『海をわたるアラブ -東アフリカ・ザンジバルを目指したハドラミー移民の旅-』 朝田郁=著

紹介:井上 真悠子

本書を紹介する前に、まず、前置きとして書いておきたい。

2021年10月7日の夜、まさか日本の全国ニュースで「タンザニア」「ザンジバル」という言葉が聞こえる日が来るなどと思っていなかったので、とても驚いた。今年のノーベル文学賞の受賞者が、ザンジバル生まれのアブドゥルラザク・グルナ氏だと発表されたのだ。

アブドゥルラザク・グルナ氏は、1964年に起きたザンジバル革命の後、1960年代後半にイギリスに移住した。世界的に有名なイギリスのロックバンド・クイーンのボーカルのフレディ・マーキュリーも英国保護領時代のザンジバル生まれだが、彼の一家もザンジバル革命を機にイギリスに移住している。ザンジバル革命は、多くのアラブ系・インド系住民たちの人生に多大な影響を与えた出来事だった。

インド洋交易によって栄えた東アフリカのザンジバルには、古くから、アフリカ大陸だけでなく、ペルシャやアラブ、インドなど、インド洋の向こう側にルーツを持つ人々も多く暮らしてきた。植民地支配期にも、ザンジバルと同じく英国保護領下におかれたインドやオマーン、イエメンなどインド洋西海域との往来は活発であった。1963年のイギリス植民地支配からの独立直後、1964年に起きたザンジバル革命は、一般に「アフリカ系住民が、アラブ系の支配層を追い出した」と表現されるが、特に標的とされたオマーン系住民のほかにも、多くのアラブ系・インド系住民が弾圧に遭い、国外に避難した。

今回紹介する朝田郁氏の『海をわたるアラブ -東アフリカ・ザンジバルを目指したハドラミー移民の旅-』は、東アフリカ・タンザニア連合共和国のザンジバルに暮らす、イエメンのハドラマウト地方出身のアラブ人(ハドラミー)を研究対象としたものである。

本書ではまず、主な調査地であるザンジバルについて、インド洋交易や植民地支配などの歴史的な流れを俯瞰しつつ、そこに暮らす人々のエスニシティがどのように分類され、また、変化してきたかを、詳細に記述している。革命以降、ザンジバルでは民族分類に関する統計資料は公表されていないが、過去の統計資料では、ザンジバルには「アラブ(オマーン系)」、「シヒリ(ハドラミー)」、「インド系」などのほか、ザンジバル(アフリカ/ローカル)の在来グループとして「スワヒリ」「シラジ(ペルシャ起源説)」「ペンバ」「ハディム」「トゥンバトゥ」といった分類がなされていた。

ザンジバル革命は、「抑圧されてきたアフリカ人たち」が蜂起し、「支配層としてのアラブ人たち」から勝利を勝ち取った、という構造で語られるが、本書が対象としているハドラミー系住民の多くは、水運びなどの肉体労働で生計を立てていたような、けっして裕福な支配層だったとは言いがたい社会経済状況の人々だったにもかかわらず、「アラブ」とひとくくりにされ、弾圧の対象となった。一方の「アフリカ」側も、現在のイランにあるシーラーズ(ペルシャ)にルーツをもつという伝説をもつ「シラジ」と、アフリカ大陸から奴隷として連れてこられた人々の末裔という否定的な解釈をされることもある「スワヒリ」、居住地域に依拠した分類である「ペンバ」「トゥンバトゥ」、ウングジャ島の中~南東部の「ハディム」などのカテゴリー間の境界線は非常にあいまいであり、恣意的に移動することが可能なものである。朝田は、ザンジバル革命における「アラブ/アフリカ」という二項対立的な構造は、「ザンジバル社会が誇ってきた民族的な多様性を、巧みに覆い隠していた」ものであり、「革命に正当性を与えるために操作される、民族に見せかけた恣意的なカテゴリー化であった」と指摘している。

19世紀末から20世紀にかけて、ハドラマウトにおける経済危機や食糧難から逃れるためにザンジバルを目指す、一般労働者としてのハドラミーが急増した。彼らは先住者と通婚し、子どもを産み育て、スワヒリ語を母語としてザンジバル社会の中に生きていた。本書では、そんな彼らを襲ったザンジバル革命による弾圧の様子が、ライフ・ストーリーを通して明らかにされている。

本書後半では、ザンジバルにおけるハドラミー移民社会の変遷と、彼らの宗教実践を通したホスト社会との関わりについて分析している。本書によれば、ザンジバルに暮らすアラブ系住民は、オマーン系とハドラミー系に二分され、同じイスラームを信仰する人々ではあるが、前者はイバード派、後者はスンナ派シャーフィイー法学派という宗派の違いがある。そして、現在ザンジバルに暮らすムスリムの大半はスンナ派シャーフィイー法学派であるという。14世紀にスワヒリ海岸部を訪れたイブン・バットゥータの旅行記に、この時代の東アフリカ沿岸部地域の住民がすでにスンナ派シャーフィイー法学派のムスリムであったという記述があることから、前近代から散発的におこなわれていたハドラミーの移住活動が、イスラームを礎としたスワヒリ都市・文化の形成に大きく関わっていたことがうかがえる。

イバード派のオマーン王族によるザンジバル統治がはじまった19世紀には、すでにザンジバル住民の間ではスンナ派シャーフィイー法学派が優勢であったため、オマーン統治下においてもザンジバルにおけるイスラーム法の運用はハドラミー移民の学者に任せられていたという。彼らハドラミー移民によってザンジバルにもちこまれた「マウリディ」と呼ばれる預言者生誕祭は、ハドラミー独自のタリーカ(イスラーム神秘主義教団)であるアラウィー教団の儀礼であるが、現在はハドラミー以外のザンジバル住民の中にも広く浸透しており、ザンジバル社会では大変一般的なイベントとなっている。マウリディとは本来、預言者ムハンマドの生誕を祝う儀礼であるが、ザンジバルでは本来のマウリディの期間に限らず、結婚式や、新しい建物の開所式、子どもが生まれて40日目などの機会にもマウリディがおこなわれているという。私がザンジバルでお世話になっていた一家は、父方がオマーン系、母方がペンバ系という家庭だったが、娘に子どもが生まれた際にマウリディが開催されたのを覚えている。「預言者を讃えることで、新しい家族、建物、子どもにバラカ(神の恩恵)がもたらされる」という記述に大変納得するとともに、ザンジバル社会の日常に浸透しているハドラマウト起源のイスラームの存在に、改めて気づかされた。

ザンジバルの文化・社会を理解するためには、その根底にあるイスラームへの理解が必要不可欠である。本書冒頭の研究の位置づけにも記されている通り、朝田は、ハドラミーに関する専門知識のみならず、イスラームに関する広い知識と経験、およびアラビア語とスワヒリ語両方の能力を駆使した現地調査を通して、ザンジバルに生きるハドラミー移民の社会を克明に描き出している。また、現在のザンジバル社会を見る上で、ザンジバル革命という大きな出来事は避けては通れないものの、現地の雰囲気を含め、いまだに詳細な分析が難しい。しかしながら本書は、日本語のものでは珍しく、ザンジバル革命についてもかなりまとまった紙幅を割いている。

本書は、さまざまなルーツを持つ人々が暮らすザンジバル社会の中の、ハドラミーという一集団に焦点を当てたものであるが、ザンジバル社会全体の歴史を丁寧に俯瞰し、インド洋の向こう側とのつながりを詳細に記述し、そこに暮らす人々の過去と現在を包括的に扱った良書である。また、豊富なライフ・ストーリーを通して、現在のザンジバル社会に生きているハドラミーの人々が、どのような背景で祖国を離れ、ザンジバルに移住し、当地で生きてきたのかが丁寧に描かれている。古来よりコスモポリタンな都市として栄えてきたザンジバルの「今」をより良く理解するためにも、ぜひ一読することをお勧めする。

目次

第Ⅰ部 序論
第1章 東アフリカのアラブ移民
第Ⅱ部 インド洋海域世界とザンジバル
 第2章 イスラーム都市ザンジバルの素描
 第3章 ザンジバル住民のエスニシティ
第Ⅲ部 ハドラミー移民の生きる世界
 第4章 海をわたるハドラミー
 第5章 アイデンティティの周辺
 第6章 ハドラミーのザンジバル革命
第Ⅳ部 アラウィー教団とはなにか
 第7章 ザンジバルのアラウィー教団
 第8章 預言者生誕祭の構造
 第9章 タリーカの境界線
第Ⅴ部 結論
 第10章 総括と今後の展望

書籍情報

出版社:松香堂書店
定価:1,900円+税
発行:2017年 3月
B5変形判/271頁
ISBN-10: 4879747262
ISBN-13: 978-4879747266