コンゴ・声をつなぐプロジェクト(第5話)

コンゴ民主共和国でフィールドワークを続けている会員が、困難な生活を乗り越えようと奮闘している調査地の人々の生活を支援しています。コロナ禍や現地状況の悪化によって長らくプロジェクトは休止していましたが、2026年、いよいよ新たなプロジェクトが始動しました!名づけて「声をつなぐプロジェクト」です。

連載第5話は、調査が本格的に再開された2022年末のできごとについて、戸田和弥さん(ビーリア保護支援会)による報告です。研究活動のみならず地域支援を担わなければならない研究チームが学校建設で苦労した話です。

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第5話:新校舎建設の険しい道のり(戸田和弥)

2023年12月初旬、私は長い旅路を経てワンバ村に到着した。野生のボノボを調査するため、これまで累計2年半をこの村で過ごしてきた私にとって、ここはすでに慣れ親しんだ場所である。とはいえ、その生活環境は日本の快適な暮らしとはかけ離れている。水道はなく川から水を汲み、ガスがないため焚火で調理を行う。電力はソーラーパネル頼みで、悪天候が続けば充電もままならない。通信用の電波もなく、連絡手段は口頭伝言のみだ。現代の日本人からすれば、まるで異世界の生活である(写真①)。

写真①ワンバ村の一般的な家

研究者が滞在する調査基地は、ワンバ村のヤエンゲという集落に置かれている。日常的に住民と顔を合わせながら暮らしており、子どもたちは私の姿を見ると無邪気な笑顔で手を振ってくれる(写真②)。森での調査や物資調達の面で、我々の研究は村人たちの協力なしには成り立たない。調査員の雇用や食料品の購入などを通じて、彼らとは持ちつ持たれつの関係を築いている。大人たちの中には研究者を良く思わない者もいるけれど、少なくともこのヤエンゲでは、安心して暮らすことができた。

写真②ヤエンゲに住む少女

ボノボ調査の朝は早い。午前5時頃に現地の調査員(写真③)と共に基地を出発し、日が昇り始める6時頃にボノボのベッドサイトへ到着する。ボノボがベッドから姿を出したら、観察を開始する。そこからはひたすらボノボの背中を追い、彼らの行動をつぶさに記録する(写真④)。日が沈み始める17時頃、ボノボが樹上に新たなベッドを作る所を見届けてから、ようやく帰路に付く。泥まみれになりながらこの地道なルーティンを繰り返し、私たちは少しずつボノボの生態を解き明かしていくのである(写真⑤)。

写真③現地の調査員

写真④ボノボを追跡しながら行動をノートに記録する様子

写真⑤毛づくろいするボノボ

今回の調査の最大の目的は、一頭のボノボを朝から晩まで追いかけ、行動を連続的に記録する「終日個体追跡」を行うことであった。従来の30分間の追跡では見逃しがちだった、観察しづらい状況での行動を捉え、ボノボの生態をより詳細に調べる狙いがある。また、追跡中の個体から尿試料を採取し、尿中ホルモンの分析から生理状態を評価する試みも並行して行った。個体の完全な一日の行動記録は、喧嘩や交尾といった出来事が、彼らのストレスや興奮状態にどう影響するのかを検証する上でも極めて有効だ。開けた一次林だけでなく、藪が生い茂る二次林や足元のぬかるんだ湿地林をも移動するボノボを識別し、一日中追いかけることは体力的にも技術的にも容易なことではない。それでも私は「自分がボノボの終日個体追跡を初めて達成してみせる」と意気込んでいた。

一方で、今回の滞在にはもう一つの重大な任務があった。ワンバ村に対する支援活動である。2022年8月の交渉を経て、我々の研究チームは約200万円の予算を投じ、村長の家の裏手にコンクリート製の小学校校舎を建設することに決めていた(第3話を参照)。資金管理を担う私は現場監督から進捗を聞き取り、必要に応じて資金を拠出する役割を担った。しかし、こちらの無知に付け込んで不要な資材を要求されたり、値段を吊り上げられたりするため、常に警戒と粘り強い対話が求められた。万が一にも建設が失敗すれば、強い非難を浴びることは必至である。私は特段の緊張感をもって、このプロジェクトに臨んだ。

校舎の建築工程は、次の6段階で進められる。①建築材料を保管する小屋を建てる、②泥をブロック状に固める、③火入れをしてレンガを作る、④粘土で接着しながらレンガを積み上げる、⑤木材で屋根の骨組みを作り、⑥セメントで床や壁を塗装する、というものだ。私の滞在中は、このうち③のレンガ作りの段階まで進展した。ほぐした土にヤシ油入りの水を加え、専用の器具で型をとってブロック状に固める(写真⑥)。それを高く積み上げて泥で覆った後に火入れをすることで、ようやくレンガが完成する。トラックや重機はないため、土の掘削から水の運搬、薪の確保まですべてが手作業であり、主な支出は作業員の人件費であった。

写真⑥ブロックづくりを行う若者

校舎の建設に欠かせない資材であるトタンとセメントは、ワンバ村近辺では手に入らない。そこでレンガ作成と並行して、トタンの入手に着手した。2022年12月、ワンバ村から遥か500kmほど西にある都市バンダカに向けて、信頼できる現地の人間を派遣した。日本から送金した4000ドルという大金を彼が受け取り、トタン90枚を購入したのだ。その後、ボートを持つ商人と交渉し、川を遡ってトタンをワンバに輸送するための手筈を整えた。

それから約1カ月が経過したある日の日暮れ、トタンを載せたボートが調査基地から2km離れたルオー川の船置き場に到着したという知らせが入った。しかし船員の独断で、トタンは船置き場の倉庫に保管されてしまったという。翌日、10数名の村人を集めて回収に向かわせたが、5枚だけが倉庫に残されてしまった。聞けば、倉庫主が「金を払うまで渡さない」と強弁し、100ドルもの法外な保管料を要求してきたという。一日の最低賃金が3ドルであるコンゴにおいて、一晩の倉庫代としては馬鹿げた金額だ。私は20ドルで交渉したが、彼は最後まで譲らない。こちらが困れば金を積むと考えたのだろう。無用な支出を避けたい私は、毅然とした態度で残りのトタンをいったん放置した。

結局、それから一月余りトタンを取り返すことはできなかった。しかし、トタンの入手に要した費用と時間と労力を考えると諦めることはできない。時折、倉庫主に使いを送って説得を試みたが、暖簾に腕押しであった。膠着状態が続く中、思いがけない好機が訪れた。ワンバ村が属するルオー郡の郡長が別件でワンバ村に立ち寄り、面会する機会を得たのだ。この一件を郡長に相談したところ、倉庫主にトタンを引き渡すよう命じる公文書を書いてもらえた。さしもの倉庫主も郡長の命令には逆らえず、20ドルでトタンを引き渡すことを承諾した。私は不服そうにお金を受け取る倉庫主を尻目に、校舎建設の要であるトタンを全て確保できたことを心から喜んだ。

一方で、村の内部にも不安要素が残されていた。2022年11月、私がワンバを訪れる前の話である。ワンバ村の小学校の卒業式で、ヤギの所有権をめぐって喧嘩が起きた。居合わせた警官が騒ぎを収めるべく威嚇射撃を行ったのだが、その行為に激怒した村人たちが警官を袋叩きにした。警官はたまらず学校近くの校長の家に逃げ込むが、村人たちはその家をもたたき壊してしまった。その後、警察に対して暴力を働いたことで、県庁所在地のジョルから軍隊が派遣され、村に駐留する事態となったのである。

軍隊による金品や食料の徴収を恐れた村人の一部は家を離れ、森や畑でキャンプ生活を送ることを余儀なくされた。生活苦に陥った村人たちは、事態を収拾すべく、当時滞在していた研究者の徳山さんに警察との手打ち金の借入を泣きついた。「校舎用のブロックを32,000個作成するための人件費を前渡する」ということにして、村の代表者と書面を交わし、警察に金を渡してジョルへ帰還させることに成功した。こうしてワンバ村は平穏な生活を取り戻したのである。

ところが、すでに手がけていた18,000個のブロックが完成した時点になっても、村人たちは借金返済分の作業に一向に取り掛かろうとしない。交代で働けば、一人あたり1日か2日で済む話なのだが、少しでもタダ働きをするのは嫌なのだろう。書面にサインした有力者たちも、もはや責任を果たす気は皆無のようだ。予算内での達成を目指す私にとって、このような非協力的な態度には苛立ちを覚えた。一体誰のための新校舎建設なのか?どこまで他人任せなのか?。しかし、守られない約束をいつまでも待っていては工事が進まない。私はひとまず怒りを飲み込み、今ある18,000個のブロックをレンガにすることを決めた(写真⑦)。

写真⑦レンガ造りを担当した現地の左官

最後に、現場で校舎建築プロジェクトの指揮を取った2名を紹介したい。コンゴの森林生態研究センター・ワンバ支部長のジャック(写真⑧)とワンバ村コミュニティ代表のエムカーである(写真⑨)。ジャックとは、私が初めてワンバに訪れた2014年来の付き合いで、様々なトラブルを共に乗り越えてきた仲間である。一方のエムカーは、元来研究者の支援活動を非難し抗議を繰り返してきた人物であり、私としては極力顔を合わせたくない相手だった。

写真⑧ジャック

写真⑨エムカー(中央の人物)

 実は、この両者もかつては犬猿の仲であった。共にビーリア保護支援会の奨学金を受けた第一期生でありながら、大学を卒業し就職したジャックに対し、エムカーは支援不足で中退したという因縁を抱えていたのだ。ワンバで対立状態にあった二人だが、劇的な転機を迎えることになる。

ある日、エムカーが調査基地を訪れ、私とジャックに面会を求めてきた。挨拶もそこそこに、ジャックはエムカーが村で自身の悪評を広めていることを問い詰めた。すると予想外にも、エムカーがその場に膝をつき、「俺が悪かった。これまでの無礼をどうか許してくれ」と謝罪したのである。ジャックは「頭を挙げてくれ。俺はお前を許す。これからの我々は敵ではないぞ。なんと喜ばしいことか」と快く謝罪を受け入れた。なぜエムカーが急に態度を改めたのか、私には分からなった。彼ももう60歳手前だから、争うことに疲れたのかもしれない。事情がどうであれ、ずっといがみ合ってきた2人が和解し、抱擁を交わす姿には、胸が熱くなるものがあった。

残念ながら、次回にお話しする「調査基地襲撃」の一件により、校舎建設プロジェクトは中断され、2026年現在も完成には至っていない。しかし、このかつての宿敵同士の協力が、幾多の困難に直面する現場を再び動かし、完成へと導く原動力となってくれることを願っている。