第32回アフリカ先生報告「京都府国際センター」

「第2回・関西からアフリカのエイズ問題を考える:HIV陽性者と生きる社会のために」(2009年1月17日)

西 真如

2009年1月17日、京都府国際センター会議室において、シンポジウム「第2回・関西からアフリカのエイズ問題を考える:HIV陽性者と生きる社会のために」を開催しました。2007年10月に開催した第1回目の「関西からアフリカのエイズ問題を考える」と同じく、アフリック・アフリカとアフリカ日本協議会、それに財団法人京都府国際センターの共催で実施しました。参加者は45名でした。

シンポジウムは二部構成でおこなわれました。第一部では、斉藤龍一郎さん(アフリカ日本協議会)より、サハラ以南アフリカを含む途上国でのHIV治療と陽性者の権利擁護の取り組みについて説明がありました。続いて西真如(アフリック・アフリカ)より、エチオピアの地域住民によるHIV/AIDS問題への取り組みについて、「不一致を生きる」というテーマで報告しました。次に外処恵美さん(リーチアウト・ジャパン)が、ウガンダのHIV陽性者とともに取り組んできた活動について報告しました。リーチアウトのメンバーが訪日した際の報告を交え、ウガンダと日本の若者をつなぐ活動を語りました。そして第一部の最後に、大阪大学外国語学部の学生で組織する団体「トゥマイニ・ニュンバーニ」が、ケニアでの陽性者支援の活動について報告しました。陽性者の収入の安定を図るため、2008年夏に現地で立ち上げたマイクロ・ファイナンスのプロジェクトについて紹介しました。

第二部では、フロアの参加者を交えた議論がおこなわれました。多くの参加者が関心を持った問題のひとつに、アフリカの陽性者の経験を、日本でのHIV/AIDSの取り組みとどう接続するかということがあったように思います。アフリカの社会ではHIV感染率が高いこともあって、社会全体が「ウイルスとともに生きる」ことに関心を持っています。それに比べると、日本の陽性者は「見えにくい」存在なのだろうか、ということが議論されました。

第一部でおこなわれた報告の要旨は次のとおりです。

まず最初に、アフリカ日本協議会の斉藤龍一郎さんより、「ユニバーサル・アクセスに向けて:HIV陽性者自身の取り組みで動き出したアフリカにおけるエイズ治療へのあゆみ」と題して、アフリカにおけるHIV治療の現状と、陽性者の権利擁護の取り組みについて説明がありました。

効果的なHIV治療(多剤併用療法)が確立したのは1996年ごろのことで、以来、HIV/AIDSは「コントロール可能な慢性疾患」と考えられるようになりました。先進国では、医療保険や貧困者を対象とした社会保障制度の助けをかりて、HIV陽性者の多くが治療薬の投与を受けています。一方、途上国の陽性者の多くはHIV治療を受けられない状況が続きました。HIV治療薬は非常に高額であり、しかも国際的な特許権によって保護されているために、安価な薬剤の供給が阻まれていたからです。

陽性者団体や彼らを支援する人びとの抗議によって、この状況に変化が起きたのは2001年頃のことでした。特許権よりも貧しい人々が治療を受ける権利を優先すべきだという合意が形成され、2002年には「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」が発足して、途上国にHIV治療薬を供給する国際的な枠組みが姿を現しました。

しかし、すべての問題が解決したわけではなく、サハラ以南アフリカで生活する2250万人の感染者の中にはまだ治療を受けられずにいる人が少なくありません。既に治療を受けている人たちについても、ひとりあたり年間140米ドルかかるとされる資金の確保や、治療薬の安定供給が重要な課題となっています。

続いて、エチオピアでHIV/AIDS問題についてのフィールド調査をおこなっている西真如(アフリック・アフリカ)による報告「不一致を生きる:エチオピアのHIV/AIDS問題に対する地域住民の取り組み」です。

エチオピア南部のグラゲ県では、地域住民が中心となってHIV/AIDSへの取り組みがおこなわれています。グラゲ県の農村は人口密度が高く、農地が細分化されているため、農業だけで生計を立てることが困難です。このため若い男性は十代の頃から都市で出稼ぎをおこない、生活の基盤を築いたのちに村の女性と結婚します。

エチオピアでは1990年代から都市を中心にHIV感染の拡大が深刻になりました。グラゲ県の人びとの間でも、未婚の男性が都市で生活するあいだにHIVに感染し、村の女性を感染させるのではないかという不安が広がるようになりました。また実際に農家の中には、HIV/AIDSの影響で農作業が困難になり、食料を確保できなくなる世帯もあらわれはじめました。グラゲ県の住民は、「結婚前検査」を中心とした予防と、「隣の庭畑を耕す」運動のふたつの取り組みによって、この問題を乗り越えようとしてきました。

グラゲ県では数年前から、結婚を希望する男女すべてに、HIV検査が義務づけられています。検査を受けることがわかっていれば、未婚の男性が都会で「危険な性行動」を控えるようになるだろうという期待もあったようです。しかし人びとはすぐ、結婚前検査は思ったほど効果的ではないことに気づきました。というのも、結婚したあとに感染する例も少なくないからです。実際に既婚の男女が検査を受けると、多くの不一致カップル(夫婦の一方がHIVに感染しており、もう一方が感染していない)の存在が明らかになりました。またそのなかには、男性が感染しておらず女性だけが感染しているという例があることもわかりました。

これは実はグラゲ県だけの問題ではなく、アフリカでは多くの不一致カップルが、互いに感染を避ける工夫をしながら生活をともにしていることがわかっています。もちろん不一致(discordance)は、夫婦だけの問題ではありません。陽性者と生活する家族は「不一致を抱えた家族」だといえるでしょうし、ウイルスをもつ人とそうでない人とが共存する社会は「不一致を抱えた社会」だといえるでしょう。

予防運動の経験は、社会の中でHIVに感染した者と感染していない者がともに(時には夫婦として)生活するという現実に、地域社会としてどのように向き合うかという課題を、グラゲの人びとに投げかけることになりました。ここでグラゲ県の住民によるもうひとつの取り組みである、「隣の庭畑を耕す」運動が重要になってきます。HIV陽性者は、健康状態によっては、農作業が困難になる場合があります。これは陽性者の健康を悪化させるだけではなく、陽性者と生活する世帯全体の貧困にもつながります。そこでグラゲ県の人びとは、陽性者を抱えた世帯の畑を隣人が無償で耕すという取り組みをおこなっています。ただこの取り組みは地域住民の負担が大きく、実際にはなかなか長続きしないのだそうです。政府や国際社会が資金を提供して、「隣の庭畑を耕す」労働に対価を支払えるような仕組みを作れば、持続的な取り組みが可能になるかもしれません。

次に、ウガンダの陽性者とともに活動をおこなっている外処恵美さん(リーチアウト・ジャパン代表)が「小さなことは大きなこと:ウガンダのエイズ対策から群馬へ」というタイトルで報告をおこないました。

HIV/AIDSに対する取り組みには、社会によって大きな違いがあります。たとえばケニアとウガンダの小学校の教科書に記載されたHIV予防のメッセージを比べてみると、ケニアでは、HIV/AIDSは決して治らない病気で、感染した者は家族に見捨てられるだろう、ということが子どもたちに教えられます。これに対してウガンダでは、感染のリスクは誰にでもあるのだということが強調され、予防や治療についての正確な知識を伝えることに重点がおかれています。

同じウイルスに感染しても、生きやすい社会と生きにくい社会があるように思われます。HIV/AIDSへの無関心、無理解が顕著な日本もまた、HIV陽性者にとって生きにくい社会なのかも知れません。

陽性者にとって生きやすい社会をつくる試みのひとつに、ウガンダのReach Outの取り組みがあります。Reach Outは2001年5月、14人のHIVエイズと共に生きる人々が始めた取り組みで、首都カンパラのンブヤ地区で活動しており、現在では、同地区の住民およそ3,000人にサービスを提供しています。Reach Outは、HIV陽性者のからだのケア(食料の提供、日和見感染の治療など)、陽性者をとりまくコミュニティのケア(HIVに関する教育啓発など)、陽性者とともに生活する家族のケア(夫婦関係を改善するアドバイスや、子どもの学費提供)などからなる、総合的 (holistic) なケアを実践しています。

彼らの活動に共鳴した外処恵美は、2007年11月、日本でリーチアウト・ジャパンの活動を立ち上げました。ウガンダの陽性者を日本に招へいし、群馬県高崎市でおこなわれた講演会や写真展をつうじて、HIV/AIDSへの理解と関心、そしてReach Outへの支援の輪を広げてきました。

HIV陽性者にとって暮らしやすい社会は、誰にとっても暮らしやすい社会なのではないか、というのがReach Outのメッセージです。そのためには、さまざまな立場の人たちが協力しあい、周囲を巻き込みながら、取り組みを続けてゆくこと、つまり人びとのコミットメントが重要だと思います。

最後の報告は、トゥマイニ・ニュンバーニの青木梨花さん、西岡健太郎さん、山本一樹さんによる「ケニアでのHIV陽性者支援:日本の大学生による取り組み」です。トゥマイニ・ニュンバーニは、2007年10月のシンポジウムに続いて二回目の報告になります。今回は、2008年に新たに立ち上げたマイクロ・クレジットの取り組みを中心に紹介してもらいました。

トゥマイニ・ニュンバーニは、ケニアの首都ナイロビのイシリ地区で生活する13人の「ママ」たちの生活を支援する取り組みをおこなっています。「ママ」たちはHIV陽性者であり、小さな子供を抱えたシングルマザーです。トゥマイニは、「ママ」の手作りのバッグを販売するなどの支援をおこなってきましたが、彼女らのより安定した生活のためにマイクロ・ファイナンスのプロジェクトを立ち上げました。マイクロ・ファイナンスとは、貧しい人たちのグループに少額の融資をおこない、彼らが小規模な事業への投資をつうじて、安定した収入を得るための仕組みです。

実際には、お金を管理できるようになるための8週間の「貯蓄訓練」をおこない、現在の仕事の状況や家計収支などの調査をへて、融資をおこなうことになります。トゥマイニはマイクロ・ファイナンスをはじめるにあたって「ママ」たちと話し合い、次のようなルールを設けることにしました。第一に、AIDSの病状が悪化したなど緊急時には、返済を休むことができる。第二に、融資を受けて事業を試みた結果、今までの収入より少なくなってしまったときは、従来のバッグ製作を再会できる。第三に、融資を返済できない状態が三週間続いたら、マイクロ・ファイナンスから脱退してもらうというものです。

マイクロ・ファイナンスの立ち上げは、2008年8月1日から30日までの現地でおこなわれたワークキャンプの期間中に実施しました。ママたちとミーティングをおこなってルールを確認し、契約書を交わしたのちに、融資金を手渡しました。ママたちはそれぞれ、融資をもとに古着や果物を仕入れて販売したり、美容院を経営するための機械を購入したり、ネックレスやソファマットを制作するための材料を購入したり、思い思いの投資をおこないました。厳しい生活をおくっているママたちが融資を返済できるか、不安もありましたが、ほとんどのママが順調に返済をしてくれています。