なぞだらけの携帯電話(タンザニア)

八塚 春名

電話を使うのは難しい。この小さな機械から、なぜ、どうして、遠くにいる息子の声が聞こえるのか。そもそも電話がなったらどうしたらいいのか。それまで電話を見たことがなかった村の人たちにとって、携帯電話はとにかく難しい、なぞだらけの道具なのだ。

タンザニアの私の調査村では、2007年に携帯電話が通じるようになった。そして私がお世話になっていた家のお父さんとお母さんにも、ある時、町に住んでいる息子夫婦から、それぞれに1台ずつ携帯電話がプレゼントされた。町に住んでいる子供たちは、それまでは一緒に住んでいる私の携帯に電話をかけてきていたけれど、これで私が日本に帰った後も村にいる両親と連絡がとれる、と安心していた。しかしそんな安心も束の間。「お父さんとお母さんに何度も電話をかけたけど出ないの。ふたりの電話、壊れてるの?」こんな電話が毎日のように私にかかってくるようになった。

なぜなら、お父さんは電話がなっても携帯電話を手に持って眺めているだけだったから。「お父さん、電話がなったらちゃんと耳に当ててしゃべるんだよ。」こう教えると、耳に当てるものの、耳に当てた携帯電話はまだなったまま。そう、ボタンを押すことを知らない。「お父さん、緑色のマークのボタン押さないと!」するとボタンを押すけれど、携帯電話は耳から離れる。「お父さん、耳に当てて!」そして再び耳に当てるけれど何も言わない。「お父さん、ハローって言わないと!」そしてやっと「ハロー」と言い、相手も「ハロー・・」と会話が始まる。こんな調子。

お母さんはというと、「壊してしまいそうだから・・。」と部屋に置きっぱなし。だから電話がなっても気が付かないのだ。「お母さん、今日電話かかってきたでしょ?」「ううん、なってないよ。」いやちがう、なってないんじゃなくて、気付いてないだけ。

私が調査に出かけていて家に居なかったある昼間、町にいる孫がお母さんにメールを送ってきた。しかし、電話も難しいのにメールなんてとんでもない。“メールが1通来た”ということを伝える封筒の形のマークを、孫の電話番号だと思ったみたいで、私が帰ってきた時に封筒マークがメモされた紙を渡され、「この電話番号からかかってきたけど誰かしら?」と・・・。

さらに別の日。近所のおばあちゃんの息子から私に電話がかかってきた。おばあちゃんとしゃべりたい、と言うから走って彼女の家へ行き、「おばあちゃん、息子がしゃべりたいって!」と言って電話を耳に当ててあげると、「何語でしゃべればいいんや?」・・・・・携帯電話という都会のモノは、やっぱり都会で通じるスワヒリ語じゃないとダメなんだろう。村でしか通じないサンダウェ語※じゃダメなんだろう。そう思っていたみたい。「おばあちゃん、自分の息子なんだから、サンダウェ語でしゃべっていいんやで。」そう言ったら、やっと安心して息子と話し出したおばあちゃん。

こんな調子だから、お父さんとお母さんの電話は、なっていたのに「なってない」と言われるし、町の子供たちには「壊れている」と言われるのだ。携帯電話は難しい。 でも、電話は村を離れている子供の声を届けてくれる。日本にいる娘の声を届けてくれる。だから、難しくてもがんばって使いこなさなくっちゃ!

※サンダウェ語:筆者が調査している村の人たち(サンダウェ)の言語

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。