『巨人譚』 諸星大二郎=著

紹介:庄司 航

本書は漫画家の諸星大二郎による、巨人の神話や伝説を共通テーマとした連作短編であるが、その中でももっとも早い1979年に発表された「砂の巨人」という作品を紹介しようと思う。

サハラ砂漠中央部、現在のアルジェリアの東部にあたるタッシリ・ナジェールという場所に多数の壁画が残されており、作者はそれに触発されてこの作品を描いたという。サハラ砂漠はかつて湿潤であり、そのころの様子が壁画に記録されている。

物語の舞台はサハラがしだいに乾燥化していく時代に設定されている。牛牧畜民であるフルベ人の少年が、ヨーロッパ系と思われる外見をした”白い娘”と出会う。彼女ははぐれた仲間を探しており、その仲間たちは馬と車輪を用いているという。干ばつに苦しむ中、フルベ人たちはよりよい土地を求めて移動を続けている。他の民族集団と牛の奪い合いをしているが、双方ともにもはや奪うべき牛がほとんど残っていない。

”悪霊”にとりつかれたせいでひとり離れて壁画のある岩場で暮らすフルベ人の男は、”白い娘”に干ばつの原因を「砂の巨人」のせいだと語る。

「砂の巨人は口から”褐色の無”を吐き出して動物たちを追い立てる。草も木も枯らしてしまう」と男は言う。

娘は壁画の中に馬車を引く馬の絵を見つけて喜ぶが、同時にひときわ大きく描かれた人物の絵も見つける。あたかも男の言う「砂の巨人」を表しているかのようだ。なおこの絵は現在では「セファールの白い巨人」と呼ばれ、有名になっている。”白い娘”はやがてはぐれた仲間を求めて南へ去り、少年も娘を探して南へと向かう。娘は壊れた馬車と人間の骨を見つける。彼女の属する地中海沿岸の「馬と車輪」を持つ文明は、サハラでは消えていく運命にあった。少年も娘を見つけることはできず、「あの娘は精霊だったのかもしれない」と考える。読後にはすべては歴史の向こう側に消え去っていったという感慨が残る。

サハラの岩壁画には、気候や生活様式が異なるさまざまな時代の絵が残されており、その中には馬車を引く馬を描いた絵も存在する。馬は地中海沿岸に住んでいたクレタ人によってサハラにもたらされたと考えられている。その後サハラの乾燥化が進むにつれて馬よりも乾燥に強いラクダが飼われるようになっていき、「馬の時代」は終わる。こうした情報をもとに、作者が想像力を駆使して物語を構成したのが本作品である。

絵柄に目を向けてみると、諸星大二郎の特徴として、画面を埋め尽くすように、執拗に線で背景や人物の陰を入れていく画風がある。その一方で書道的な「一本一本の線そのものの美しさ」には無頓着なように見え、定規でひいた線も限定的にしか使用しない。こうした画風は漫画全体の傾向からみると少数派と言えるだろうが、まさにこの手法によって迫ってくるような強いリアリティが生まれている。この画風と、豊富な知識と想像力によって生み出された物語が合わさって独自の魅力的な世界を作り出している。

本作品の本当の主人公は、フルベ人の少年でも“白い娘”でもなく、移動し拡散する民族とサハラという土地そのものである。そこでは個々の人間はあくまでその構成要素のひとつであるかのように見える。背景を詳細に描き込む諸星大二郎の絵では、背景は人物とほとんど同等の存在感を持って描かれており、そのことによって、本作品でも冷徹な目でサハラという土地そのものを表現する効果をあげているように思われる。

今回はアフリカに関係の深い「砂の巨人」という作品を紹介したが、本書に収録された他の短編もどれも面白く、ぜひ読んでみてほしい。なお諸星大二郎は民族学的、民俗学的な関心が強く、ニューギニアを舞台とした『マッドメン』などの作品もある。

書誌情報

出版社:光文社
発行:2008年
単行本:333頁
定価:1,600円(+税)
ISBN-13:978-4334901561