村の子どもたち
今回の日本語紹介プログラムの舞台は、東アフリカ・タンザニア北部に位置するキリマンジャロ山の中腹の村です。そこに住むのは「チャガ」と呼ばれる人々で、日本でも有名な(値段が高い!)キリマンジャロ・コーヒーの生産者です。チャガ人はコーヒー生産者として知られる一方、都市部では「商人」、「エリート」としても有名で、多くが都市で生活しています。
村の子どもたちは、流行の服で着飾り、多くのプレゼントを抱えて帰省する兄や姉を持ち、生い茂るバナナとコーヒーの木々の奥に見える豪華な家屋や、土ぼこりをあげながら走り抜けるランドクルーザーなどの都市での「成功の証」を目の当たりにして育ちます。またヨーロッパや日本で暮らす親族や同郷者の話しを耳にし、子どもたちは「発展」した大都市、そして日本も含めた先進国への憧れをつのらせていきます。
そして、その子どもたち自身も小学校を卒業すると商人の卵、もしくは首尾よくテストに合格すればエリートの卵として村から離れ、しばしば帰省するだけになります。私は、そんな子どもたちの憧れの国「Japani=日本」をすこし知ってもらい、また子どもたちが何気なく過ごす村のことを見直して欲しくなり、全校生徒の前で話をさせていただきました。
「Japani」と日本
子どもたちは”TOYOTA”、”HONDA”で代表される車の国、”NAKATA”、”INAMOTO”(タンザニアの言葉スワヒリ語で「火を持つ」という意味)の出身国で「Tajiri(裕福)」な国、そして”HIROSIMA”という過去を持つ国として日本をよく知っています。「日本に住みたい」という子どもたちだっていました。
お話は、子どもたちが知っている「ジャパニ」ではなく、私の知っている「日本」の話をしました。まずくるまの国日本では、5月や8月には数十キロも車が渋滞すること、年間1万人近い事故死亡者を出し、喘息などの問題も生み出してきたことを話しました。「裕福な国」日本は経済的発展の裏で、公害などで命という多くの代償を支払い、さまざまな矛盾を抱えてきたことも話しました。そして「HIROSIMA」では、一瞬にして多くの人々が命を失ったことを話し、アフリカ諸国でも平和な国として有名なタンザニアがこれからも平和であるように子どもたちが努力してくれるようにお願いしました。
高学年の子どもたちの中にはすでに、都市への移動が確約されている子どもたちもいました。そんな子どもたちのために、居候の身でありながら子どもたちの故郷となる「村」の話、私の研究などについても話をしました。私が知ったバナナ畑の豊かさ、老人の智慧の豊かさなどを話し、都市でも、そんな村の豊かさを忘れないで欲しいとお願いしました。最後に秘蔵のせんべいを子どもたちと一緒に食べ、日本紹介プログラムを締めくくりました。次に村を訪れた時には、子どもたちの多くは村を離れていることでしょう。小さな「商人」たち「エリート」たちの活躍している姿を見るのが楽しみです。
おまけ
チャガ人はタンザニアだけではなく日本までその生活の舞台を広げています。先日足を運んだ愛知万博では出会ったタンザニア人10人のうち6人がチャガ人でした。もし万博で彼らを見かけたら「シンボーニ」と挨拶してみてください。喜んで「ナンシャ」とこたえてくれますよ。