第6回:舟の旅に向けて(松浦直毅)

森と河をつなぐ―コンゴにおける水上輸送プロジェクトの挑戦

コンゴ民主共和国でフィールドワークを続けてきた私たち3人(松浦直毅、山口亮太、高村伸吾)は、困難な生活を乗り越えようと血のにじむ努力をしている森林地域の人々の姿を目の当たりにし、彼らの取り組みを後押しするためにひとつの企画を発案しました。それが水上輸送プロジェクトです。

2017年夏、地域の人々と私たちの協力のもとでプロジェクトが実施されました。その一部始終をご紹介いたします。

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ワンバの日常

「マツウラサン、オハヨーゴザイマス!」

ワンバ基地の朝は早い。ボノボたちが目覚めて動き出すところから観察調査をするためには、当然のことながら、ボノボたちよりもずっと早く起きて支度を整え、ボノボたちが寝ているところまで行かなければならない。そうなると、ボノボ研究者の起床するのは早朝4時~4時半ころで、5時前には森へと出かけていく。さらに早起きなのが私たちの調査生活を支えてくれている現地スタッフで、料理人たちは4時半には朝ごはんが食べられるように、早朝、というより早朝と夜中のあいだくらいの時間から働きに来てくれる。

一方の私はというと、だいたいボノボ研究者が出かけたかなりあと、すでに森で観察が始まっているであろう6時半~7時くらいにノソノソと起き出す。それでも自分のなかでは健康的な早起きの時間のつもりだが、冒頭の声をかけてくれたべテラン料理人からすれば、ひとりだけ遅くに起きてくるお寝坊さんというところだろう。朝食は、ごはん、前日の夕飯で残った魚や肉のほかに、オムレツ、パパイヤなどもついた豪華なものだ。ちょっと変化が欲しいときには、日本から持ってきたふりかけやインスタントみそ汁を添え、さらに調査地ではちょっと貴重な食後のコーヒーで一服するのが、ささやかながら幸せなひとときである。イヨンジ村から泣く泣く撤収してきたヤマグチ君であるが、転んでもただでは起きまいと、ワンバ村の人のキャンプで調査をおこなっており、いまはキャンプ生活中である。

8月31日、午後から商品の買い取りについての相談と舟旅のメンバーの選出のための住民組織との会合という大きなイベントがひかえているが、その前に今回の滞在中の貴重な機会として、ボノボ調査に同行させてもらうことになった。これまでにもボノボ調査に同行したことが何度かあったが、何度みても間近で見る野生のボノボの迫力は圧巻で、楽しみなあまりはりきって必要以上に早い4時に起きて準備を整える。調査に連れていってくれるのは、ボノボ研究の若手有望株で、私たちが滞在中の8月21日にワンバ入りして、翌年2月までの6ヶ月間の調査をおこなっている徳山奈帆子さんである。ここからは徳山さんに登場してもらって、ボノボ調査のことを説明してもらうことにしよう。なお徳山さんには、このワイワイプロジェクトのフィナーレでも重要な役割を果たしてもらうことになる。

ボノボ調査(著:徳山奈帆子)

日本からはるばるワンバまでやってくる研究者には、大きく分けて二通りの目的がある。松浦、山口、高村さんが行っているような生態人類学的研究、そしてワンバ周辺に生息するボノボの研究だ。松浦さんにスペースをいただいて、ワンバでの研究活動のもう一本の柱であるボノボ研究について紹介させていただきたい。

ワンバまでの道のり、そして現地での生活の苦労については、これまでの連載で皆さんが切々と語っている。そんな大変な場所にどうしてわざわざ行くのか?それは、そんな苦労を吹き飛ばすほど、ボノボが研究対象として重要かつ面白い動物だからだ(写真1)。ボノボはチンパンジーと並んでヒトと最も近縁な動物で、その研究はヒトの進化を考えるうえで欠かすことができない。チンパンジーとボノボは非常に近縁ながら大きく異なる社会性を持っており、両方の理解が大切なのだ。例えば、チンパンジーはオス優位・オス中心の社会を持っているが、ボノボは体の小さいメスがオスよりも優位に振る舞うし、メス同士の方がオス同士よりも仲が良い。チンパンジー型社会のみをヒトの祖先形質とした場合と、ボノボ型社会も考慮に入れた場合とでは、ヒトの社会の進化に対する考え方が変わってくるのである。残念ながら、アフリカの赤道付近の国々に広く生息するチンパンジーに対して、ボノボはコンゴ民主共和国にしか生息しておらず、コンゴの政情不安の影響を受けてボノボ研究は大きく遅れてしまっている。ワンバでは、中断を挟みつつも1973年から研究が続けられており、現在はE1、PEと呼んでいる2集団について連日の追跡とデータ収集が行われている。

写真1.ボノボ(徳山撮影)

 私たちの朝は早い。まだ真っ暗な早朝4時に起き、食欲などない中に朝ごはんを胃に流し込む(想像してほしい、おかずはヤシ油たっぷりの鶏の煮込みなのだ)。4時半ごろ、森の案内人であるトラッカーが迎えに来て、前日に確かめてあるボノボの寝場所へと出発する。日によって違いはあるが、1時間半ほど歩いて到着するころには、日がなかなか差し込まない森の中もうっすらと明るくなってきている。ボノボ達が起きだすと、さっそくトラッカーと協力してデータを取り始める。私の場合は社会行動をターゲットにしているので、誰が、誰に、何をした、というのを延々とノートに書き続ける。ボノボ達には全員名前が付いていて、それぞれ顔や体の特徴で見分けることができる。ちなみに、ボノボ達が大好きな甘い果実は、主に樹冠に生っている。20-30mある木に登られると顔は見えない。そんな時はどうするか?お尻で見分けるのである!ボノボのメスはピンク色に膨らんだ外性器をもっており、その大きさ・形は千差万別。オスだって、睾丸の色や形で見分けられる。ずっと後ろを付け回し、双眼鏡でお尻を見つめ、何をしているのか記録。つまり、やっていることはストーカーである。人間相手だったら逮捕される(写真2)。

写真2.調査のようす(松浦撮影)

お腹いっぱい果実を食べた後は、昼寝の時間だ。樹上で枝を折って直径1.5mほどのベッドを作って、とても快適そうだ。眠らない個体は毛づくろいを始め、子供たちは集まって遊んでいる。なんとも平和な光景で、観察しているこちらも穏やかな気分になる。お腹がすくと動き、食べ、昼寝をする(食物の豊富な熱帯雨林、彼らが明らかに食べ物に困っているところを見たことがない)。そんなサイクルを数回繰り返し、薄暗くなってくるとボノボ達は一斉に声を上げだす。「サンセットコール」と呼ばれている行動で、まるで「ここら辺で寝ようか」と言い合っているかのようだ。昼間、集団から少し距離を取って採食をしていた個体がいても、この声を聞くと集まってくる。ボノボがベッドを作り始めれば調査は終了。森の中はもう真っ暗で、ヘッドライトの光を頼りにまた一時間半かけて村に帰る。基地では、毎晩のミーティングでその日見られたボノボの名前、発情状態や採食物を記録する。晩ごはんを食べ、バケツ一杯のお湯をもらって体を洗うと、もう就寝時間。翌日の四時起きに備えて早々に眠りに付く、、、、ただし、このようなストイックな調査スタイルを誰もができる訳ではない。丸一日の調査がしんどい人は、途中で帰ることもできる。軟弱な私は基本的に明るいうちに調査を切り上げ、その後をデータ入力の時間にしている。

ワンバではこのようなボノボ調査が、村人の協力のもとで40年以上にわたって継続されてきた。銃を使った狩猟と一次林の伐採は禁止されているが、村人は伝統的な狩猟や採集のために日常的に森に入り、ボノボと同じ森を使って生きている。調査隊は、トラッカーやコック、守衛など約30人を村から雇うとともに、奨学金や病院建設の援助を行ってきた。村人と研究者が「持ちつ持たれつ」の関係を続けてきたのだ。しかし、長く続いているからこそ援助活動に対するマンネリ感もあり、新たな切り口の支援を再三にわたって求められていた。とはいっても、ない袖は振れないと困っていたところに、ワイワイプロジェクトが企画されたのだ。村中がその話で持ち切りになり、大いに盛り上がった夏だった。

(徳山奈帆子)

※ワンバでのボノボ研究についてもっと知りたい方はぜひ以下のサイトをご訪問ください。
・ビーリア(ボノボ)保護支援会のページ http://bonobo.eco.coocan.jp/
・facebookページ https://www.facebook.com/bonobo.at.wamba/

住民組織との会合(ワンバ村編)

ボノボのストーカーをする徳山さんをストーカーしてのボノボ観察にすっかり満足し、でも、毎日森を歩く調査は自分にはできないと息も絶え絶えになって12時すぎに帰ってくると、キャンプに出かけていたヤマグチ君も基地に戻ってきていた。お互いの活動成果や進捗状況を報告し合い、これからはじまる会合にそなえる。13時に予定されていた住民組織の会合であるが、ジョルからのガソリン輸送に奔走しているアルフォンスとクリストフがまだ帰ってきていないこともあって、なかなか始まる気配がない。結局2人は戻ってこないままだが、ワイワイプロジェクトに刺激されて新たに設立された4団体をふくむ15団体の代表が勢ぞろいし、もちろん私とヤマグチ君も参加して、予定より大幅に遅れて15時に会合が開始となった(写真3)。

写真3.ワンバ村での話し合いのようす(山口撮影)

ここではまず、商品を「買い取り」する方法が決まった。住民組織が供出する商品を、私たちが村でいわば立替払いで買い取って、バンダカに運ぶことにしたのである。商人であれば、村で安く買い取ったものを町で高く売ることで、必要経費をまかなってさらに利益を出すわけだが、私たちは儲けることを目的にしているわけではないので、「都市価格」で買い取ることを約束した。「都市価格」については、実際に村とバンダカとの河川交易をやっている商人ティゾン氏から相場を聞いて確認した。費用負担の一部を村人にも貢献してもらうことにして、価格の5%程度を徴収することにしたが、それでも商人に売るよりもずっと良い値段で、住民組織にとっては大きな支援になることが期待できる。

買い取りという方法をとったのは、たんに支援だからというだけでなく、村の社会関係を考慮したからでもある。すべての住民組織のメンバーがバンダカに行けるわけではないので、「後払い」にした場合は、住民組織から選ばれた旅に同行するメンバー(以下、選抜メンバー)が売り上げを持って帰ることになるが、そうすると、彼らに対して嫉妬や疑惑の目が向けられるおそれが大きい。実際の売却額を偽って差額を自分のフトコロに入れているのではないか、と他の村人たちから疑われるわけである。第4回で述べたように、協力や相互扶助によって強く結びついた人間関係で成り立っているワンバ地域の社会は、一方で、「自分たち」と「よそ者」とが厳しく対立する社会でもあり、私たちはこれまでにも、外部からもたらされた大規模な支援が、効果をあげるどころか深刻な対立を生んでしまった例をみてきた。プロジェクトを実施するうえで最も注意しなくてはならないのは、プロジェクトがかえって対立を引き起こし、逆効果に終わるということである。とくに、私たちが復路に同行して村で結果を報告することができないため、復路以降のことは選抜メンバーに任せることにしており、対立を防ぐよう細心の注意を払って周到に準備しなければならない。

会合では、ワンバ村の中で舟旅に同行する選抜メンバー4人が決まった。村の多数の住民組織を代表して参加する重要な役割であり、私たちにとっても1週間も舟の上で寝食をともにする大切なパートナーとなる人たちである。まず、私たちからの「推薦枠」として、以前から私たちの調査に協力してきてくれた2人が選ばれた。ひとりは、学校の教師で、初期のころから住民組織の活動にも参加して、現在は自分が代表を務める住民組織ANGYの運営をしているデュドネ、もうひとりは、ちょうどいまガソリン輸送でも大車輪の働きをしてくれているアルフォンスである。アルフォンスは、キンシャサで専門学校まで通った経験があり、その後、出身であるワンバに戻って中学校を設立して校長を務めている。教会関係者による住民組織GCWCNの主要メンバーであるとともに、デュドネが率いるANGYにも所属している。どちらも真面目で優秀で、十分な信頼がおける人物といっていい。

一方、住民組織がそれぞれに候補者を出してきて、そのなかから誰を選ぶかを議論しました。その結果、ワンバ村で最も大きく歴史が長い住民組織ADEWAを代表してフェリー、2番目に大きい住民組織DWRを代表してジャンが選ばれた。フェリーは、まだ20代と若いがやはり学校教師をしている。やり手だが村人ともめることも多い前代表から、最近になってADEWAを任された。私自身は、これまでに一緒に働いたことや議論を交わしたことがほとんどなく、まだ若者でもあるので、出発までの準備における働きぶりを見て、人となりを判断することにした。ジャンは、ワンバ村では滅多にいない物腰のやわらかい40代で、キンシャサで仕事をしたこともあり、現在は村周辺のなかで小規模な商売をおこなっている。今回は、私の森での調査も手伝ってくれており、人柄、仕事ぶりともに申し分ない。

私が心配していたのは、参加者が口々に自分が行くと言い張ってゆずらなかったり、4人では足りないから人数を増やせなどと言ってきたりすることだったが、そうした無理な主張はほとんどなく、満場一致でメンバーが決まった。上に述べた通り、プロジェクトによって地域社会の関係が毀損されるようなことは最も避けたいわけだが、これまでの数年間にわたって培ってきた関係や、今回の期間中に地道な準備と根回しの甲斐もあって、こうしてみんなが納得したということに安堵した。ワンバ村の選抜メンバーとして、ベストといえる布陣が整ったといえる。

商品の確認

会合翌日の9月1日、ヤマグチ君とふたりでワンバ村のそれぞれの組織を訪ねてまわり、集まった商品を確認した。住民組織に対して商品を集めてもらうよう呼びかけたときには、ふたつのことを心配していた。ひとつは商品がほとんど集まらないことであり、もうひとつは逆に、商品が集まりすぎてしまうことである。商品の確認にまわってみると、このうち後者の心配が当たっていることがすぐにわかった。100kgほどの乾燥イモムシをつめた袋が多数、25リットル容器入りの蒸留酒がこれまたたくさん、そのほか農作物や家畜などを合わせて、とてもではないけれど運びきれそうにない量の商品が用意されていた(写真4)。

写真4-1.集まった商品(松浦撮影)

写真4-2.商品確認のようす(松浦撮影)

金額としても、私たちが立て替えて払える分をはるかに超えていた。計算したところ結局、ワンバ村の15の住民組織で合わせて、乾燥イモムシ71袋(1袋=約150ドル)、蒸留酒60本(1本=約28ドル)、そのほかに、ヤシ油、米、トウモロコシ、キャッサバ、乾燥魚、そして家畜も多数が集められ、総額は2万ドル分近くにのぼった。これだけの量の商品が集まったのは住民組織との協力の賜物だともいえるが、一方で、彼らにとってみれば、村にいながら都市価格で商品が売れる絶好のチャンスであることから、ここぞとばかりに村中から商品をかき集めてきたからでもあるだろう。荷物の積載量と私たちの予算をかんがみると、できるかぎり買っても買い取れるのは一部だけということになると思われるが、それで納得してもらうしかない。そのかわり、買い取ったものだけを運ぶという計画を変更して、選抜メンバーが所属している団体の商品は、選抜メンバーが責任をもつことを条件に、その一部を運んで売るのを許可することにした。

炎天下のなかで村を歩きまわり、15団体からの大量の商品の確認を終えたときにはヘトヘトに疲れていたが、のんびり休んではいられない。何をどれだけ買い取るかをこちらで決めて、その結果を伝えなくてはならないからである。ヤマグチ君とふたり、夜遅くまで手持ちのお金を数えて買い取り可能な量を計算し、組織ごとのバランスを考えて買い取りの量を調整して、ようやく買い取りする商品のリストが完成した。集まった商品の一部だけではあるが、それでも約2500ドルにもおよぶ。

商品を集めてみてわかったのは、最も大量に集められる重要な商品は、乾燥イモムシ(ビンジョ)とキャッサバとトウモロコシからつくる蒸留酒(ロトコ)だということであった。

これまでに資源利用をくわしく調べており、今回はビンジョ採集のキャンプでも調査してきたヤマグチ君にいちどバトンタッチして、ビンジョとロトコについて説明してもらおう。

ビンジョとロトコ

ヤリサンガで泣かされてワンバ村の調査基地に戻った僕は、結局、基地から5キロメートルほど南西の森の中にあるキャンプで調査を行うことになった。キャンプの持ち主は、フランソワという30代の男性である。僕が滞在したときには、彼の妻とその母親、妻の姉夫婦、そして子どもたちなど、総勢20名が滞在していた。フランソワによると、彼はこのキャンプに毎年2~3ヶ月程度滞在しているという。このキャンプは、南に少し行くと川が流れており、獣肉も魚も捕ることができる立地だが、一番の目的はビンジョ、つまりイモムシである。

ボンガンドの人びとは、コンゴ盆地の住民の中でも特に昆虫食を好むといわれており、非常に多くの昆虫を食用としている。その中でも特に重要なのが、ビンジョだ。ビンジョとは、要するに蝶の幼虫の総称で、彼らが食用としているのは20種ほどにもなる。今回僕が調査したのは、7月~9月にかけて大量発生するバンゴンジュというイモムシである(写真5)。バンゴンジュは、タコの足のような根をしたボセンゲという木によくつくビンジョで、十分に成長して終齢幼虫になると地面に降りて近くの低木で蛹化する。ボンガンドの人びとが狙うのは、蛹になる場所を探して地面近くを歩く終齢幼虫である。終齢幼虫が出始めるのが毎年7月頃からであり、この時期になると人びとは森のキャンプへ入って集中的に採集を行う。この時期には、地面や木々のあちこちを幼虫が這っているため、子どもでも簡単に捕まえることができる。捕まえた幼虫は、その日のうちに鍋で茹でておかずの具にするか、茹でたものを乾燥させて保存食とする。バンゴンジュは、ビンジョの中でも比較的大きく食べ応えがあるためか、村の人びとのみならず、都市部での需要も高く、販売を目的として採集されるようになってきている。今回のプロジェクトのために集められた商品を確認した際に、僕と松浦さんが目にした大量の乾燥イモムシは、全てバンゴンジュだった。下茹でした後に乾燥したバンゴンジュは、100kgほど入る袋に詰められる(写真6)。いつもの年であれば、この重たい袋を自転車の荷台に積んで、商人が待ち構えている川辺の町まで何十キロメートルも運搬するのである。さすがにそれはしんどいため、このところ村に住み込んで買い付けを行うようになった商人に売る人もいる。今回、われわれが買い取れなかった大量のビンジョも、このどちらかで売られることだろう。

写真5.乾燥したバンゴンジュ(山口撮影)

写真6.袋詰めにされているバンゴンジュ(山口撮影)

無事に森のキャンプでの調査を終えた僕は、基地に戻って松浦さんと合流し、それぞれの組織が集めた商品の確認を行った(写真7)。既述のように、ビンジョが非常に多く集まっていたのだが、次に多かったのはロトコという蒸留酒だった。ロトコは、キャッサバとトウモロコシを発酵させてできたドロドロの液体を蒸溜して作られ、正確なアルコール度数は分からないが、ものによってはウィスキーよりもきついことがある。住民の間では日々楽しまれているほか、会議や祭りなどのイベントでの飲食、さらに贈答品としても重要である(写真D)。ロトコの生産と販売は女性の仕事であり、ロトコを飲みたい男性たちは、お金を支払って女性から購入する必要がある。夫婦の間でもこのルールは厳格に守られているようだ。ロトコもビンジョと同様、都市部でも需要が高く、特にこの地域で作られたロトコは美味しいので「ルオの風」という名で親しまれているそうである。

写真7.商品を確認する様子(山口撮影)。中央左の赤いラインの入った白いシャツを着ているのが、住民組織ADEWA代表のフェリーである。これまで接点がなかったため、商品の確認を手伝ってもらいながら、彼の人となりを見定めたが、商品の確認、買取、管理などで八面六臂の大活躍で、高く評価できた。

住民組織との会合(イヨンジ村編)

9月2日の朝、夜遅くまでかかって作った買い取り商品リストをワンバ村の人々に配布し、私とヤマグチ君は、今度はイヨンジ村に向かった。ワンバ村と同じように、住民組織との会合と集まった商品の確認、そして買い取りについての相談をおこなうためである(写真8)。となり村といってもワンバ村からは10kmほど離れていて、さらにイヨンジ村自体が10kmほどの長さに広がっているのでバイクでまわるわけだが、端から端まで集落を行き来するのはたいへんである。ここでもやはり、「集まりすぎ」が問題となった。はじめにプロジェクトの説明をしたときに、「商品なんて全然用意できないよ」と嘆いていたのはなんだったのか。すべて買い取ることはできないので、数量の調整を考えなくてはならない。

写真8.イヨンジ村での話し合いのようす(山口撮影)

ひとつ興味深かったのは、ワンバ村とイヨンジ村で集まった商品に違いがみられることである。たとえば、ワンバ村は乾燥イモムシが大きな割合を占めていたが、イヨンジ村ではその量はワンバ村ほど多くはなく、かわりに乾燥魚がたくさん集まっていた。このことがそのまま地域の環境や資源量を表しているわけではないが、たしかにイヨンジ村はルオー川により近い位置にあることから漁労が盛んにおこなわれており、それぞれの村の特徴の一端は示されているといえるだろう。

木村さんとヤマグチ君がさんざん困らされたのがウソのように、イヨンジ村での会合も平和的で円滑に進んだ。4人の選抜メンバーについても話し合われ、村の人々の推薦で3人が決定し、もうひとりは後日決めることになった。選ばれた3人のひとりめは、ADIという最大の住民組織のメンバーで、薬売りなどをしているブランシャールという若者である。会合のときも食事のときも中身がパンパンにつまったリュックを背負っておろさないのが気になるが、あの中には何が入っているのか。これまで私たちとはあまり関わりがなかった若者だが、どんな働きをしてくれるのかわからないところもある。ふたりめは、白人の父親をもつ混血男性で、牧師でもあるガリさんだ。キンシャサなどで働いた経験もあり、外見がすこしちがっているだけでなく、ものの考え方や態度もほかの村人たちとは一線を画す紳士である。三人目は、おなじく牧師でもあるパパ・カミーユである。「おじいちゃん」と呼んだら失礼になるが、今回のメンバーでは最年長の落ち着いた寡黙な年長男性で、知恵袋といったところだろうか。

会合の場で相談のうえで、買い取る商品の量と金額も決めた。買い取れるのは集まった商品の一部のみであることもすんなりと納得してくれて、異論はまったくといっていいほど出なかった。長く人類学の調査をしていると、こういうところで話がこじれて場が紛糾するようなことには慣れていて、むしろ、そういうもめごとがあった方が調査としては面白いとさえ思ってしまう悪癖が身についている。しかし、今回の一連の話し合いは、拍子抜けするくらいにものわかり良く進み、調査としてはどこか物足りないように思ってしまうが、プロジェクトとしてはスムーズに進められて大いに助かった。イヨンジ村での仕事を終えてワンバ村に戻ったときにも、朝に配布した買い取り商品リストに対して、納得いかないという文句が次々に出るのではないかと心配しており、ことによると、私たちの帰りを待つ陳情者が基地の入口に列をなしているのではないかとまで想像していたが、その予想はまったく裏切られ、こちらの提案はすんなりと受け入れられたようだった。

前日につづいて夜ふかしをしてイヨンジ村の買い取り商品リストを作成し、翌9月3日にイヨンジ村の関係者に配布した。さあ、これであとは、商品が集められるのを待ち構えるだけだ。

ふたたび舟問題

私たちが住民組織との話し合いと商品の確認に奔走しているあいだに、ワンバの南端、ルオー川のほとりにあるリンゴンジには、バファンベンベ氏の舟チーム・名づけて「バ組」の舟が到着していた。第4回で述べたように、リンゴンジに商品を集めて舟に積み込み、リンゴンジから出航することになる。

舟の準備は整っていたはずだったが、ここにきて村の舟が小さすぎることが問題になった。当初は、バ組の大きな舟をまんなかにして、両側にワンバ村とイヨンジ村のそれぞれの舟をつないだ3艘連結式にする計画だった。しかし、バ組の舟と村の舟の大きさが全然釣り合わず、連結するのが難しいことがわかったのである。村のためのプロジェクトなのだから、村の舟を使うこと、しかもワンバ村とイヨンジ村のそれぞれをつなぐことに象徴的な意味がある、と考えていたため、この問題をどうするかは悩んだ。しかし、舟がきちんと安全に動いてくれなければ何にもならないので、村の舟を使うのをあきらめ、バ組からもう一艘大きな舟を借りることにした。その舟はベフォリにあるため、リンゴンジから人と荷物を載せてまずベフォリに移動し、ベフォリで舟の連結と組み立ての作業をおこなうことになった。はじめの契約から1艘増えた分、余計にレンタル料がかかることになったが、これで本当に舟の準備は整った。

第5回:森のキャンプへの道のり(山口亮太)

2018年6月7日

第7回:魚の捕り方を一緒に考える(高村伸吾)

2018年6月9日

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。