眞城百華
「Yukino!」
タンザニアのロバンダ村とミセケ村に滞在している間に岩井さんを呼ぶ声は、毎日、そしてほぼ一日中やむことはなかった。
歓迎の歌で和ませてくれるママ・ジョエリ
長くアフリカを研究しているが、サファリや野生動物をほぼ体験することのない地域が主な調査地であったため、私にとって今回のタンザニア訪問は新たなアフリカを発見する旅でもあった。ゾウプロが活動する2村の訪問を通じて、国立公園と野生動物という国を代表する観光資源が、その周辺住民やコミュニティに及ぼす負の影響を文字通り目の当たりにすることになった。個人的に印象に残ったことを列挙すれば、動物園でしか見たことのなかったゾウを恐ろしいと感じたこと、ゾウの脅威や獣害を日常として受け入れざるを得ない環境で苦心しながら知恵を凝らしてのり越えようと活動するロバンダ村やミセケ村の人々との出会い、ゾウに襲われて亡くなったピーターさんの家族の悲しみ、ママ・ルーシーのカリスマ性、ゾウ追い払い隊の女性たちの輝く笑顔など枚挙に暇がない。
しかし、ふと立ち止まって訪問を振り返ると、つねに私たちの訪問のために万全のアレンジをしてくれた岩井さんの姿を思い出す。私たちアフリック・メンバーが訪問するにあたり、ミセケ村のみなさんがどんなに入念な準備をしてくれたのかは、岩井さんのエッセイ「ミセケ村追い払い隊の大歓迎:ゾウプロ訪問記①」でも紹介されているが、これ以外にも多くの調整と準備が行われていた。
岩井さんのロバンダ村の家族であるママ・ルーシーの家では、大人数の客に朝夕の食事を提供するために、家族の女性たちだけではなく近所の女性たちも参加して、毎日、何種類ものおいしいおかずや主食を調理してくれた。私たちは、連日、ハードスケジュールの視察だったので、このご飯がなければとても乗り切れなかったと思う。調理の指揮をとっていたママ・ジョエリは私たちの滞在中、気が休まる時間がなかったのではないだろうか。それにもかかわらず、ちょっとおどけて歌や踊りを披露してくれるなど、リラックス時間まで提供してくれる歓待ぶりだった。
私たちがロバンダ村で宿泊させてもらったお宅は、アフリックがかつて学費を支援した青年の家で、アフリックの活動とのつながりを実感する機会にもなった。アフリックが支援した村の若者たちは高校や大学を卒業し、その後行政で要職を担うなど、村を多方面で支える人材となっていた。
ロバンダ村では、ゾウの獣害拡大に伴い農業から牧畜や別の仕事に変わらざるを得ない状況、ゾウがやってきた畑やゾウが集まる湖の視察などを行った。いつもゾウプロに参加している村の人やママ・ルーシーの孫たちがサポートのために付き添って、たくさんの質問に丁寧に答えてくれた。
私たちが昼間の視察を終えて、素晴らしい夕食にもてなされほっこりしている時間も、村の人が岩井さんと話すためにママ・ルーシーのお宅に集まっていた。Yukinoが迎えたゲストのためになにかしようと提案があったり、ゾウプロに関する相談事など、毎夜、岩井さんの周りには人が集っていた。私たちが宿に戻った後も岩井さんと村の人々との話し合いは終わることなく、岩井さんの帰宅はいつも深夜になった。
今回の訪問では、各地でアフリックの支援に対する感謝の声をかけてもらえた。とはいえ、逆に私たちの方が、2村で会ったみなさんには準備や歓待、多くの気遣いをしてもらった。言葉では表しきれないほど感謝している。
岩井さんのゾウプロの取り組みについては、アフリックを通じた支援活動の年次報告や岩井さんの著書や研究から学ぶ機会が多々あった。しかし、今回現場を訪問して、岩井さんが20年以上にわたってゾウの獣害に直面する村の人々と関係を築き、問題や課題に寄り添い、ともに対策に取り組んできたことをより深く理解できた。岩井さんのしなやかさと辛抱強さ、「ゾウによる獣害を絶対に解決するのだ」という熱い決意、獣害に取り組む村のみなさんとの確かな絆を目の当たりにし、今後もアフリックとゾウプロとの関係が息長く続いていくことの大切さにも改めて気づくことができた。
訪問を温かく迎えてくださったロバンダ村、ミセケ村のみなさん、ママ・ルーシー家のみなさん、そしてすべてのアレンジをしてくれた岩井さん、本当にありがとうございました。