真夜中の一分間(タンザニア)

井上 真悠子

午前4時に、枕元の携帯電話が鳴る。二秒ほど呼び出し音が鳴った後、プツリと切れた。着信履歴を見てみると、「+255・・・」。タンザニアの国番号だ。日本の午前4時は、6時間遅れの時差があるタンザニアでは夜の10時にあたる。

以前、タンザニアに長期で滞在していたとき、仲良くなった人に私の日本の携帯番号を教えたことがあった。その時は気軽に「電話かけてね」なんて言ったが、まさか本当にかかってくるとは思っていなかったのだ。しかし、いざ帰国してみると、仲良かったティンガティンガ画家のお兄ちゃんたちや、店の売り子の兄ちゃん。居候していた家の長男や長女。一回しか会ったことないはずの友達の友達など、本当に色んな人たちが電話をかけてくる。しかも、何度言っても時差を気にしてくれないので、電話がかかってくるのはいつもタンザニアの夕方から夜にかけての暇な時間、つまり、日本時間の夜中から明け方にかけてだ。慣れるまでは睡眠不足で泣きそうになりながら、しかし国際電話がかかってくると嬉しいので、夜中だろうが明け方だろうが、寝ぼけながらも起きて電話を受けていた。

基本的に若い子達は、着信を残して相手からかけ直してもらうのを待つ『ワン切り』ばかりだ。無視してかけ直さなければ、15分後くらいにもう一度、二度、再びワン切りをしてくれるので、こちらは何か急用か、と思っていつも眠い目をこすってかけ直してしまう。たまに向こうもちでかけてくれたかと思っても、1000シリング(100円)ほどのプリペイドカードしか買っていなかったのだろうか、いつも一分ほどで切れてしまう。こちらからかけ直す時も、貧乏学生の懐具合ではそんなに長電話はできないので、せいぜいこちらも一分か二分くらいで切ることが多い。そして、その真夜中の一分間で何をしゃべるのかというと、ほとんどの場合、「ハロー、久しぶり。元気?家族は元気?次はいつ来るの?え、用事?別に無いけど、挨拶したかっただけ。最近どうよ?元気?」といった、全くもって他愛もない挨拶だけなのである。

タンザニアの人たちは携帯電話が大好きだ。若者だけではない。おじいちゃんと呼ばれるくらいの年齢の人まで、ポチポチと携帯電話でメールを打っている。観光業で出稼ぎに来ているマサイの友人などは、里帰りの時に携帯電話のカメラで撮った戦士の伝統儀礼の写真を見せてくれたりもした。ちょっと田舎の島に行った時も、水道も電気も無い村なのに、携帯電話を持っている人は何人もいた。どうやって充電するのか聞いたところ、「対岸の町まで行ったときに充電する」という答えだった。田舎ゆえに電波も微弱で、電話をかけたい時は、ちょっとこんもりした土山の上に登ってかけていた。高い所は電波をキャッチしやすいらしい。そんな所から、わざわざ挨拶を言うためだけに真夜中の日本にワン切りしてくれているのである。嬉しい反面、夜中に叩き起こされる身としては、なかなか心境を理解しにくい部分もある。彼らは、なぜそんなにも携帯電話が大好きなのだろうか。

タンザニアに携帯電話が広まったのは、ごく最近のことだ。少なくとも5年ほど前には、今ほど持っている人は多くなかっただろう。携帯電話はここ数年で爆発的に普及したが、一方で固定電話を引いている家は少ない。日本ではもともと主流だった固定電話の存在を新参者の携帯電話がおびやかす形になっているが、タンザニアではそもそも固定電話が普及する前に携帯電話のビッグウェーブが押し寄せてきたのである。そのため、一般に「電話」と言えば、通常は「携帯電話」のことを指すことが多い。日本のような電話会社との契約手続きや身分証明などは必要なく、携帯電話の本体(3千円〜2万円程度)を購入し、それに記憶媒体の小さなカード(100円程度)をはめ込めば携帯電話の完成である。電話代はプリペイドカードを購入してチャージする方式なので振込み作業なども不必要で、支払トラブルの心配もない。会社や事務所などをもたない個人にとっては、固定電話よりも初期投資が少なくて済む携帯電話の方が、便利で入手しやすく「かっこいい」、魅力的な存在なのである。

人々は新しいモデルの携帯電話に憧れ、決して安くない金額を払ってでも買い、時には改造し、盗み、売る。電話本体は高価なものが多い上に、記憶媒体のカードを入れ替えればすぐにでも自分の物にして使えるため、携帯電話の盗難は非常に多い。ともかく現在のタンザニアにおいて、携帯電話は良くも悪くも人々の強い関心を引くものなのである。もしかしたら、「日本に国際電話をかける」という行為も、彼らにとってはある種の「かっこいい」ステータスなのかもしれない。

実際に行こうと思えば飛行機で片道20時間、旅費は往復ウン十万円という遠いアフリカであるにもかかわらず、携帯電話は一瞬で海を越えて二人の声をつないでくれる、大変ありがたいシロモノである。時には何人もの友人がかわるがわるに電話口に出てくれて、仕事の話、家庭の話、他愛も無い話を、懐かしい声でしゃべってくれる。子供が生まれた、親が死んだ・・・様々な近況を聞くたびに、自分も一緒にその場にいられなかったことが、悲しくなる。「いつ来るの?」と訊かれるたびに、早く行きたいと願う。寝不足にももう慣れた真夜中の一分間は、まるで細い細い糸のように、今もずっと、私とアフリカとをつなぎとめてくれている。

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日本とアフリカに暮らす人びとが、それぞれの生き方や社会のあり方を見直すきっかけをつくるNPO法人「アフリック・アフリカ」です。