タンザニアの北西部、ビクトリア湖の西岸域に位置するカゲラ州ムレバ県は、おもにハヤの人びとが暮らす農村地域です。この地域では古くからバナナを中心とした農耕が営まれており、また植民地時代の20世紀初頭から換金作物としてコーヒーの栽培が普及しました。カゲラ州は早くから現金経済に接していた影響で、タンザニアにおいてはキリマンジャロ周辺地域とともに古くから教育に力が注がれた地域とされますが、一方で近年では国内でも初等教育の就学率が低い水準にあるという報告もあります。ムレバ県の人口は約38.5万人(2002年)ですが、うち15歳未満の子どもが45%を占めます。タンザニア全体を見てもこの傾向は同様で、とくに農村部では5人以上の兄弟がいるケースも少なくありません。
私が訪ねたのはムレバ県カマチュム郡にあるルジンガ小学校とルガンブァ・ミディアムスクールの2校です。ルジンガ小学校はルワンダ村にある公立の学校で村内の子どもの多くが通っています。あいにく訪問時は国政選挙の選挙人登録が行われている期間で、校長先生がその仕事で忙しくゆっくりとお話を伺うことができませんでしたが、学年ごとに分かれた教室を回らせてもらうことができました。1年生の教室では、まだアルファベットを学び始めたばかりの小さな児童たち約60人がやや緊張した面持ちで迎えてくれました(先生が私語に厳しいせいもある)。こちらが日本から来たという紹介をしても、子どもたちはじっとこちらを見るばかり。唯一、教室に笑顔があふれたのは、私が日本から土産に持参したエンピツをみんなにプレゼントすると言ったときだけでした。エンピツを手にした写真を撮るときにはすでに子どもたちはもとの固い表情に戻ってしまい・・、村のなかで見せてくれるあふれんばかりの元気や笑顔は学校ではすっかり影をひそめてしまっていたのでした。
一方、ルガンブァ・ミディアムスクールはカトリック教会の司祭らが尽力して設立した郡内で唯一、英語で教える学校です。教会の脇に建てられたこの学校には近くに寄宿舎もあり、園児や児童たちの一部が集団生活をしています。私が学校を訪ねると、先生たちがそれぞれの授業を中断してひとつの教室に全児童を集めてくれました。ここの子どもたちも突然の外国人ゲストに戸惑っているようでしたが、実際にはけっこうな数の児童が私を教会のミサや日曜市などで見かけたことがあることが判明。ルジンガ小学校の際よりは気楽に話をすることができました。即席の授業は「みんなで知ろう、遠い国ニッポン」。児童のみならず先生も全員集合した教室で、英語とスワヒリ語を交えて、日本の地理、食生活、言葉などを分かりやすくゆっくり紹介していきました。みな熱心に聞いてくれていましたが、なかでも日本語のかなが表音文字で、音と文字が対応していることはかなり驚きだったようで、黒板に文字を書くとまた次の文字をリクエストされるという感じで思わぬ盛り上がりを見せたのでした。最後にここでもエンピツを少しでしたがプレゼントし、逆に子どもたちからはみんなが覚えているという英語の感謝の歌をお礼にもらうことができました。
次回訪ねたときにどのくらいの児童が「オハヨー」や「アリガトー」の言葉を覚えているか分かりませんが(けっこう記憶力がいいので、覚えている子どもも多いかもしれない)、今度はもっとゆっくり子どもたちと話ができたらと思っています。