2007年12月8日と15日の二日間、京都市の烏丸丸太町にあるハートピア京都にて、「悲劇を越える希望の光 〜ルワンダ虐殺から13年〜」と題した、ルワンダ虐殺をテーマとするイベントを開催いたしました。
これは、(特活)アフリックアフリカ、アフリカンレンズ、日本アフリカユースネットワーク(JAYN)、そして(特活)TICAD市民社会フォーラム(TCSF)西日本部会の四つの団体が「関西アフリカ理解セミナー」実行委員会を立ち上げ、国際交流基金からの助成を受けて実現した大規模なイベントです。
昨年の『ホテル・ルワンダ』の劇場公開に始まり、『ナイロビの蜂』、『ダーウィンの悪夢』など、アフリカを舞台にした映画に触れることも多くなる一方で、それらは欧米人の視点から製作されており、なかなか我々がアフリカの実情を知る機会が少ないのが現状です。そのような中で、アフリカ人監督によって製作されたルワンダ虐殺をめぐる映画を上映することを通して、ルワンダの、そしてアフリカの人々の持つ希望や可能性について市民の皆様とともに考えてゆく、というのが本企画の目的です。
1日目概要
12月8日(土)に開かれた一日目は「若者からの希望の光〜日本とアフリカ・苦悩と挑戦〜」と題して行われました。
今回上映された映画は、カビラ・マツ監督の「わたしの目を通して」(ルワンダ、2004年)です。1994年のルワンダ大虐殺に巻き込まれた若者の苦悩とそれを現在のりこえていこうとする姿を捉えたドキュメンタリー作品で、ザンジバル国際映画祭ユニセフ賞を受賞しています。
後半には「若者からの希望の光〜日本とアフリカ・苦悩と挑戦〜」と題したトークセッションが行われ、アフリカ平和再建委員会の小峯茂嗣さん、本実行委員会代表でもある日本アフリカユースネットワーク関西代表の小山郷さん、コートジボワールから留学のために来日し、現在日本アフリカユースネットワーク副代表を務めるワッタラ・アマドゥさんから各々の貴重な体験を踏まえた短い発表があり、さらにコメンテーターとして、「ほっとけない世界のまずしさ」代表でアフリカ日本協議会代表理事の林達雄氏よりコメントを戴きました。
さらに休憩を挟んだ後、会場からの質問表に対して各パネリストが答える形で、アフリカの抱える諸問題の解決策や、我々にできること、若者の持つ可能性、ルワンダ虐殺が生じた背景など幅広いトピックでディスカッションが行われました。
2日目概要
一日目を盛況に終えてから丁度一週間後、12月15日(土)に同じ会場で二日目となる「忘れえぬ虐殺の記憶」が開催されました。
この日に上映されたのは、エリック・カベラ監督の手になる「記憶の守人たち」(ルワンダ、2004年)という作品で、監督が全国の虐殺の現場を訪ね歩き、犠牲者の遺族や、時に加害者が語る当時の状況を克明に記録したドキュメンタリーです。これまでミラノアフリカ映画祭、モントリオール国際映画祭などで上映され、高い評価を受けました。
映画の上映前には、日本貿易振興機構アジア経済研究所の武内進一先生より、ルワンダの虐殺に至った政治的・歴史的背景について分かりやすく解説していただきました。さらに上映後には、ルワンダ出身で虐殺の生存者であるカンベンガ・マリールイーズさん(現在、特活「ルワンダの教育を考える会」副理事長)に、ご自身のつらい体験談をまじえながらも、前向きに頑張っているルワンダの現状をお話しいただきました。優しい笑顔と流暢な日本語で「今はルワンダは平和な国なので怖がらずに遊びに来てください」とのメッセージもいただきました。
最後には、講演者のお二人への会場からの質問の時間を設け、一日目と同様、来場者のアフリカやルワンダ虐殺に対する関心の高さがうかがえるような深く突っ込んだ質問も多く出されました。
イベントを終えて
実行委員会一同がイベントの開演時間が近づくにつれて驚き、喜んだのは、ご来場いただいた方々の多さでした(一日目が118人、二日目は115人)。イベント企画段階では、入場料を頂き、ほとんど日本で知られていない映画を上映するイベントで、大きな会場を借りて果たしてどれほどの方が来てくださるのかと不安が大きかっただけに、今までの準備の努力が報われた気分でした。これは各団体がチラシやポスター、メーリングリストなどを最大限活用して精力的に広報してくださったことのみならず、何より一般の方々の、ルワンダ内戦、民族紛争、アフリカといったトピックへの関心の高さの表れであろうと思います。
回収されたアンケートには、上映作品、続くトークセッション・講演に感動した、感銘を受けたという意見が見られ、特に本イベントの趣旨であるアフリカの実情について知り、深く考えることが出来たという感想を抱かれた方も多く、大きな励みとなりました。