第11回:長い旅の果てに(松浦直毅)

森と河をつなぐ―コンゴにおける水上輸送プロジェクトの挑戦

コンゴ民主共和国でフィールドワークを続けてきた私たち3人(松浦直毅、山口亮太、高村伸吾)は、困難な生活を乗り越えようと血のにじむ努力をしている森林地域の人々の姿を目の当たりにし、彼らの取り組みを後押しするためにひとつの企画を発案しました。それが水上輸送プロジェクトです。

2017年夏、地域の人々と私たちの協力のもとでプロジェクトが実施されました。その一部始終をご紹介いたします。

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大河・コンゴ川

「アフリカの大動脈」コンゴ川は、全長約4700キロメートル(世界5位)、流域面積368万平方キロメートル(世界2位)をほこる大河で、悠久の歴史のなかで幾多の生命を生み出し育んできた命の源である。長いところでは岸から対岸までゆうに10km以上あり、川を進んでいると、対岸だと思っていた場所がじつは中洲でそのずっとずっと先まで川がつづいていることに気づく、などという体験も珍しくない。「中洲」という表現は実際に目にする光景とはだいぶちがっていて、あえていえば、巨大な島が川のあちこちに浮いているといった感じだろうか。ともあれ、数々の困難を乗り越えた末にたどりついた雄大なコンゴ川に抱かれて、「モテマ・エキティ(ようやく落ち着いた)」と、みんなそろって胸をなでおろした。ここからバンダカまではあと約80キロメートル、長い長い旅も残すところあと半日といったところだろうか。

生命の源であるコンゴ川は一方で、ちっぽけな生命をいともあっさりと奪う恐ろしい存在でもある。コンゴ川に到達してからしばらくは気持ちよく進んでいたが、見る間に雲行きが怪しくなり、やがて激しい雷雨になった。雄大なだけに荒れ方のスケールも半端ではなく、轟音で雷が鳴りつづけるなかで、水面は海の上のように波立って舟を揺るがし、四方八方から舟の中へと容赦なく水が攻めてくる。これまでにどれだけの生命がこの川に飲み込まれてきたのだろうかと思うと、この黒々とした大河がすべてを飲み込む大蛇のようにもみえてくる。コンゴ川に入って安心しかけたところだったが、やはり最後まで決して油断はできない。

はるばるやってきた私たちに対する歓迎というのには、いささか手荒すぎるものであったが、やがて嵐はおさまり、日もすっかり暮れてきた(写真1)。例によって夜に入港するととがめられるので、バンダカまであと35kmほどのところで最後の停泊となる。ここで夜を明かし、明日の朝早くにバンダカに到着することになった。シトシトと雨が降りつづくなか、炊事係のフィデルとジョナタンがいつものように食事の支度をしてくれる。すばらしくおいしいアヒルと魚の料理を心ゆくまで堪能する。これまでは舟のなかでお酒はほとんど飲まずにいたが、最後の夜ということで、おなじみの蒸留酒と、タカムラが隠し持っていた怪しげなリキュールをチビチビと飲みながら、楽しくおしゃべりに興じる。めくるめくように起こったここまでの様々な出来事を振り返り、ようやくゴールが見えた安堵を感じながら、遅くまで盛り上がった楽しい夜であった。

 

写真1. コンゴ川の夕暮れ

バンダカ、万感の思い

9月16日、夜中のうちに再出発し、空が白みはじめた5時半すぎに目が覚めたときには、すでにバンダカが目前に迫っているところだった(写真2)。長い旅もいよいよフィナーレである。ワンバでの準備期間から考えると、そしてさらに、このワイワイプロジェクトを構想してからのことを考えると、ついにここまできたのかと万感の思いである。準備期間から道中のここまで私は、できるかぎり明るく楽しくふるまい、いつも心の余裕をみせられるようにと努めてきた。しかし実際には、このプロジェクトの主宰者として、メンバー全員の命を預かっているという重大な責任と、決して失敗は許されないという大きなプレッシャーを感じ、胸が締めつけられるような思いをつねに抱えてきた。このプロジェクトは、大げさではなく私にとって研究者生命を賭けた一大事業であったように思う。ここまでやってこられたのは、山口君とタカムラという心強いパートナーと、村から選りすぐった信頼のおける選抜メンバー、豊富な経験と確かな技術をもったチームBの面々というすばらしいクルーに恵まれたからにほかならない。小さなトラブルや事故はあったが、誰一人ケガや病気をすることはなく、数えきれないほどの舟旅を経験してきた船頭パパ・オティスにして「祝福された旅だった」といわしめるほどに、幸運にも守られた旅であったと感じる。

写真2. バンダカの港

しかしながら、ここはそうして感傷にひたってばかりいられる国と場所ではない。早朝6時すぎに港に着くと、即座に商人たちがやってきて私たちが運んできた商品の値踏みをはじめる。「港に着くと」と書いたが、なかには、われわれの舟が港に着く前に向こうから舟でやってきて横づけし、そのまま交渉をはじめる商人もいた。生活がかかった戦いをしている商人は、遠慮も気づかいも一切なく、ドヤドヤと舟のなかになだれ込んできて、魚や家畜を買い取る交渉をはじめている。田舎の村から出てきたばかりのか弱い人々が百戦錬磨の商人たちと対等に渡り合うのは困難で、同じく村から出てきたか弱いヤギやブタたちは、瞬く間に安い値段で買いたたかれていった。

商人の攻勢という最後の「嵐」がとおりすぎて、ようやく舟から降りてバンダカの土地を踏みしめた。例によってデージェーエムなどの手続きをおこなったが、州都だけあってかここのデージェーエムはかなりまともで、時間こそかかったが、お金を要求されることもなく穏便に済んだ。ワンバ調査チームのカウンターパートである森林生態研究所の研究者で、バンダカに住んでいるノルベール・バンギ博士が迎えに来てくれて、泊まる場所の手配をしてくれた。われわれ3人以外は舟の中や港の倉庫に寝泊まりするそうで、これまで寝食をともにしてきたのに抜け駆けすることへのうしろめたさもあったが、さすがに7日間の舟旅のあとに7日間の倉庫暮らしではわれわれの身体はもたないということで、バンギさんに紹介してもらったホテルに投宿することにした。

とはいえ、あとでも述べるように予算状況はどうやらギリギリで、しかも、これまでの商活動と舟旅ですっかり節約グセが染みついた私たちには、1泊30ドルの部屋に泊まるのははばかられる。結局1日ずつ交代しながら、ひとりがシングルの部屋、あとの二人は1泊40ドルの部屋(ベッドはひとつしかない!)をシェアすることにした。旅を通じて絆を深めたとはいえ、私たち3人はどこまで仲良く密着するのかという気もするが、これで節約される1日20ドルというのが貴重なのである。

これでようやく一息つく。パンとオムレツという久しぶりの町の食事が感動的なおいしさで、よく冷えたコーラが身体の奥深くまで染みわたる(写真3)。携帯電話が使えて、インターネットにも接続できるここは、ついさっきまで舟の上で生活してきた私にとっては夢のような場所である。ただしかし、われわれの旅はまだ終わりではない。ここから1週間ほどで商品の売却と支援物品などの買い出しをおこない、そして復路の準備をおこなわなければならないのである。

写真3. バンダカに着いてほっと一息(高村撮影)

続々々・燃料問題

ワイワイプロジェクトでは、つくづく燃料の問題に頭を悩まされてきた。バンダカに着く前から舟の中で話題になっていたことだが、当初の計画よりも燃料の消費がかさんでおり、復路のためにはバンダカで3000リットル(=約3800ドル分)のガソリンを購入する必要があると組長はいう。前回タカムラが書いているように、帰りはわれわれ3人が同行できないことから、ここで十分な量をせびっておこうという商売人としての意図もあったかもしれないが、とにかく完全に予算オーバーで、有り金を全部出しても賄いきれないような金額であった。しかもこの時点では、持ってきた商品がきちんと売れるのか、そして、売れたとしてどのくらいのお金が戻ってくるのかはまだわからない。盛られた分まで出す余裕はないのだが、かといって本当に必要な量に足りなかったために、途中で燃料が尽きて舟が立ち往生する、などということになったら一大事である。正確にどのくらい必要なのかが算出できないのが難しいところで、すでに何度もピンチはあったが、ワイワイプロジェクトの最後にして最大のピンチである。

私たち3人はホテルの部屋に集まって、有り金をすべてひっくり返して数え、いくらまでなら出せるのかを相談した(写真4)。ちなみに、コンゴの通貨はコンゴ・フラン(FC)で、1円=約10FCであるが、日常の買い物でよく使われ私たちもたくさんもっているのは、500FC札(約50円)や1000FC札(約100円)である。それが10万円分とか20万円分となると、それはもう「札束」というより「札塊」といった感じで、それを1枚1枚かぞえるのは相当に大変な作業である。そのうえ、コンゴの庶民のお金の扱い方は、私たちには考えられないくらい雑なので、人びとの手から手へと渡る過程で、ありとあらゆる汚れを吸収したコンゴ・フラン札は、たいてい汚く、そして臭い。

そうして、色々な意味で頭をクラクラさせながら自分たちの予算状況を確認したあと、今度は、舟を仕立てて旅をした経験が何度かあるバンギさんに、そのときにかかった費用や消費したガソリンの情報も教えてもらう。自分たちの懐事情とバンギさんの情報をふまえて、組長や船長と話し合いを重ねた結果、2400リットルならわれわれも何とか工面できて、舟もワンバまでたどり着けるということになった。それでも計画を大幅に上まわる金額だが、いたしかたない。

次なる問題は、ガソリンの調達と輸送である。大きな町であるが、バンダカにはガソリンスタンドは1カ所しかなく、そこに町中のバイクや車が殺到する。とくにここ数年、急速にバイクの数が増加していることなどもあって、慢性的にガソリンの供給が不足しているようで、タンクローリーがガソリンスタンドにやってくる前になるとスタンドには何十台ものバイクが列をなし、さらにポリタンクを持った人たちも大勢群がってくる。そんな具合にただでさえガソリンを得るのが困難なのだが、私たちが必要としているのは、普通の客が給油するような何リットル~何十リットルという単位ではなく、ドラム缶12本分なのである。パッと行ってその場で欲しいだけの量が手に入るようなものではなく、何回かにわたってガソリンスタンドに通いつめ、コンゴでの切り札・マタビシ(賄賂というか心づけというか)も出して、ようやく入手の目途が立った。

それを運ぶのが大変なのは、もはや言うまでもないだろう。ガソリンはすべて25リットルのポリタンクに入れて、リアカーで街中から港まで運ぶのだが、それにも相当な手間と輸送代がかかり、さらに港でも荷物の運び込み/持ち出し料が徴収される。こうして、たくさんの時間と労力とお金を費やして、ようやく燃料問題はすべて解決したわけである。

写真4. お金を数える(高村撮影)

商品の売却を通じて得たもの

ワイワイプロジェクトの大きな課題であり、私たちが最も強く懸念していたのは、村から運んできた商品をすべて売りさばけるかということであった。持ってきた商品の量が量だけに、もし売れ残ってしまったら巨大な損失になり、しかも立て替えて払ったわれわれがそれをかぶることになるのである。しかしながら、我々の心配は杞憂に終わり、私たちの出番がまわってくることさえほとんどなく、港の倉庫にとどまっている選抜メンバーの奮闘によって、約1週間で見事にすべての商品がなくなった。毎夕方に、一日の商売を終えた選抜メンバーが売り上げの報告にきてくれたが、順調に商品が片づいていくことで日に日に安堵感も高まっていった。実際には儲かっているのではなく、たんに立て替えたお金が返ってきているにすぎないのだが、毎日売上金だといって持ってきてくれる多額のお金を回収していると、まるで豪商の親分になったような気分になる。

もちろん、商売は決して甘いものではなく、村で設定した価格もしくはそれ以上の価格で売れたものはかぎられており、結局回収できたのは村で支払った額の8割ほどにとどまった。これには、村の人々が商売に不慣れであったことにくわえて、プロジェクトの時間的な制約もあった。バンダカに来て驚いたのは、商品価格が短期間に急激に変動することである。たとえば、商品を満載した舟が到着すると一気に需給のバランスが変わって、価格は大幅に下落する。だから、商品が不足して需要が高まるまで待ち、よいタイミングをみきわめて売らなければ、十分な儲けが出せないことになる。商品を買いつけに各地からやってくる商人も色々で、なかにはコンゴ共和国側からコンゴ川を渡ってくる者もいる。したがって、それぞれの商人と交渉をして、よりよい買い手がつくまで粘る必要もある。また、商品をすみやかにさばくために大きな袋の単位で売ったが、「バラ売り」をすれば、時間と手間が余計にかかる代わりに利潤も大きくなる。つまり、とにかく根気よくじっくり時間をかけることが成功の秘訣というわけだ。しかし今回は、主に私たちの予定にもとづいてプロジェクトを計画してきたので、バンダカでの商売に十分な時間をかけることができなかった。こうして回収しきれなかった支出は私たちの自腹負担になるわけで、かなりフトコロが痛んだが、そのお金は支援として住民組織に渡ったわけで、これで良しと考えるしかない。

繰り返し述べてきたように、ワイワイプロジェクトの第一の目的は、お金を儲けることではなく、プロジェクトを通じて村の人々が知識と経験を高め、社会関係を強化することであった。その点でも選抜メンバーは、実際に商品を売る経験を通じて多くのものを得たようであった。販売するのに有力な商品やその売り方を徐々に学んでいった者や、知り合った信頼のおけそうな商人と連絡先を交換して今後もやりとりを続けることにした者などがおり、こうした「財産」がこれから先にもつながることが期待できる。私たちと彼らの関係も、しっかりと強まった実感がある。考えてみれば、数千ドル分の商品を託して、ひとつとしてごまかすことなく、一部をフトコロに入れることもせず、きちんと売り切ってくれたこと自体が、コツコツと築いてきた信頼関係の何よりの証左といえるのではないか。

もうひとつの目的は、「ビーリア保護支援会」と「アフリック・アフリカ」からの支援のもとで購入した学校の建材、学用品、薬などを村に運ぶことであった。商品の売却を進めるのと並行して、選抜メンバーに同行してもらって、学校用のトタン、各種の医薬品、文房具や教材など、村のすべての人のためになるものを支援物品として買いそろえた。買う量が多くて探すのにも運ぶのにもかなり苦労したが、村の期待を背負って買いに来ているわけなので責任重大である。バンダカの市場中の店を訪ねまわって品揃えと値段を確認し、できるだけ良いものを良い値段で買えるようにと汗をかいた。実をいうと当初は、バンダカでの滞在期間は1週間あるので、やることをさっさと済ませてのんびり読書をしたり文章を書いたりして過ごそうなどともくろんでいた。しかし実際にはそんな余裕はなく、ときには延々と話し合いをし、ときには町じゅうを歩きまわって、ほとんど休みなしの毎日を送ることになった。たっぷり時間がありそうだからと持ってきた本は、枕のかわりと重しの役割しか果たさなかったが、現場での実践を通じてしか体験したり考えたりできないことが盛りだくさんの濃密で充実した日々であった。

新たな船出

さて、長く続いてきた商売の旅もこれにて無事に終了…、となるのはバンダカから飛行機で帰る私たちだけで、ほかのメンバーはこれから倍以上の時間をかけてワンバに帰らなくてはならない。ひとりひとりに服やザックなどのささやかな贈り物をして、感謝とお別れの言葉を伝えた(写真5)。残念ながら、舟が出発するところを見送ることはできなかったが、私たちがバンダカからキンシャサに向けて飛び立ったのとちょうど同じころに、舟はバンダカからワンバに向けて出発した。

私たちにとっても、これにて「無事に終了」というわけではまったくない。今回つちかった経験を生かして、これから村でどのような活動をおこなっていくか、その際には、旅を通じてつながりを深めた村の人たちとどのように協力していくか、そして、その先にどのような村の将来像を描くか。末永く村とかかわり続ける心づもりで、そうしたことを考えるならば、これからがむしろはじまりであるといえるかもしれない。ワイワイプロジェクトは、ようやく船出したばかりだ。今度はどこに向かってどんな旅をすることになるのか。そこにはどんな苦難と喜びが待ち受けているのか。次の物語をご期待いただきたい。

写真5.お別れの集合写真

 

第10回:重荷を分け持つ(高村伸吾)

2018年6月12日

第12回:それぞれの1年後(山口亮太)

2019年3月2日