『遠い世界』 諸星大二郎=著

紹介:庄司 航

漫画家の諸星大二郎による、カラハリ砂漠に住むブッシュマンを題材とした「ダオナン」という短編作品を紹介しようと思う。本作は『諸星大二郎特選集第3集 遠い世界』という短編集の中におさめられている。

ブッシュマンはアフリカ大陸南部のカラハリ砂漠に住む民族であり、狩猟採集社会と移動生活でよく知られている。この作品は、おそらくは20世紀半ばあたりのカラハリ砂漠を舞台に、ブッシュマンの青年ダオナンが狩りの途中で宇宙人に出会い、交流するという純然たるフィクションである。宇宙人といっても人間の姿はしておらず、言葉も通じない。地球にやって来た乗り物は何らかの原因で大破し、帰ることができなくなっている。ダオナンは自分が狩ってきた動物の肉を与え、宇宙人はキャンプへ帰るダオナンに同行する。言葉も通じず「文化」も異なる宇宙人と、ダオナンはしだいに心を通わすようになる。

最後のページには参考文献として、人類学者田中二郎の著書『ブッシュマン』があげられており、野生メロンを食べる場面や、自然の描写の参考にしたことがうかがえる。また、ブッシュマンの社会に特徴的な、食物分配の平等主義にも言及されている。

やがて道中でダオナンらはハンティングに来た西洋人と思われる人びとの車にでくわする。西洋人をこころよく思っていないダオナンは木の陰にかくれるが、宇宙人はそのまま西洋人たちに近づいていき、撃たれてしまう。

そこで舞台は、ページを飛ばしたかと思うほど唐突にカラハリ砂漠にある岩壁画の前に移る。そこではブッシュマンの老人が子供たちに伝説を語っている。我々が読んできたダオナンの物語は、どうやらこの古老の語りであるらしい。

老人は次のように語る。
ダオナンは精霊にカモシカの肉を与えたのでふたりは友達になり、
白人は鉄砲の火を与えたので精霊は死んだ。
だからブッシュマンは互いに肉を与え合い、
白人は鉄砲の火を与え合うのだと。

壁画にはダオナンと宇宙人の絵が描かれており、どうやらその世界は我々の住む時代からさらに何千年もたった未来であるらしい。そしてその世界のブッシュマンたちは、遠い未来でもいぜん彼らの昔からの生活を守り続けているようだ。そこに描かれるユートピアは、激しく変転する現実のブッシュマン社会との印象的な対比をなしている。

本作でも諸星大二郎の他の作品と同様、画面がたくさんの線で埋められている。それは絵というよりは、まるで千羽鶴や千人針のような、何者かへの祈りの痕跡のようだ。これは諸星大二郎の絵の魅力の根幹であり、また同時に作品を読むことを大変エネルギーのいるものにしているとも言える。

ブッシュマンによる岩壁画は実際に各地に残されており、作者はそうした写真や文献からインスピレーションを受けてこの作品を構想したのだろう。

本作品はジャンルとしてはSFと言えるだろうが、飄然としたブッシュマン的振る舞い、とでもいうべきものが見事に描かれているように私には思われた。ブッシュマンに詳しい専門家の感想もぜひ聞いてみたいところだ。なお本作品は1979年に発表されている。

この短編集におさめられた他の作品についても少し触れておこう。旅人である「私」が異世界の変わった風習を淡々と報告する「遠い国から」、空想上の動物を探して旅をする老人と少女を描く「ユニコーン狩り」、日常に奇妙な世界が侵食するエッセイ風の作品「ブラック・マジック・ウーマン」はそれぞれ不思議な味わいがあり、強い印象を残す。

インタビュー記事等によると諸星大二郎は出不精であるらしく、何かを現地で取材して描くことはほとんどないそうだが、それにもかかわらずまるで見てきたかのような強いリアリティを持つ作品を描くことは実に驚くべきことである。

書誌情報

出版社: 小学館 (2013/12/27)
定価:本体1,429円+税
ISBN-10: 4091857590
ISBN-13: 978-4091857590