クチパクの夕べ(ウガンダ)

大門 碧

仲良くなったホテルの若い掃除婦の2人を誘い出す。彼女たちは私の宿泊するホテルに住み込みで働いているので、帰りが夜遅くになっても一緒に帰ってこれるから安全だろう。 向かうのは、街の中心部にあるレストランだ。若い子たちが、そこでショーをしているらしい。

入場料を払い、たどり着いたレストランの入り口は、ステージのすぐ横につながっていた。なにやら舞台上で若い男女が踊っている。おそるおそる客席へと向かう。周囲をうかがう余裕もなく、ステージに一番近い席に横並びに座る。連れてきた2人も、ここにくるのは初めてとのこと。激しく踊っていた男女が去り、次にマイクをもった男性が出てくる。歌う。そして、次は別の女性が出てくる。歌う。ぼーっと眺める。聞いたことのある歌だなあ。さっき歌っていた人が衣装を変えて再度登場する。歌う。ぜんぜん違う歌声を放つのをじっと見る。ん・・・ん、ん?わ、これって歌ってない。クチパクじゃないか。

 ウガンダの首都、カンパラ。クチパクのショーが盛んにおこなわれていることを知ったのは2006年のことだった。アメリカ、ジャマイカ、西アフリカのナイジェリア、お隣のケニア、そし自国ウガンダ、曲の種類もラップ、レゲエ、R&Bとさまざまな流行曲を若者たちは流しては、実際に歌うことなく、クチとカラダを動かす。このショーは、カンパラのいたるところで毎夜のように、おこなわれていたのだ。

「これ、歌ってないよねぇ」と隣に声をかける。すぐそばのスピーカーからあふれてくる大音量の歌で私の問いかけが聞こえていないのか「え?」と言ったっきり、掃除婦の2人は引き続きステージの上をじっと見入っている。カウボーイハットをかぶった男性がでてくる。アメリカのカントリーミュージックが鳴り響く。「私これ、好き〜」と機嫌よく身体を揺らす隣席。とても楽しそうなので、「でも歌ってないよな〜」と思いつつ、私もじっと舞台を見つめた。

あの衝撃から数年後、実はカンパラで活躍する有名劇団エイボニーズ(※1)も、新しく建設した劇場で、クチパクをつかったショーを2006年に始めていたことを知った。この劇団のショーは、実際に歌うのならばミュージカルと呼ぶことができるだろう。つまり物語は、登場人物がマイクなしでクチパクする歌で、つづられていくのだ。

たとえば、あるカップルは、それぞれ夫、妻がいる結婚している身。でも、互いに愛し合っている。なんて「愛って奇妙なの!」と叫んで、歌うのは『Love is Strange(Kenny Rogersy &Dolly Parton[1999年カバー])』。陽気なアメリカのラブソングだ。歌い終わると、女性が相手の男性に詰め寄る。「奥さんと別れて自分と一緒になる気はあるのか。」男性は、「ちょっと待ってくれ」と言い、『Lie about us(Avant Ft. Nicole Scherzinger[2006年])』を歌う。切ないR&Bが響く。「彼女とは別れるけど、彼女を傷つけたくないんだ。諦めるなんて言わないで。ちょっと待って」というわがままな歌詞が続く。世界で流行した有名曲(この場合はアメリカのミュージシャンたちの歌)を、自分たちのつくる物語に柔軟に取り込んでいるのだ。ただし、クチパクで。

いくつかの偶然が重なって、私もそのショーに出演することになった。私がクチパクするのは『Sagala(Grace Semwogerere[発売年不明])』というカンパラの日常で使われているガンダ語の歌に決定した。サガラという男性へ向けて愛を告白する歌である。劇団員は、歌詞の内容とそのときにおこなう仕草を丁寧に教えてくれた。たとえば「彼がいないときには落ち着かなくて、足がうまく動かなくて」という歌詞の部分では、頭に手を置いて悩ましく首を振りながらうつむき、ひざを押さえて足をがくがく震わせる、といった調子だ。ダンサブルなこの曲はテンポが速い。私は、客席に顔を見せなきゃいけないし、一方で、サガラ役の男性とも見つめあわなきゃいけないし、歌詞にあわせて口を動かさなきゃなんないし、口だけじゃなくて体でも歌詞内容を伝えなきゃいけないしで、あわただしい。教えてもらった翌日におこなったリハーサルでは、いくつかの動きができずに、「忘れちゃったの!?」と非難されて、びくびくする。

ある日、私はサガラ役の劇団員であり、かなり長くこの劇団に所属する年配の男性に話しかけた。「舞台上で歌ってますよね〜。」彼は、私が『Sagala』をクチパクするより前に、私が扮する「白人」を恋人にしたことを喜ぶ歌『Omwana w’omuzungu(Paulo Kafeero[発売年不明])』をパフォーマンスする。ほかの役者と同様、彼もマイクを使わず、歌はスピーカーから大音量で流れるので、歌う必要はない。でも彼は、舞台に一緒にいる私には聞こえる程度の声で実際に歌っている。これは、私も舞台上でときどきしてしまう行為だ。彼は少し照れてこうこたえる。「ああ、苦手なんだよ。本当は歌ってはいけないんだけれどね。客に違う声が聞こえてはいけないから」。たしかに役者のほとんどは声をまったく出していない。でも確実に顔は、身体は、懸命に歌っていて、そして、「歌い」ながら、ときには涙をあふれさせる女優さんもいて、私も胸をぐっとつまらせて、クチパクであることを忘れる。いや、むしろ、自分も客席で共にクチパクしてしまう。

ステージを終えると、劇団員や、観客としてきてくれた友人たちが、声をかけてくれる。「芝居してくれてありがとう。」「踊ってくれてありがとう。」そしてかれらは言う。「歌ってくれてありがとう。」今もなおクチパクと歌うことの差異を私は考え続けている。でも、精一杯、舞台で奮闘して帰って来たとき、「歌ってくれてありがとう」といわれたなら、すなおに、これは「歌う」ことなのだと思う。きっと、私は、「歌った」のだと思う。だから私は素直に返事をする。「ほめてくれてありがとう。」

※1;劇団エイボニーズは1977年から活動を開始しているウガンダでは老舗の劇団。 ホームページhttp://www.vcl-theatrelabonita.com/参照。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。