『なにかが首のまわりに』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著

紹介:池邉 智基

 主人公のナイジェリア人女性はアメリカに移住し、レストランで働きながらコミュニティ・カレッジに通おうと試みるも、親類の不義で頼れる場所を失い、さらに度重なる生活費の支払いに追われ、ナイジェリアの家族からの期待に押しつぶされそうになる。そんな中、ある白人男性から熱心なアプローチを受け、関係を持つ。彼の性格に惹かれていった主人公だったが、彼の言葉遣いや、彼の家族との関係、生活のそこかしこに、主人公と明らかに異質なものを彼が持っていることに気づき、少しずつ心が離れていく。

本短編集は、ナイジェリア出身の作家チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが雑誌に寄稿した短編を、訳者のくぼたのぞみが編んだものである。上述したのは表題作の『なにかが首のまわりに』で、すでに日本語訳も出版済みの『アメリカにいる、きみ』に収録された作品も本作にはあるが、それらの短編もアディーチェによって書き直され、新たに発表されたものが編まれている。これまでの「アフリカおすすめ本」で長編『半分のぼった黄色い太陽』と『アメリカーナ』、そして短編集『アメリカにいる、きみ』など、アディーチェの作品が紹介されているように、アディーチェの作品は多くの邦訳がすでに出版されており、世界でも注目を浴びている。彼女の作品には、彼女自身の経験でもあるナイジェリアの生活とアメリカの生活におけるカルチャーショック、人種や階級の差別などの題材を下敷きにしつつも、作品に登場する人びとの生活や仕事、恋愛、結婚、それらがもたらす心の繊細な揺れ動きが物語の主題となっている。

いくつかの短編を紹介しよう。『イミテーション』では、アメリカとナイジェリアでビジネスを行う金持ちの夫を持つ主人公が、アメリカで息子とメイドの3人で生活する中で起きる心情の変化について描かれる。ナイジェリアの田舎娘だった主人公は、誰もが夢見たアメリカで生活することに当初は満足し、夫に反論もせず、アメリカの生活に馴染もうとしてきた。そんなアメリカの生活は、彼女にとって「プラスチック」の模造品のようでもあった。夫の浮気疑惑が生じたことで、主人公は徐々に感情を露わにするようになる。
『結婚の世話人』では、ナイジェリアで結婚相手を見繕ってくれた親族の勧めで、アメリカに住むナイジェリア人医師のもとに嫁いだ女性が主人公だ。夫は彼女をアメリカに順応させようと言葉遣いから食べ物に細かく口出しし、さらには名前さえもアメリカ式のものを名乗らせるため、主人公は少しずつ少しずつ疲弊していく。誰もが憧れるアメリカで、しかも高収入が約束された医師のもとに結婚したはずなのに、すべてがうまくいかず、秘密の多い夫とまともな会話もできない。少しずつ夫の秘めた事実が明らかになったところで、主人公は小さな行動を起こす。

これらの作品の主人公たちが生きる世界の多くは中流家庭で、彼女らの多くはジェンダーや家族、人種や民族などが足枷となって、選択肢を持つことが阻まれる。主人公たちが抱えるひとつひとつの絶望を、アディーチェは淡々と、ときに皮肉たっぷりに描く。作品に登場するナイジェリア人の若い女性たちは、結婚によって、仕事によって、いくつもの苦難を強いられる。その苦難の多くは、彼女たちの声が届かないことにある。女らしく、ナイジェリアの民族における習慣に従い、父や夫をたてる。アメリカに移民すればアメリカ人らしく振る舞い、ナイジェリアの英語とは異なるアメリカ英語を習得させられる。そうしたさまざまな規範を守ることを強いられ、主人公たちは口を閉ざされる。彼女たちの小さな闘争は、彼女たち自身で決断することで始まる。家族の言葉に従っていた主人公たちは内心で反感や疑問を抱きつつも、括弧つきのセリフとして発言することができなかったが、夫や父母らにはっきりと反論し、ときに皮肉を言ってみせ、自身のことばではっきりと主張することが物語の転換点となる。

TEDトークでアディーチェが語った「シングルストーリーの危険性※」も、本作を理解するためには重要なものだろう。「アフリカ」を語るとき、「貧困」を語るとき、ひとつの固定化されたストーリーによってステレオタイプは形成されてしまう。アフリカには、綺麗な景色があり、豊かな自然と動物がいる一方、無意味な戦争、あるいは貧困やエイズに苦しめられているといったシングルストーリーを背負わされている。そうした「よくあるお話」によって生じたステレオタイプから、またシングルストーリーが再生産されてしまう。つまり、個人の物語ではなく、「アフリカ」や「黒人」といったカテゴリーで語られる物語構造の偏りをアディーチェははっきりと批判しているのである。訳者によるあとがきでも、アディーチェが「民族紛争や政治腐敗といったイメージで語られるアフリカではなく、外部から見た報道からこぼれ落ちるふつうの人びとの日々の物語を書きたい、“真のアフリカ”といった表現で語られがちなステレオタイプを強化する文学イメージを突き崩したい(p. 316)」と語ってきたことが書かれている。本作で登場するふつうの人びとの生活の細かい心情に注目する視点は、アフリカや黒人、女性への観点をさらに複雑化させ、単一のステレオタイプにまみれた物語を覆す。

そのようなエネルギーに満ちたアディーチェの作品の中には、“良識”や“理解”を持ち合わせているように見せかけながら、ステレオタイプを強く持っているアメリカの白人や、アフリカへの憧憬を強く持つがゆえに彼らも同様にステレオタイプを内面化したアフリカン・アメリカンがたびたび描かれる。例えばアフリカ人作家たちが南アフリカのロッジで滞在し、作品の合評会を行うワークショップが舞台の『ジャンピング・モンキー・ヒル』では、文学界に権力を持つアフリカニストの白人が偏見たっぷりの主張をするところが描かれている。主人公たちは自身の体験を作品にするものもいれば、自国の内戦をテーマに作品を書くものもいる。しかし、セネガル人作家が書いた同性愛者の物語も、主人公が書いた契約をとるために銀行員の女性が顧客に性的なサービスをするよう強いられた物語も、それぞれ作家個人の体験であるにもかかわらず、「アフリカを反映」しておらず、「リアルな人たちを描いたリアルな物語」ではないと白人のアフリカニストは言い放つ。そんな白人は合評会の最中ずっと主人公に対して性的な視線を注ぎ続けている。作品についてまともな評価もされぬままハラスメントを受けることに耐えられなくなった主人公は、白人の言動にやりこめられてしまう他のアフリカ人作家たちに問う。「なぜいつも私たち、なにもいわないの?(p. 157)」

本作に収録された物語たちは言うなれば、自分の言葉を取り戻す物語である。繊細な心情を描きながら紡がれる主人公たちの鋭い言葉に、私も胸にキリキリと刺さるものがあった。アフリカや移民、ジェンダーなどが抱えるシングルストーリーは、まだまだ根強く残り、いくつものステレオタイプを作り出している。本作は、アフリカの、黒人の、移民の、男女の、いくつもの物語を通じて、それらを細かく丁寧に問い直す。彼女たちの言葉が織り込まれた一行一行に、新たなストーリーを読み解くことができるだろう。

※TED Global 2009 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「シングルストーリーの危険性」

新書: 318ページ
出版社: 河出書房新社 (2019/7/8)
言語: 日本語
ISBN-10: 430946498X
ISBN-13: 978-4309464985