、ウシが何を考えているのか、ヤギやヒツジが何を思っているのかといったことではありません。そうではなく、カリモジョンとドドスの人たちが家畜にたいしてどのような働きかけをしているのかをつぶさに観察し、それにたいして家畜の側がどのように反応しているのかということが調べられています。たとえば、カリモジョンやドドスの人たちが家畜に向けて「前方へ移動しろ」「止まって休憩しろ」「動くな、落ち着いて乳を出せ」といった「言葉」を発したとき、家畜はそのとおりに行動するのでしょうか? あるいは、ウシは自分の「名前」を呼ばれたらちゃんと反応する(呼びかけた人のほうを見る)のでしょうか? 本書のタイトルが、『牧畜世界の共生論理』であるとき、そこで描かれているのは人間と動物が牧畜という営みのもとで「共生」している「世界」にほかなりません。
さらに本書では、カリモジョンの人たちが謡う牧歌に一章が割かれ、その魅力的な歌詞やリズム、旋律がそれを謡う人びとの想いとともに紹介されています。とはいえ、著者がフィールドとするこの牧畜世界は、今日では「紛争地域」と見なされている場所でもあります。はたして、人びとにとって銃はどのような存在なのか? そして、政府が進める武装解除は何をもたらしているのでしょうか? そうした現代的なトピックも取り上げながら、最終的に著者は「共生」ということを考えていきます。これまでにもアフリカの牧畜民を対象とした本は数多く出版されていますが、その「世界」に触れてみたいという人、人間と動物の「共生」を考えてみたいという人にお薦めの一冊です。
目次
はじめに
第1章 牧畜世界への接近
第2章 家畜を見るまなざし
第3章 コミュニケーショナルな個体性
第4章 牧歌—詩としての日常生活
第5章 現代の牧野のランドスケープ
第6章 種を越える個体主義
あとがき
書誌情報
出版社:京都大学学術出版会
定価:4,400円+税
発行:2015年3月
A5判上製/320頁
ISBN: 978-4876983186