紹介者:井上真悠子
たとえば調査をしているとき、誰かに何かについて尋ねているとき、私たちは、「自分が相手を調査/観察している」ということは自覚しているだろう。だが、その時、その場にいる、その調査対象者自身もまた同じ生身の人間であり、こちらを観察しながら話をしてくれているのだ、ということには、はたしてどれくらい自覚的でいられているだろうか。
『酒を食べる-エチオピア・デラシャを事例として-』は、エチオピア南部に暮らす東クシ系農耕民・デラシャの人々の食文化に焦点を当てた民族誌である。タイトルの通り、デラシャの人々は、「酒を食べる」という、特異ともいえる食文化をもっている。デラシャの人々は、「パルショータ」と呼ばれる、モロコシ(あるいはモロコシとトウモロコシ)と少量の葉物からつくられる緑色の濁酒を、一日あたり一人5kgも飲む。パルショータ以外の食物は、ほとんど口にしない。
「誇張でもなんでもなく、朝起きてから眠るまで、一日中パルショータを飲んでいる」
「パルショータは「酒」ではなく、「食事」なのである」 (本書「序章」より)
現地に長期滞在しながら調査をおこなっていた著者は、調査対象者たちと同じものを食べ、同じように暮らそうとする。つまり、濁酒パルショータを「食べる」生活をしながら、彼らの暮らしを知ろうとした。栄養分析をおこなった著者によれば、デラシャの人々はパルショータから一日に必要な主な栄養を摂取することができており、良好な健康状態を保つことができている。しかしながら、著者がデラシャの人々と同じように暮らそうと試みたところ、流動食であるパルショータ中心の食事では物を噛む機会がないため、だんだん顎に力が入らなくなる。不慣れな心身では現地の人々のように一日5kgもパルショータを飲むことができなかったため、必要な栄養を摂取することができず、体重は一ヶ月で10kg以上も減ってしまったという。調査地に入る前、近くの都市部に暮らすエチオピア人ホストマザーに「お酒以外の食べ物は本当にないのよ!餓死する気なの?」と心配されたというエピソードからも、パルショータのみを摂取するデラシャの人々の暮らしは、エチオピアの中でもかなり特異なものとして認識されていることが伺える。食文化が著しく異なる場所で、同じものを食べ、同じように暮らしながら調査することの困難さが、ありありと伝わってくる。
デラシャの人々の、「老若男女がずっと大量の酒を摂取し続けている」という衝撃的な状況につい目を奪われてしまいそうになるが、本書の民族誌としての面白さは、後半で詳述される「ポロタ」という地下貯蔵穴の存在にあるだろう。降水量が不安定な当該地域では、豊作年に収穫したモロコシを地下貯蔵穴ポロタに貯蔵し、凶作年にはそれを取り出し活用することで、日々の安定したパルショータづくりを維持している。ポロタに貯蔵すると、モロコシには「独特の不快な臭い」がつくのだが、その臭いは酒づくりの発酵過程を経ることで、「食欲をそそるパルショータの香り」へと変化する。
ポロタは、「水をほとんど通さない性質の硬い土層(オンガ)が、地表から数十センチ程度の深さに存在している場所」にしかつくられない。非常に限られた場所にしか掘ることができない貯蔵穴だが、デラシャはほぼ全ての世帯がポロタを所有している。モロコシを入れて密閉すると、ポロタ内は高濃度の二酸化炭素で満たされ、長いものでは20年もの間、モロコシを貯蔵することができる。また、当該地域は近隣集落との抗争で村が焼き討ちに遭うこともあるが、地上の物がすべて破壊されても、目印もなにもない地下貯蔵穴であるポロタは被害をまぬがれる。食料が残っていれば、人々はまた村を再建することができる。19世紀末にエチオピア帝国の支配を受けたときにも、外部の人間には存在が見えないポロタのおかげで重税をまぬがれたという。
ポロタにモロコシを長期間貯蔵すると、上の方に位置する一部のモロコシは糖化や菌類の影響で「発泡スチロール状に変性」してしまうという。なるほど素晴らしい貯蔵方法といえども多少のロスは出るものなのだな、と思って読みすすめていくと、なんとこの発泡スチロール状になった部分は、廃棄対象などではなく、まさにパルショータの味の決め手となる重要な「酵母」として、酒づくりに活用される部分であった。ポロタは、食材としてのモロコシを貯蔵するだけでなく、美味しいパルショータの味を生み出す酵母を育成する役割まで担っているのだ。著者は「デラシャにとっての必需品」として「パルショータ」と「ポロタ」の二つをあげているが、これらは個別の存在ではなく、この二つがそろうことではじめてデラシャの「酒を食べる」という食文化が成立する、不可分の二要素だといえる。
一度つくられたポロタは、何世代にもわたって長男に引き継がれてゆく。裕福な者は、新たにポロタをつくることもある。デラシャ社会では、ポロタをもつと一人前の男になったとみなされる。重要な財産であるモロコシを長期間貯蔵するポロタは、各世帯の「預金口座」のようなものだといえるだろう。本書を読んでいて驚いたのは、外国から来た調査者である著者が、村内の100カ所以上のポロタの場所を把握できていたことである。これらのポロタが全て調査期間中に開けられていたとは考えにくいことから、本書に掲載されている「ポロタのある場所」の図は、主に聞き取り調査をもとに作成された、地中に隠されたままのポロタの情報を多数含んだものだろう。また、場所を把握しているだけでなく、たくさんの人々に見守られ・協力されながら、いくつかのポロタの中の空気を採取したり、内部実寸を計測したり、開け閉めの作業を撮影したりもしている。本書を読みながら、もし自分がデラシャの人間だったら、他所からやってきた人間相手にどれくらいポロタの情報を開示するだろうか、どんな相手なら自分のポロタを触らせるだろうか、と想像してしまった。
生身の人間を対象とする調査では、調査者自身の属性や態度によって、アクセス可能な情報が異なってくることがある。たとえば税金を課してくるような立場の人間相手だったら、デラシャの人々はこんなにもポロタの詳細を教えなかったのではないか。あるいは短期滞在者相手であれば、ごく少数の、あまり重要ではないポロタだけを見せて、それが全てであるかのようにふるまうこともあるかもしれない。年若い女性という警戒心をいだかれにくい属性であることにくわえ、長期間滞在し、同じ釜の飯ならぬ「同じポロタのパルショータ」を飲み続けた著者だからこそ、これだけの数のポロタの場所を知ることができたのではないか。
同じエチオピアの、調査地のすぐ近くに位置する都市部の住人ですら、デラシャの人々の暮らしを「まったく別の世界」のように表現するという。外部からそのような視線を向けられていることは、デラシャの人々自身もおそらく自覚しているだろう。そして、そんなところでボロボロになりながらパルショータを飲みつづけ、懲りずに何年も、何度もやってきては彼らの暮らしを理解しようとし続ける著者の存在は、デラシャの人々にとっては、とても奇妙で、愛すべきものだったのではないか。調査者である著者は、おそらく調査対象者たちからずっとそのふるまいを観察されていて、その結果として、これだけの調査協力を得られるに至ったのではないだろうか。「酒を食べる」という、世界的にも珍しい食文化を実証的なデータをもとに分析・報告した本書は、学術的な意義が高いものであることは疑いようもない。だが同時に、本書は、長期間の現地調査を通して「ひとさまの暮らしぶりを知ろうとする試みを許容してもらう」という、人間を対象としたフィールドワークのありかたを考える上でも大変参考になる一冊だといえるだろう。
書誌情報
出版社:昭和堂
発売日:2019年3月30日
単行本:232ページ
ISBN:9784812218273
出版社のサイト:http://www.showado-kyoto.jp/book/b439567.html
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