『アフリカ騎兵』 ピエール・ロティ=著、渡辺一夫=訳

紹介:池邉 智基

本書は、フランス海軍士官であったピエール・ロティが残した多くの小説の中でも初期の作品である。フランスによる植民地統治が進められた時代のセネガルを舞台に、フランス人のアフリカ騎兵のジャンと、セネガル人女性ファトゥの恋愛を描いた作品である。白人と黒人という人種やしがらみを越えた恋愛模様が描かれているが、ジャンの目線から見たセネガルという地域と人びとへの蔑視も含む、愛憎入り交じるものである。しかし、当時のフランス人にとってアフリカのセネガルという場所がどのように映り、描かれたかということを詳細に知ることのできる小説だと言える。

タイトルの「アフリカ騎兵」は、フランス語でスパイspahiと呼ばれた騎兵隊であり、オスマン朝のスィパーヒーに由来する。フランス植民地支配を進める上で、反対勢力となるような現地の「部族」がいないか監視し、ときには制圧にも動くという軍隊である。フランス人だけで構成されているわけではなく、現地で召集した兵士もいる。作中にはニヤオール・ファルというセネガル人の騎兵隊員がジャンの同僚であり、数少ない理解者として登場する。

アフリカ騎兵が駐屯するのは植民地行政府が置かれていたサンルイ(現地語ではンダール)であり、時代設定はおおよそ1870年から1880年と思われる。ロティが実際に住んでいた時代をもとにしており、ロティが感じた色やにおい、暑さや風景が心情豊かに描かれている。鮮やかな筆致は、当時のフランス領西アフリカのうだるように暑く、色鮮やかに人びとが生活している様子を描き出している。

主人公となる二人を説明しよう。ジャンは、フランスの山間部出身の若者であり、徴兵された際に背が高いという理由で騎兵隊に選ばれた。未知なものの神秘的な魅惑に惹かれ、アフリカ騎兵を志願した。しかし、辿り着いたサンルイの町は、彼にとって大きな憂鬱をもたらすほどに物悲しく見えた。うら若き二十歳前後のジャンには出身村に許嫁がいたが、任地についてしばらく経って、ある富裕な商人の妻である白人と黒人の「あいのこ(半白半黒)」の女性と恋愛関係に陥る。しかし「あいのこ」にとってジャンはただの情夫のひとりに過ぎず、別の男の影があることがわかる。偶然現場を目撃してしまったジャンは大きな喪失感に陥り、発狂したかのように砂地へと飛び出したジャンは意識を失ってしまう。

そんなジャンを追いかけて献身的に看病したのが、「奇怪なネグロ」の少女ファトゥだった。ファトゥは「あいのこ」の家で「捕虜」として暮らす黒人の娘だった。いつしかファトゥはジャンが間借りしている家で暮らすようになり、二人の生活は周知のものとなる。出会った当初のファトゥは半裸で「猿のような女」ではあったものの、年を重ねるごとに成長していくファトゥは、髪を結い、きれいな服に身を包む女性へと様変わりしていった。ジャンはファトゥの魅力に心を惹かれたが、その共同生活は問題ばかりだった。黒人との恋愛は隊内では不祥事として扱われ、働きぶりは悪くないにも関わらず、ジャンはなかなか昇進することはできない。困窮した父母からは、しばしば赴任地での稼ぎを送るよう手紙が届く。ファトゥは口を開けばジャンに「金(カーリス)」を無心し、服や装身具に浪費する。板挟みの中にいるジャンは苛立ちを覚えていたが、ファトゥとの情欲的な偏愛から抜け出せずに過ごした。

二人の恋愛は、お互いの社会的地位を危うくさせるものだった。ジャンは先述の通り、黒人との情事が隊内の不祥事として扱われており、理解者の少ない環境にいた。ファトゥも、白人のジャンとの関係を持つためにクリスチャンに改宗するなどの行為が、イスラームからの「裏切り者(カフィール※)」として扱われる。冒険的な恋愛関係は、しばしばジャンがファトゥに不満を抱き鞭で叩くなどの暴力的な側面も見せたが、それでも離れることができずにいた。しかし、この関係は、ジャンが大事にしていた形見の銀時計がなくなることで大きく変わることになる・・・。

繰り返しになるが、「アフリカ騎兵」は作者のロティ自身が実際に見て感じたものが反映されている。巻末に載っているロティの略年譜からは、1873年からのセネガル赴任時に二つの恋愛を彼自身が経験していたことがわかる。実際の相手はセネガル人ではなかったが、作中で出てくる「あいのこ」のモデルになったと思われる女性と恋愛をしたり、有夫のヨーロッパ人女性のもとに入り浸るなど、ロティの実体験と小説の内容は重なる部分が多い。

ロティは多くの作品を自伝的に記述することが多かったようで、任地として訪れたイスタンブールでの経験やベトナム滞在中の内容を小説にもしている。日本に来日経験もあるロティは、「お菊さん」や「お梅が三度目の春」という作品も残している。

また、この小説は民族誌のように読むこともできる。どれほど正確なのかは判断できないが、当時のサンルイの人びとがどのような儀礼を行っていたか、音楽はどのようなものがあったのか、生活している様子、食事など細かい部分についても非常に詳しく描かれている。無人島だったサンルイ島は、1659年からフランス人が商業の拠点としてから、政治的、経済的に利用できる場所となっていった。そこからフランス人によって当地の文化や社会についての知識が共有されていたのだろう。ロティが文献などに頼って記述したのか軍内で情報共有がされていたのかは定かではないが、現地の社会についての記述が作品に厚みを持たせている。

余談だが、筆者はこの小説の舞台であるサンルイに滞在したことがある。区画整理がしっかりと行き渡った街区があるサンルイ島は、コロニアル様式の建物が並ぶ異国情緒溢れる街となっている。欧米人が多く訪れるリゾート地ともなっており、ホテルや土産物売り場が立ち並ぶ。街中を歩けば欧米人観光客に多く出会い、実際にサンルイで暮らしているというフランス人にも多く出会った。そんな洗練されたサンルイ島から橋を渡って漁師町に向かうと、区画整理はされているものの島とは性質の異なる活気に満ちた生活空間が広がっている。ロティが実際に見たサンルイとは140年以上も時を離れたものだが、白人と黒人が混ざりあいながら、また分離されたような不思議な空間は、いまもまだ残っているように見えた

※カフィールは、アラビア語の正式な発音では「カーフィル」であり、「不信仰者」を表す。原義ではムスリムではないもの、すなわち不信仰者を指す言葉ではあるが、ファトゥのフランス人との不義を指して、宗教的な不信仰というだけでなく、セネガルの地域共同体からも背信行為を働いたという含意もあるかもしれない。

書誌情報

単行本:323ページ
出版社:岩波文庫
出版年:1952年(白水社で出版されたのは1938年、原書出版年は1881年)
ISBN-10:4003254643
ISBN-13:978-4003254646